只見線貨物列車の記憶(前半) | スプーンの気まぐれ日記

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ヤフーブログから引越して来ましたが、すでに日記ではありません。「気まぐれ」ですから、投稿は密になることも疎になることもございます。
海峡は本日も「ねんどろ」でしょう。健康のために多少の鉄分も摂ります。

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只見線の貨物列車はC11牽引の2軸貨車による編成が中心で、手許の資料や記録では会津若松—只見、会津若松―会津川口にそれぞれ1往復、ほかに会津若松― 会津坂下1往復が加わった時代もありました。その後DE10による無煙化、最後はDD51による会津若松―西若松の石油輸送で、平成11年に幕を閉じまし た。

また田子倉ダム建設当時は、会津川口から只見、田子倉ダムの麓まで、この工事のための専用鉄道(後に国鉄線になる)が敷設され、ここに資材を送り込む貨物輸送もありましたが、スプーンが生まれる前の時代であり、鉄道ピクトリアル2010年11月号に詳述されているのでここでは記しません。でもスゴいですねー、鉄ピクの単独特集で「只見線」ですよ!
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朝6時台に会津若松を出発する461レは只見行きです。西若松で423レを退避した時代がありました。
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折り返しは466レで19時過ぎに帰って来ます。会津川口行きの463レは若松10時少し前に出て17時過ぎに462レで戻って来るのでした。会津坂下折り返しの列車番号は不勉強&資料不足によって分かりませんが、C11が逆向きで下って行くので、これが坂下折り返しなのかな・・・と(会津高田発車/ブザー が緊張感のある良い音でした)。まあ残念な写真ですみません(苦笑)。
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旅客列車が全て気動車になってからも2年くらい貨物は蒸機牽引でした。会津川口に着いた461レ。
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まずは水を飲みます。
C1180は晩年会津で過ごしましたが、岡山の由緒ある名機で、呼び戻してもらえた幸運な機関車ですね。
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そして入換えを始めます。この時はどういう入換えをしたのか覚えていませんが・・・。
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通常は上り列車用のホームに入りました。
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会津若松行きの普通列車(キハ16以下4輛編成)と並んでしばらく停まります。
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只見に向けて発車!出発信号機が2本建っているのを見ますと、ホームのどちら側からでも只見方に行けるのですね。
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駅の外れにある野尻川を渡ります。この川の上流に玉梨温泉があります。子供の頃はよく連れて行ってもらいましたね。
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後半に続きます。