【優劣とは、無数にある評価基準のひとつに過ぎない】

 

いつも私の髪の面倒を見てくれている美容師さんから聞いた話がとてもステキだったので、今日のブログはその話題です。

 

先日彼が道を歩いていた時、たまたま耳に入ってきたという、知らない子供とお母さんの会話がこれ。

 

 

子供「かけっこで一番になったんだよ!」

お母さん「すごいね。でも、一番になれたのは、お友達が一緒に走ってくれたからなんだよ。」

 

 

これ、すごくないですか?

お母さんの返しがすごい。素晴らしい。

実際にその会話を聞いた美容師さんとも一緒に、「すごいですね!」と盛り上がりました。

少なくとも私は、この短いやり取りの中に、大人になっても見習わなければならない人生を生きていく姿勢が、十二分に込められていると思ったのです。

 

それが

 

<きちんと子供を褒める ⇒ 一番というのは絶対的な基準ではないことを諭し、友人への感謝の気持ちも喚起する>

 

・・・なんですよね。

このお母さん、とっさにそんな言葉出てくるとは、すごいです・・・。

 

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この話を聞いて、私が副産物的に感じたことも、補足しておく。

実際、その時に一番になったからといって、常に一番でいられるわけではない。

そもそも、競走とは、相手があるからこそできるもの。

相手がいつも自分より下だとは限らなくて、いつも一番下だった人でも、環境が変わっただけで一番上になることだってあり得る。

そして、一番でない時にどのように感じるかについては、知っておいたほうがいい。

 

人間とはとかく順位付けが好きな生き物だ。

ごく僅かのしがらみから解放されている人を除けば、通常は優越感と劣等感の両方を持って生きていかざるを得ない。

そもそもの問題は、いちいち他人の評価を気にして、それに左右されるからだ。

順位付けはあくまでも他人が決めているもので、それに囚われるも解放されるも、最終的には自分次第。

自分に自信を持つということは、他人の評価を気にせず、自分自身の下した絶対的な評価に基づいて生きていくことだ。

他人の評価はあくまでも他人の価値基準であって、本当の価値は、自分自身で決めればよいのである。

 

他人は他人、自分は自分。

優越感と劣等感を手放すことは難しいけれど、試みる価値はある。

 

【出し惜しみしないほうが、全てがうまくいく】

 

先日、個人でビジネスをやろうとしている友人と話していた時の話。

こんなことを言われました。

 

「積極的にSNSを始めてから、不特定多数に向けてどんどん情報出してますね。大丈夫ですか?」

 

彼女にしてみたら、私がネット上に情報を出すことによって、今までクローズにしていた部分で得ていた収益が確保できなっているのではという疑問だったらしいのですが。

 

結論。

まったく大丈夫です。

 

自分の持っているノウハウがすごいと思っているのは自分だけかもしれない。

それに、文章を読んだだけで、ノウハウを自分のものにできるほどの理解力を持っている人間は、それほど多くないはず。

そもそも、自分の言いたいことを、会ったこともない人間に100%理解してもらえるような文章が、私に書けるわけがないですしね。(そんな文才があったら、今頃はもっと違うことをやっていたに違いありません。)

 

唯一、クライアントさんとそのプロジェクトに関わる情報だけは、SNSに出さないように気を付けていますが、それ以外はまったく自由気ままに書いています。

まったく知らない方が私の書いたものを読んだ時に、「この人は詳しそうだ」「この人なら何とかしてくれそうだ」と思っていただくことが重要なので、逆に出し惜しんではいけないのです。

文章を読んだ方が、「もっと知りたい」と思ってくれればしめたもの。

 

友人には、「私がその境地に行くにはまだ時間がかかりそう」と言われたのですが、本当に心がけひとつだと思うんですよね。

情報も人脈もお金も、出してこそ入ってくる。

だから、出し惜しみしたら損。

 

出し惜しみするなとは、あちこちで言われていることではあるのですが、実践できている人は実は少ないのかなと思います。

私の経験上から言わせてもらうと、どんどん出してしまって大丈夫。

出し尽くしたら終わってしまうものなんて、どちらにしろ大したノウハウではないですから。

 

【オタクであることは幸せである。】

 

