美的存在感について
かつてテレビとかで目にした芸術作品が
実際に観てみると意外や小さく感じた経験はないだろうか?
写真は日本国国宝「大井戸茶碗・喜佐衛門」(口径15.5cm)だ。
少々話は逸れるが俺の愛読書の一節に
あの吉田茂に関する供述があり、
吉田に面会した人間が部屋に入り彼の姿を見た途端
吉田の姿が何倍にも膨らんで見えたらしい。
更に、時代は遡るが徳川家康に謁見し
意見を述べるべく準備をしてきた益荒男が
家康を目前にし、
あまりの迫力とその存在感の強大さに意見を述べるどころか
ただただ家康の言う事にうなずくのが精一杯
という事だったらしい。
話をもどすが、
写真では理解しづらいと思うが以下の動画を
ご覧いただけば頷いてもらえるかも知れない。
とにかく動画のそれは俺には不思議な魅力にあふれ
存在感の大きさを誇示しているかの様に感じた訳だ!
15分足らずの動画で俺は一気に観てしまったが
一応要約すると、日本生まれの韓国人であるチョンさんは
終戦後韓国にもどり陶器づくりで生計をたてていたが
茶碗の勉強のため再び日本へ、
そこで出会ったのが喜佐衛門だ。
それを境にチョンさんは陶芸職人から陶芸作家になった!
かつての無名の朝鮮人が作った茶碗が千利休や古田織部を唸らせ、
日本が国を挙げて保管し後世へ残そうとしている。
それが為アーティスト魂に火をつけ井戸茶碗作りに
全てを捧げる事になる。
あたかも、ベートーベンやモーツアルトを越えようとする
作曲家やミケランジェロを乗り越えようと彫刻家の様に!
そこに俺はロック魂を見たわけだ。
しかし、日本文化の水準の奥深さといったら
やはり世界に誇るべきモンがあると想う。
なにしろただの喫茶行為に哲学的素養を付加し
更に、様式美を発展させ総合芸術にしたのだから・・・
三島の金閣では吃音の修行僧が金閣の美しさを
独占するため火を点けてしまう、という様な話だったけど
ある意味チョンさんも喜佐衛門の美しさを乗り越える
井戸茶碗は作れない事になる、
喜佐衛門が存在する限りは!・・・
偶然が作りだした高麗陶器の大傑作は
その存在自体が茶の湯の精神に共通する事に気付いた俺だった、
それは、この一瞬が二度とない一瞬であるのと同じく
一つとして同じ茶碗の存在は他にあり得ないという事。
つまり、だからこそその特徴が顕著なこの喜佐衛門こそが
利休などに愛されたのだろう。
以下動画はまだ取り上げた記憶の新しいところだけど
題材からして使わざるを得ないという事で了承ねがう。
俺のオリジナルで「利休」
When I close my eyes.
When I close my life I can see
Every scene has double faces on my brains・・・
イサヲ
平成のフェミニズム

妻の尻を追っかけだし、それを完結した頃よりの
20年間くらいを自分なりの空白の時代と設定し。
今から3年くらい前まではその空白に似つかわしい日々を
形成しつつ想えば、「人生に意味のない時間など存在しえない!」
なぞとウソブイテみるも虚しく、
うすら笑いを浮かべるのが精いっぱいで・・・
とにかく、バンドらしき音楽活動を始めたこの3年くらいで
たくさんの人々と出会い、傷つけ・甘え・虐げられ・楽しませ・
楽しませてもらった。
とりわけ、女性に関しては感謝と同時に畏怖と感動をもって
驚かされている。
前回の「昭和のフェミニズム」に唱えた女性解放的な
趣きはさておき、
その空白においてタイムスリップした平成の女性・
若い連中における輝きに関し感動を覚えている今日この頃。
タイムリーにも先週、約30年ぶりに再会の機会を得て
謁見の女性たちは皆、輝き魅力的だった。
俺が20歳くらいのときブレイクした
Talking Heads/tom tom club
俺より14歳年上のティナは1950年生まれ、
34歳くらいの時のライブ、
昔から女性ベースのバンドってカッコイイと思ってたけど、
この歌を歌いながらのこのベースは凄いとしか言いようがナイ!!
こんな素敵なベースのバンドでプレイしたいと
思うのは俺だけの事でないと想う!
平成のフェミニズムがどうのジェンダーがどうの・・・
とにかく言いたいのは約25年後のティナ、
還暦を目前にした彼女が今から3年前に来日し
サマーソニックにでている、
夫のクリスが倍くらいに膨らんだのに比べ・・・
歌のキーこそ下げているけど
遠目で見たら25年はまさに空白だ!
昭和から平成の俺の空白や30年ぶりの再会や
彼女の25年は俺を魅了し続ける!!
「やはり女っていいなー」、これが俺のフェミニズム。
そして彼女は言う、
Im gonna have some fun.
イサヲ
昭和のフェミニズム 2

哲ちゃんのお父さん然り、
あの時代の成功者と言われる連中の
押しなべてとる行動は共通している様に思われるが、
そうでない普通のそこらのオッサンでも
前回冒頭で書いた「男子厨房に入らづ」「色恋沙汰は芸のこやし」
なんて本気で考えてたからか、
仕事を終えれば何もしない
家事・子供の事なんか女房任せ、
とにかく面倒な事はやらないという主義だが
頑固に仕事だけは取り組むから世の中マワッテいた。
ところが敗戦後アメリカの影響下が強くなるに従い
そうはいかなくなり今にいたる。
考えるに、結婚したが最後
女房と母親の区別が薄れ,甘えの構造が構築され
また、母親となった女房が同じ様な教育を息子にするもんだから、
負のスパイラルが繰り返されて来たんだと想う。
そして、まだまだ我々世代から上の連中には
その名残が残っているけれど、
兎に角、自分の母親以外の女性は母親でない
という事に気づき,それを認める事なんだと思う。
話かわり、先週の8日は本気であの時代に
女性解放運動をしていたJohnの32回目の命日だった、
ご存じの通り日本にも度々来ていた彼に
当時の日本はどう映っていたのだろうか?
あれほど母親を想ってた彼だから
ヨ-コに母親を求める事もあったのだろうが・・・
「そんなの、当たり前じゃない!」
なんてヨ-コさんは言うんだろうな。
イサヲ。
