日御碕神社さんをお参りして経島のウミネコの群れに圧倒され、元来た道を引き返す

 

〝火打石〟夫婦。足立美術館に行く予定だった〝火打石〟ですが、予定変更して夫と共に

 

“出雲国で寺社めぐり”に励むことにあせる

 

 

   

 

 

 

日御碕神社さんに向かう道では通り過ぎた、「国譲り」(ウィキペディアはこちら)の神話で

 

有名な稲佐の浜(ウィキペディアはこちら)に寄ります。

 

 

 

 

 

下総育ち駿府暮らしの〝火打石〟にとって、海とは太平洋(東京湾・駿河湾)なのですが、

 

いま目にしている海は日本海目

 

 

 

 

 

 

 

☝弁天島。“神仏習合の頃には「弁財天」が祀られていましたが、明治のころから豊玉毘古命

 

(とよたまひこのみこと)が祀られています。”と出雲観光ガイドの「稲佐の浜」にありますが、

 

“日本の弁才天は、吉祥天その他の様々な神の一面を吸収し、インドや中国とは微妙に

 

異なる特質をもち、本地垂迹では日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命

 

(いちきしまひめ)と同一視される事が多い。「七福神」の一員として宝船に乗り、縁起物にも

 

なっている。古くから弁才天を祭っていた社では明治以降、宗像三女神または市杵嶋姫命を

 

祭っているところが多い”とウィキの「弁才天」には記されているぞ汗。(ウィキ「トヨタマヒメ」も

 

参照なさってくださいm(__)m。) “弁財天―トヨタマヒメ”とされている神社さんて他にあるの

 

かな?。まぁ豊玉毘古命さまにしても市杵嶋姫命さまにしても海とつながりの深い女神さま

 

でいらっしゃいますよねあせる

 

 

 

 

 

車に戻って“歌舞伎の創始者” 出雲阿国ゆかりの阿国寺  連歌庵を参詣。残念ながら阿国

 

の墓(こちら)は時間の都合でお参りできませんでしたショボーン

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

そして斐伊川(ウィキペディアはこちら)を渡って万九千神社さん(ウィキペディアはこちら  

 

出雲観光ガイドのページはこちら)へ…万九千神社さんは、“神在月にお集まりになる八百万

 

神が出雲で最後にお立ち寄りになる場所とされている。”(☜ウィキペディアより 「神在月」に

 

ついてはウィキペディア「神無月」を参照なさってくださいm(__)m)…ああ、神社検定の試験勉強をして

 

いる時、「神等去出神事」って覚えたなぁあせる。出雲ってほんとに“神話の国”なんだビックリマーク、と

 

改めて感激ニコニコ

 

 

 

 

 

※万九千神社さんは正式には「万九千社」といわれます。

 

 

   

 

※「特別神社」の称は“島根県神社庁から特別神社の称を賜った”と碑にあります。(島根県神社庁についてはこちら

 

 

 

 

 

☝「神等去出神事」についてはこちらをどうぞ。万九千神社さんの御創建は定かではない

 

 そうで、、奈良時代に編まれた『出雲国風土記』や平安時代の『延喜式』にみえる「神代社」、

 

 「神代神社」が後世の「万九千社」に当たると伝えられているとのこと。(「万九千社 ご由緒

 

 参照)  御祭神は櫛御気奴命さま、少彦名命さま、大穴牟遅神さま、八百萬神さま。

 

 櫛御気奴命さまは食物の神さまだそうで、またの名を熊野大神さまといい、コトバンク

 

 「熊野大神」には“出雲大社の大国主神とともに出雲国内の最高神とされ,植林および農業を

 

 つかさどる。”と解説があります。(ウィキ「熊野大社」参照  大穴牟遅神さまは大国主大神

 

 さま(コトバンクではこちら)別称) 

 

 

 

 

立虫神社さんは出雲市斐川町併川地区の氏神さまで、もとは斐伊川の中洲に鎮座されて

 

いたのが江戸時代前期の寛文10年(1670年)、洪水の影響により、現在の万九千神社さんの

 

境内に遷されたとのこと。(「立虫神社 ご由緒」参照)  御創建は万九千神社さん同様定か

 

ではなく、御祭神は五十猛命さま、大屋津姫命さま、抓津姫命さま。この三柱の神さまは

 

素戔嗚尊さま(コトバンクではこちらの御子神で、五十猛命さまは紀伊国一之宮の伊太祁曽神社

 

さんの御祭神でもあります(コトバンク「五十猛命」参照)。姉妹神の大屋津姫命さまと抓津姫

 

命さまと共に“素戔嗚尊の命により全国の山々に木種を撒き、紀伊国(現在の和歌山県)に

 

戻って住んだとされる”そうですが(ウィキ「オオヤツヒメ・ツマツヒメ」、「伊太祁曽神社」参照)、

 

万九千神社さんの御祭神の櫛御気奴命さま=熊野大神さまと立虫神社さんの御祭神の

 

五十猛命さま…熊野大神さまと五十猛命さま、二柱の御名からは紀伊国とのつながりを連想

 

してしまう。ウィキペディア「熊野大社」には“紀伊国の熊野三山も有名だが、熊野大社から

 

紀伊国に勧請されたという説と、全くの別系統とする説がある。社伝では熊野村の住人が

 

紀伊国に移住したときに分霊を勧請したのが熊野本宮大社の元であるとしている。”という

 

記述がありますが、出雲国と紀伊国のつながりの連想するのも、古代浪漫の世界を感じて

 

ワクワクしますねあせる。(熊野大社さんも出雲國一之宮でいらっしゃいます。この後お参りいたし

 

ましたニコニコ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

☝立虫神社さんの拝殿(「境内」参照)。

 

 

 

 

 

 

☝万九千神社さんの神殿。万九千神社さんには“本殿がなく、拝殿の後ろに玉垣で囲まれた

 

 高さ約3mの磐座(いわくら)がある。”(←ウィキペディア参照)

 

 

 

 

☝“出雲の神在祭 八百万神 集ひ給ふ直会と神等去出の社”と記されています。

 

 

 

   

 

 

☝拝殿後ろの磐座(神社さんのサイトでは「磐境」と記されています)。

 

 

 

お参りを終えて御朱印を拝受しようと思ったのですが

 

 

 

 

 

 

☝「社務所不在の際は、こちらの小宮形の内からお受け下さい。」と掲示されていたので小宮

 

 の内からいただこうとしたのですが…残念ショボーン

 

 

 

 

神社検定の試験勉強で覚えた「神等去出神事」のお社をお参りして、何か不思議な気分の

 

〝火打石〟。神話の世界が目の前にあると思うと感慨も一入…時間に追われての参詣で

 

心行くまで神話のロマンに浸ることはできませんでしたがショボーン。この後も八重垣神社さん、

 

神魂神社さん、熊野大社さんと古代のロマンに溢れた神社さんをお参りできたのですが、

 

如何にせん慌ただしくて悠久の時を堪能するのは難しかったえーん。(足立美術館を諦めたのに

 

ショボーンショボーンショボーン。) また来たいなぁ、出雲国あせる。次に来られた時はもっと神話の世界を体感できる

 

といいな音譜、と花見の季節に夢見ております。