さて、ここからが本日のブログ本題
「誘うのか誘わないのか?」
最近こうしたご相談を受け、思うことがあったので書きます。
貴女ならこんなケース、
誘う?誘わない?
【疎遠になっていた古い友人、最近になって連絡先がわかったのだけれど、迷ってます。
何故なら、その方のお子さんが障害をおって、その介護で大変そうだから】
直接ご本人からではなく、今のその方を知る人から聞いた状況から判断して【大変そう】
そう思ったようです。
それも無理はないと思いますし、その状況で、例えば旅行に誘われても、
来れないだろうな
→だったら知らせない方がいいのかな?
→だって、「自分は行けないのに友人達は楽しそうでいいな」そう、思わせたら可哀想じゃない。
最後まで「どっちにすべきか」悩みご相談くださいました。
悩むということは、それだけその方の事を想い考えてるからで、情がある証拠ですよね。
優しい人ほど悩む
それでも敢えて言わせて頂きます。
私が、その障害児を抱え介護に翻弄されて自身も病む人物だったとしても
「可哀想」と思われるのは心外です。
行くか行かないか、それは私に決めさせて、と。
気を遣われた、それがわかるとどれだけ惨めか。
「優しい嘘」なら一生ばれない覚悟をもってつくべきだし、そしてそれは、大体バレますので、
だったら最初から、淡々とお知らせしてあとは本人の判断に委ねる。
知らせて何のリアクションもなければそれは、
「もう誘わないで」という意思表示と受け止め、
無理をしてでも出てきたら、普通に受け入れる。
無理をしてるのか、喜んでるのかなんて、最終的には本人しかわからないことです。
たとえ無理をしてたとしても、来ることを選択したのは本人なのだから、それはもう本人の問題でしかない。
どれだけ相手を思いやっても、その情がそのまま相手に伝わるとは限らないものです。
どんな発言も、傷つくのか傷つかないのかは受け取る側次第なので、
言うか言わないか迷った時は、
【自分の側に、相手を傷つける意思があるかどうか】
自分に問うしかないと、思っています。
「傷つけるつもりはなかったのに…」でも結果傷つけてしまうことはごまんとあります。
もう、これはしょうがない!
相手の問題だと思わないと、何も言えなくなる。
そこから加減を学ぶ事はあっても、
どれだけ相手の身になって考えてみたとしても、
最終的に、相手の心の内までわかることはないのだから。
そう考えております。
そもそも、子供の障害、介護、そこからの心身の病み…
確かに端から見たら「大変ね~」「可哀想に」
なのかもしれないけど、その言葉に私はちっとも愛を感じないのです。
そうした問題って誰にでも起こりうることじゃないですか?
多かれ少なかれ誰しも何かしら抱えてるものじゃないですか?
そう思えたらその程度のことで「お気の毒に」と言われるのは、所詮「他人事」という大前提をうっすら感じるからです。
というわけで、せっかくご相談くださったのにトゲのある返答をしてしまったのですが、
それもまた仕方ない、と諦めました。
段階によりますけど、
現実を受け入れられない時は完全に孤立化します。シャットアウトです。
でも、
一旦受け入れることが出来たら物凄く強靭です。
シャットアウトしてる時も、自分を取り戻した後も、変わらずに接してくれる人の存在が何より有り難い。
詮索はしないけど声はかけてくれる、こちらが拒否してもまた、時を経て声をかけてくれる。
そういう存在が真に見守ってくれる人だったなぁ、と。
そういう存在があったからこそ、私は立ち直れたのです。
だから私は、可哀想と思わなくていいから、「是非、声をかけてあげてね」と言いたい。
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