Live Live live !!

半世紀も生きてくると
少々の事には驚かないし、
馬鹿に楽しい事もばかに哀しいことも無くなって来る。
濁って失われた感性のみがゆらゆらと漂っていて
世の中にその歩調を合わせてただただ人生の終演を待っている・・・
軽いめまいを覚えた午後、
真夏の暑さは影をひそめていたとはいえ
ハードケースのギターを持つ手には
たやすく汗が滲んできたし、
押入れをひっくり返してだしてきた
白いズボンの足取りも軽やかとは言えなかった。
ライブ前の緊張については前回書いた通り
俺なりの工夫をして小次郎の待つ巌流島へと向かったが、
いまどきの若者の感じの良さときたら
見事に出鼻をくじかれたのであった。
演奏する自らはもちろん対バンに対してさえ
楽しもう、盛り上げようという意気込みがみんなにあって
いざリハーサルという場面でさえ
緊張の紋つきに袖通すことすらなかったのである。
人生のツケはいつも自分持ちだ。
日常の退屈とはおさらばして今を目の前の
ステージを俺も楽しもう・・
そんな気分になれたのは本番のセッティングのさなかだった。
途端、俺はステージから観客を観ることすら出来なくなり
コードを押さえる手にさえ力が入らなくなった。
オープニングは俺のギターソロなのに
(あぁ~何んとチカラの無いへたれなイントロなんだ!)
結果、人生の連戦連敗の記録は見事更新され
メンバーのおかげで試合にはなったものの
俺の勝負は敗れたのだった。
とは言え久々の実戦登板、
要は事前のハートメイキングなんだと思い知った!!
以下、動画の曲は前々回このブログで取り上げた、
そちらもご覧になり楽しまれたし。
Kイサヲ
Show must go on
輝く白いマットを眩しいスポットライトが照らし、
次の見世物の出番を待つ観客は容赦の無い好奇の視線に薄ら笑をうかべ
時折、罵声とも、どよめきとも感じられる声を響かす。
ストイックで寡黙なボクサーはひとり控室でそれらの群像を
追い払うかのようにテーピングをした拳でシャドウを繰り返す。
緊張のライブ前にはこのボクサーに自分を投影するのが
若かりし日の俺のやり方だった。
本番直前まで緊張の糸を張りつめておいて
それを一気に爆発させる・・・・
何も、そんなに入れ込む必要はないだろう?
別にプロじゃないし、莫大な金が絡んでる訳でも無し。
ちょっとしたイヴェントとして楽しむ。
(いい汗かいて、旨いビールが飲めれば良い)
そんな考えがあるのは解る。
去年まで手伝ってた地元バンドはそういうノリだった、
温度差が生じたのは当然だ。
しかし、草野球だってヘボ将棋だって
真剣にやる方が面白いに決まってる!
若かりし日、俺はこうした精神の奥深くたとえ金を積んでも
味わう事の出来ない独特な世界に遊ぶ事を愉しんだ。
それは、自分の精神世界を他人のそれと全く区別した
いわば実存的なモノとして位置づけたし、
その為に常に自分なりの志向性を意識したものだった。
それが気付いてみれば保身とか概念とかのぬるま湯に
肩までどっぷり浸かりただただ時が来るのを待っている
そんな自分に成り果てたようだ。
考えてみれば、物理的肉体は何時か宇宙の塵となるのだ。
精神のみが輪廻するのであるなら、
その精神の在り方に拘る事こそ本来の人間の仕事ではなかろうか?
とにかく緊張を、解放された心の爆発を楽しもう!
Kイサヲ
幻の湖

行くあての無い真夏の漠然は憂鬱に満ちていて、
つかの間のランデヴーでさえ足取り重くなる。
想えば、僕たちはどこへ向かっているのだろうか?
夕立の土砂降りに打たれた野良犬のごとく、
否、「砂の女」の主人公の様な購えない真夏の仕打ちに
ただただ心に不完全燃焼を抱えるのみである。
結成から約1年半の時を経て「無頼派」は日の目を見る。
演奏予定の「幻の湖」は俺の脳裏に突き刺さっていて
こんな印象に縁取られ常に鳴り響く。
ここではお聞かせ出来ないが
繰り返し聴いていると本当にクセになる楽曲だ。
一年半の俺の仕事はHoqsai城のガーデナーかぺインターと
いったところか?
城のアプローチにはこの樹を植えようか?
とか、エントランスのドアーはこの色にしようか等々・・・
汲めども尽きぬ泉のごとく
この美しい城はいかようにも変化しうるのだ。
観客の多少でもなく演曲の多少でもなく、
人前に晒される緊張を楽しむべく
人生のドライブは幻の湖を探して足取り重く、
曲がりくねった山道を今日も行く・・・
Karmanイサヲ
