会津線〜只見線の汽車・・・C11牽引の客車列車 | スプーンの気まぐれ日記

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ヤフーブログから引越して来ましたが、すでに日記ではありません。「気まぐれ」ですから、投稿は密になることも疎になることもございます。
海峡は本日も「ねんどろ」でしょう。健康のために多少の鉄分も摂ります。

C11牽引の普通列車は、小出〜大白川側でも走っていた筈ですが、本ブログでは会津若松側の列車についての思い出を記したいと思います。

C11牽引の客車列車は昭和47年10月に運転終了しました。最高速度は45km/hという設定(現在も)らしいのですが、貨物列車を含めて実際は55km〜60km/hくらい出していたイメージがあります。日中線は45km/hだったと思いますが・・・。
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昼間の列車は客車が2輛で、オハ61とオハフ61を中心にオハ60やオハ41なども使われていました。D51よりも吠える様なC11の気笛を怖がっていたスプーンは、機関車側寄りの客車に乗ろうとする母に、貫通路の向こうにC11の顔が見えるので、「ホラこっち見てるよ、怖いから向こうの客車に乗ろうよ!狭 い窓(オハ60)も嫌だ!!」と文句を言ったものですが、子供のワガママと判断されて聞き入れてもらえなかった記憶しかありません(写真はもう少し成長し てから)。
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汽車の記憶があるのは、だいたいヨン・サン・トウの前後からとなります。スプーンが小学1、2年生の頃、喜多方の叔父さん(母の弟)に会津川口行きの423レで汽車乗りに連れて行ってもらいました。
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まだカメラを手にする数年前のことです。バッグに入っているのは昼の弁当だけ。叔父さんは4輛繋がれた客車の最後尾のそれも一番最後のシートに座って、窓から手を上げていました。
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会津坂下で先頭の客車1輛を切り離し、2番ホームを挟んで南側にある側線に入れました。会津川口までは3輛(+貨車)で行くのです。坂下にはツインで小さな尖り帽子の給水塔がりました。この時給水したかも知れませんね。
坂下を発車すると右カーブで山へ登って行き、塔寺を過ぎるとトンネルが連続します。車内放送でも窓締めのお願いがあります。

C11は終点の会津川口で方転するのですが、転車台は機関車の蒸気をホースで貰って、小さなシリンダーによる尺取り虫的に回転して進む動力で、時間をかけて向きを変えます。子供ながらに古っちいな、と感じたものでした。
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そ れから給水、給炭です。このC11323は戦後1946年3月22日、日車名古屋の生まれで、終生会津若松にいたカマです。それを後から知って、残してあげたかったですね。しかしそのわずか6日後にC11325が同じ名古屋で誕生していることを思うと、感慨深くもあります。
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一通り撮影が終わって、駅が見下ろせる高台で、叔父さんと一緒に母が作ってくれたお弁当でお昼にしました。シソの葉で包んだおにぎりだったでしょうか。
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さて、折り返しの428レで帰ります。発車前に貨物461レがやって来ました。貨物は只見行きなのです。
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朝、 会津坂下で切り離したオハフ1輛は、この428レに連結した記憶が無かったのですが、昔のダイヤを見たところ、これ以降に上りの客車列車は無いので、やっぱり連結して帰って来たのだと思います。増結した時、車端部の手ブレーキハンドルの根元のラチェット部を足で蹴ってしまい、危うくブレーキが作動してしま うところを車掌さんに助けてもらった思い出が別にありまして、それが夕方だった様な気がするなど、記憶の辻褄が合わないのですが、もう半世紀も前のことで すから止むを得ませんね(苦笑)。
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会津高田には立派な跨線橋と2番ホームの北側に側線がありました。主に上り貨物列車に連結する貨車が人力で移動して来ました。下り側(1番ホーム)にある貨物側線から5、6人掛かりでかけ声をかけながら貨車を押して行き。踏み切り鳴らして、ポイントを切り替えて2番ホーム北の側線に入れるのでした。
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今回並べた写真は、只見川の鉄橋など、有名撮影地は入っていません。小学4年生でオリンパス6というブローニー版のカメラを父から譲ってもらい、フイルムも 自分では装填出来ませんでしたが、近くの駅でC11などを撮り始めました。これが今日のスプーンをあらしめたことに間違いはございません。

只見川を眺めながら汽車に乗る旅は、過去には日常であっても、今考えるととても贅沢だと思います。。
朝 一番の会津宮下発会津若松行き422(現在の422Dに相当)と夕方の会津若松発会津川口行き431レ(現在の435Dに相当)にはオハユニ61が会津若 松寄りに連結されていて、見た目にとても良いアクセントになっていました。現在の435Dは19時台という遅い時間帯の運転になっていますが、汽車の頃は 喜多方の帰りに会津若松で1時間近い待ち合わせ時間の後18時頃の発車。4番ホームに5輛の客車が推進運転でゆっくり入線して来た光景は夏の夕暮れによく 思い出されるのです。あー、いい時代でした

(写真は西若松)。

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