ティータイム心和むクラシック音楽を聴きませんか -5ページ目

社会の崩壊

以前から時折言っていますが、日本の今野の社会は若者も高齢者も中年世代も自分のことばかりで他人とのアイコンタクトと配慮はほとんど見られなくなりました。そして自分を守るためなら意外に低いハードルで犯罪に手を染める人も増えました。
先ほどネットニュースを見ていたら30歳代の日本人女性が韓国で高級カメラをレンタルして日本に持ち込み売却していたそうで韓国で懲役刑が言い渡されたそうです。今年だけで3回で被害額は約480万円とのことです。レンタル時にパスポートを提出し、都度紛失届けを韓国政府?に提出し再発行させていたようです。被害額は480万円でも日本での買取額は恐らく50万円程度と思います。日本でも同様の余罪はないのか、彼女一人で考えたとも考えられず、ネットでこうした情報が裏技みたいに既にかなり広く流れていると思います。国民からの受信料から高い給料を貰って無責任に「誰も取り残さない社会」とか言うNHKのその朝ドラで結局は身勝手な人を正論で突き放してカミソリで切りつけられる主人公が描かれたことを特に反省していないようですが、マスコミがカネを出さずに政府批判だけして何でも行政のせいにしていることが一人一人の人間から自活の意志を弱くして他人からカネを巻き上げる意識を、自分勝手な責任回避と他人のせいにして他人の生命まで軽視する方向に傾けたことをよくよく考えてほしいです。桑子アナの疑問はあなた自身の今までの番組作りも流れに棹を差していることを理解し、自分の思い上がりと無責任さを考えてほしいと思います。

LP-113 ディーリアスのチェロソナタ

コミュニケーションを拒絶する人がほとんどの日常、無駄に騒がしく他人を見下しながら誰かとの繋がりの乏しさに不安になったり、自分勝手で自分のことしか考えられないような態度が蔓延する社会の中でイギリスの作曲家のディーリアスの曲は無駄な音のあまりなく静かな泉の小さなせせらぎの水飛沫に太陽の淡い光が一瞬反射して煌めくみたいな穏やかで心安らぐ時間を疲れた心に潤いを浸らせくれると感じます。生きづらい社会は一人一人が他人を切り捨てていることの連鎖が藤みたいに心に絡み合い埋め込んでしまうことでガチガチに封鎖され取りつく島もなくしてしまっているからではないかなどと感じます。私はそうしたしがらみは振り捨てて独りで生きているからもう構わない。独り水のせせらぎに耳を傾け穏やかに時間の流れに身を任せるみたいな感じ。

同世代 追記あり

今は後白河院の本を読んでいますが、二条天皇(後白河院の息子)は1143年生まれ、建春門院(後白河院の女御)は1142年くらいの生まれ、悪名高い丹後局(後白河院の晩年の愛妾)も1140年くらいの生まれとほとんど同世代であることに改めて人間関係や心理の交錯の複雑さを感じます。

ちなみに丹後局の母親かもしれない若狭局は晩年(1180年ちょっと後以降)に嵯峨の寺に籠ったらしく、平家物語の祇王、祇女の話は若狭局と娘?の丹後局の晩年を脚色した可能性も感じます。また、若狭局は建春門院の乳母ですから丹後局は建春門院の乳母子であった可能性があり、そうなら幼少期から二人は姉妹に近い関係にあったことは建春門院死後の彼女の思い出話をする間柄としての後白河院と丹後局という関係、丹後局が後白河院の子供を産んだのも後白河院としては建春門院の身代わりとしての丹後局であり、二人の娘は建春門院との娘と見なされた可能性もあるから彼女=宣陽門院には莫大な所領が遺産として宛がわれたということかなぁと感じます。

また、ちなみに二条天皇の息子の六条天皇は上皇になった後に後白河院が保護?して政治的に軟禁されたみたいな悪意的な見方が通説のようですが、実際は建春門院はが同居していたようです。そして、建春門院は1176年8月14日に亡くなり、六条上皇は1176年8月23日に亡くなっていて、死因が赤痢とされているのはこう見ると不自然で、もしかしたら六条上皇は自分の母親みたいな建春門院(彼女は聡明な方だったようです)の死に殉死に近い形で自死(食事拒絶みたいな形)したのかもしれないと私個人的には感じます。