公的機関不振の原因としてよくあげられるのが、次の三つである。
①企業のようにマネジメントしていない
②人材が居ない
③目的や成果が具体的でない
いずれも弁解に過ぎない
①まず公的機関は、企業と同じようマネジメントすれば効果をあげられると、くどいほど言われてきた。
これは間違いである。
企業のようにマネジメントせよというのは、間違った処方箋である。
公的機関不振の原因は、まさにそれが企業で無いところにある。
公的機関において企業のようにマネジメントするということは、単にコストの管理を意味するに過ぎない。
公的機関に欠けているものは、成果であって効率ではない
効率によって成果を手にすることはできない
あらゆる組織にとって、効率は必要である。
確かに公的機関の世界には競争がない
コスト管理を外部から強制されることもない
そこが、市場で競争する企業とは異なる。
寡占的な企業とさえ異なる。
だが公共機関の問題の根本は、コスト意識の欠如に有るのではない。
成果をあげられないことにある。
効率の良い公的機関もあるかもしれないし、現にいくつかある。
しかし公的機関の問題は、なすべきことをしていないところにある。
②南北戦争直後のヘンリー・アダムスから今日のラルフ・ネーダーに至るまで、アメリカの改革者が要求してきたものは、人材だった。
政府機関に欠けているものは人材だと信じてきた。
しかし、企業と同様に、公的機関もスーパーマンや猛獣使いだけをマネジメントの地位に置くわけにはいかない。
組織の数はあまりにも多い。
あらゆる病院の院長が天災や偉人でありうるはずがない。
公的機関のマネジメントが、不適格、無能、不真面目、怠惰であるとする理由は無い。
企業の人間が公的機関のマネジメントに任命された時、官僚よりもうまくこなすという理由は無い。
我々は、彼らが直ちに官僚になることを容易に想像できる。
③公的機関の不振のもっともらしい理由として、公的機関の目的と成果が具体的d無いというものがある。
これも問題の一面しか見ていない
そもそも事業の定義は公的機関だけでなく企業の場合も抽象的にならざるを得ない
サービス機関は、政府機関や病院のような公的機関であれ、企業内サービス部門であれ、すべて経済活動が生み出す余剰によってコストが賄われている。
それらは、間接費、すなわち社会的間接費あるいは企業内間接費によって賄われている
サービス機関は、19世紀初めの頃の大学とは違い、今や贅沢でもなければ飾りでもない
現代社会の支柱である。
社会の構造を支える一員である。
社会や企業が機能するには、サービス機関が成果をあげなければならない。
しかるに、公的機関の成果たるや、立派どころか、なるほどと思わせるレベルにも達していない。
学校や病院は、いずれも一昔前には想像も出来なかったほど巨大化している。
予算はさらに急増している。
しかもあらゆるところで危機に瀕している。
一世代か二世代前には、公共機関の活動が問題になることは無かったが、今日ではその活動の不振が攻撃の的である。
郵便や鉄道などの公共事業は、19世紀には、さほど苦労なしにマネジメントされていた。
今日では、巨額の補助金を受けつつ膨大な赤字にあえぎ、しかもサービスは劣化している。
中央政府や地方自治体も、いっそうの成果を求めて絶えず組織改革を行っている。
しかるに、あらゆる国において、官僚主義への不満が高まっている。
貢献と成果の為ではなく、そこにいる者の為にマネジメントしているとの不満さえある。
しかし、公的機関を廃止する可能性も、廃止できる可能性もない。
今日の社会には、公的機関が果たすべき貢献を不要とする考えはない。
学校不要論を説く者さえ、教育の低下ではなく向上を望んでいる。
病院の欠陥を攻撃する人も医療の拡充を望んでいる。
企業内サービス部門も、その貢献が不要になったわけではない。
我々に与えられた選択は、サービス機関が成果をあげる為の方法を学ぶことに他ならない。
しかもサービス機関は、成果をあげるべくマネジメントをすることが可能である。
公的機関であれ企業内サービス部門であれ、成果をあげているのは今日のところ例外に属する。
しかしたとえ例外であっても、サービス機関にとって成果をあげることは可能であることを、それは意味する。
それらは、間接費、すなわち社会的間接費あるいは企業内間接費によって賄われている
サービス機関は、19世紀初めの頃の大学とは違い、今や贅沢でもなければ飾りでもない
現代社会の支柱である。
社会の構造を支える一員である。
社会や企業が機能するには、サービス機関が成果をあげなければならない。
しかるに、公的機関の成果たるや、立派どころか、なるほどと思わせるレベルにも達していない。
学校や病院は、いずれも一昔前には想像も出来なかったほど巨大化している。
予算はさらに急増している。
しかもあらゆるところで危機に瀕している。
一世代か二世代前には、公共機関の活動が問題になることは無かったが、今日ではその活動の不振が攻撃の的である。
郵便や鉄道などの公共事業は、19世紀には、さほど苦労なしにマネジメントされていた。
今日では、巨額の補助金を受けつつ膨大な赤字にあえぎ、しかもサービスは劣化している。
中央政府や地方自治体も、いっそうの成果を求めて絶えず組織改革を行っている。
しかるに、あらゆる国において、官僚主義への不満が高まっている。
貢献と成果の為ではなく、そこにいる者の為にマネジメントしているとの不満さえある。
しかし、公的機関を廃止する可能性も、廃止できる可能性もない。
今日の社会には、公的機関が果たすべき貢献を不要とする考えはない。
学校不要論を説く者さえ、教育の低下ではなく向上を望んでいる。
病院の欠陥を攻撃する人も医療の拡充を望んでいる。
企業内サービス部門も、その貢献が不要になったわけではない。
我々に与えられた選択は、サービス機関が成果をあげる為の方法を学ぶことに他ならない。
しかもサービス機関は、成果をあげるべくマネジメントをすることが可能である。
公的機関であれ企業内サービス部門であれ、成果をあげているのは今日のところ例外に属する。
しかしたとえ例外であっても、サービス機関にとって成果をあげることは可能であることを、それは意味する。
現代社会に於いて、企業は組織の一つに過ぎない
企業のマネジメントだけがマネジメントではない
政府機関、軍、学校、研究所、病院、労働組合、法律事務所、会計事務所、諸々の団体など、いずれも組織である。
そして、いずれもマネジメントを必要とする。
これらの企業以外の組織すなわち公的機関こそ現代社会の成長部門である。
今日我々の社会は、企業社会というよりも多元社会である。
企業内においても、成長部門はサービス部門である。
大企業から小企業に至るまで、さまざまなスタッフが急増している。
それら企業サービス部門にもマネジメントがある。
それらもまた、成果を上げるべくマネジメントしなければならない
企業のマネジメントだけがマネジメントではない
政府機関、軍、学校、研究所、病院、労働組合、法律事務所、会計事務所、諸々の団体など、いずれも組織である。
そして、いずれもマネジメントを必要とする。
これらの企業以外の組織すなわち公的機関こそ現代社会の成長部門である。
今日我々の社会は、企業社会というよりも多元社会である。
企業内においても、成長部門はサービス部門である。
大企業から小企業に至るまで、さまざまなスタッフが急増している。
それら企業サービス部門にもマネジメントがある。
それらもまた、成果を上げるべくマネジメントしなければならない