ポール・デルヴォーの版画と渡辺崋山、二兎追う者となって一兎も

 

得られずえーんな結果になってしまった〝火打石〟の田原市訪問でした

 

が、夫だけでも崋山神社さん(ウィキペディアならこちら)を参詣できて

 

良かったニコニコ…母方の祖父の家の話やよしながふみさんの『大奥』の

 

影響(?)で平賀源内贔屓となり、蘭学に興味を持ち始めた〝火打石〟

 

ですがこちらの記事を参照なさってくださいm(_ _ )m)、渡辺崋山については

 

蘭学者としてより国宝《鷹見泉石像》(こちらも)の作者として初めは

 

意識していました。あの《鷹見泉石像》を描いた人は愛知県田原市の

 

人だった…デルヴォーの版画展の招待券を入手して、その会場である

 

田原市博物館の情報をネットで浚った時、そのことを知って、それなら

 

ば是非田原市を訪れたい、《鷹見泉石像》を描いた人を祀る神社さん

 

があるならお参りしたい!と願った結果が1/21の田原市訪問でした。

 

結局念願の崋山神社さん参詣は夫にお任せとなってしまいましたが、

 

その夫の崋山神社さん参詣の様子を写真で追っていくことにして…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

崋山神社さんは田原城の出丸跡に鎮座しています。神社さんから

 

いただいた「崋山神社由緒」から引用させていただくと、(渡辺崋山

 

は)“忠孝の武人、優れた文人、画家、経世家、憂国の先覚者として

 

明治以来修身教科書などによって称揚さる。昭和十五年百年忌に

 

当りその遺徳を偲び、神社創建の儀がおこり、戦中戦後の困難の中、

 

曲折を経て、昭和四十一年社殿を造営して現在に至る。”とのことです

 

が、「由緒」に記された御祭神 崋山 渡辺登命の生涯や田原市博物

 

館でいただいた「崋山の生涯」を読むと、この方の生涯を大河ドラマに

 

して欲しい!!と思ってしまいますねあせる

 

 

 

 

 

 

 

この日は風が強くて空は晴れ渡っていた…空の青とお社の白が眩しく

 

て、なんだかちょっとギリシャの神殿みたい目。(無理がある??)

 

 

 

 

 

 

「巴江神社は御殿様が祭神、崋山神社はその家来が祭神の関係。」

 

と、参詣した夫が神社の方から伺ったそうですが、崋山は天保3年

 

(1832年)に田原藩の家老職に就いて藩政の改革に努めます。

 

“さらに高野長英、小関三英等と交って世界の体勢を知り、鎖国政策

 

を批判し、江川担庵を通じて幕閣へ意見の反映を試みたため、蛮社の

 

獄に捕らえられ、在所田原へ蟄居を命ぜられる。この間弟子等の

 

行った画会が不謹慎の譏を受け、累の藩侯に及ぶことを恐れ、天保

 

十二年十月十一日(一八四一) 幽居において自刃  享年四十九歳”

 

(「崋山神社由緒」より引用) 高野長英、江川担庵(江川英龍☜静岡

 

県民的にはこの人は“韮山反射炉の人”ですね汗蛮社の獄…前回の記事

 

こちら)で、巴江神社さんの御創建が文化12年(1815年)、三宅康和

 

が遠祖である児島高徳を江戸麹町の本邸に創祀したのが始まりと

 

記しましたが、蛮社の獄が起きたのは天保10年(1839年)。この約20年

 

の間にシーボルト事件モリソン号事件など、江戸の太平を脅かす

 

事件が起きている…そんな時代にあって、崋山という人は“高野長英、

 

小関三英等と交って世界の体勢を知り、鎖国政策を批判し、江川担庵

 

を通じて幕閣へ意見の反映を試み”て、最後は自刃することになる。

 

嗚呼…この記事を書くにあたって、以前読んだ

 

 

を改めて読み返してみたのですが、蛮社の獄についての記述を読むと

 

目頭が熱くなる…やっぱりあの日(1/21)、私は崋山神社さんを参詣

 

すべきだったショボーン。崋山のお墓のある城宝寺さんも参詣すべきだった

 

ショボーン。いや、後悔しなくてもいい、また田原市に出れば良いのだメラメラ

 

渥美半島を観光すれば良いニコニコ伊良湖岬灯台だってあの日は行け

 

なかったんだからあせる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

崋山神社さんの御朱印はこちら↓(*^▽^*)

 

 

 

 

 

 

幾度か観るチャンスはあったのに未だ目にしていない《鷹見泉石像》。

 

今度田原市に出た時は、崋山神社さんで泉石の像が観られるように

 

祈願しようあせる。春には名古屋市博物館へ「よみがえれ! シーボルト

 

の日本博物館」を観に行こうビックリマーク。(東京で観られなかったからショボーン) 

 

知恵も力も無い〝火打石〟ですが、そんな私でも学ぶことはできる

 

筈。神社仏閣をめぐり絵を観ることで私なりに得るものは確かにある

 

…そんな思いを強くした崋山神社さん参詣記でした。