オタクという言葉が世の中で好意的に受け入れられるようになって、久しい。

かつてはネガティブなイメージの代名詞だったような言葉だが、すっかり世の中に定着して、オタクであることがブームだと言われているくらいだ。

オタクになってみたい願望を持っているだけの仮性オタクは別として、誰に教わらずともオタクの気質を持ち合わせている真性のオタクは幸せを感じやすい人種だ。

大好きなものに触れて世界感に浸る、それだけで、幸せを感じることができる。

オタクが金儲けに抵抗を見せるのは、オタクの幸せの尺度がお金で測れないものだからである。

 

今まで認めたくなかったが、私は間違いなくオタクだ。

別に今どきのアニメやマンガにのめり込んでいるわけではないが、好きなものを見つけると時間もお金も費やして、それに対して後悔どころか満足してしまう気質は間違いなくオタクで、これは一生変わらないに違いない。

私も、私の真性オタクの友人たちもいまひとつ、ビジネスにおいてお金を効率よく儲けるという点においてピリッとしないのは、オタクであることが邪魔していると思っている。

なぜなら、オタクはお金があってもなくてもそれなりの人生の楽しみ方を知っている人種であり、お金を儲けることは好きなことをやった結果得られた、副産物に過ぎないのだ。

 

我が家は定期的にオタクの血が発現する家系のようで、一代に一人は、自称研究者や自称芸術家が出ている。

世の中の流行り廃りに左右される家業では、口が裂けても裕福だとは言えない生活だったはずなのだが、彼らは皆、自分の好きな世界に没頭している時は、いつも楽しそうだった。

そんな家族を配偶者や親として持ったほうは大変だったと思うが、当の本人はきっと幸せだったに違いない。

 

私は自分で事業を回している身であるので、一とおりの世の中の動きと経済情報には目を通している。

根っからのオタク気質の割には、きちんと趣味と仕事のバランスを取っているほうだと思うが、それでも、オタクとして純粋に応援していたものがビジネスの世界で第三者の食い物にされそうな場面に出くわすと、眉を顰めたくなる。

お金になるのだからいいじゃないかと言われても、そんな簡単に納得できるものではない。

オタクの心情はデリケートなのだ。

 

好きなものに囲まれることは幸せだ。

オタクの話を聞いていると、「毎日がどんなに大変でも、これがあるからがんばれる!」という話が非常に多い。

オタク気質が無い人にしてみたら、「何を現実味の無いことを言っているのか・・・」となると思うが、それが真性のオタクなのである。

 

何はなくとも、これさえあれば幸せ。

 

これって、全ての人にとって、「幸せとは何か」を論ずるひとつの視点になると思っているのだが、いかがだろうか。


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私の最新のオタク的活動。
スポーツウイップこと鞭を振るのが楽しいです。

 

【人間はすべからくヒト科ヒト属の動物】

寒い冬の日、温泉に入りに来る野生の猿たちをご存知ですか?
長野の山間に地獄谷という温泉地があるのですが、そこはまさに野生の猿たちの秘境。

この地獄谷野猿公苑を2年前に訪れた時、運良くお猿さんたちの入浴風景を見ることができました。
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こんなの。
入浴中失礼しますね。

このお猿さんたちを見るべく、雪の中にもかかわらず、沿道には人だかり。
日本人よりもむしろ海外からの観光客が多い。

この野生の猿たちの入浴ですが、かつてはこんな習慣はなかったそうです。
数十年前の冬のある日、好奇心旺盛な一匹の野生の子猿が温泉に飛び込んだところ、これはいいぞということで、群れの中から入浴する猿が続出したとか。

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いかにも気持ち良さそうです!

ただ、疑り深い猿もいて、そういった猿(主に大人の猿)はまったく入浴しないのだとか。
飛び込むのに躊躇している猿もちらほら。
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この猿の様子が、本当に人間とよく似ていて。

子供のほうが先入観が無いとか
大人になると疑り深くなるとか
リラックスすると表情が柔らかくなるとか
子供はやっぱりかわいいなあとか
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人間だって所詮、霊長類ヒト科ヒト属の動物なわけだよなあと。
あなたも動物、私も動物。
大好きなあの人も、いけすかないあの人も。

そう考えると、日々の悩みがとんでもなくちっぽけなモノに思えて、生きやすくなるなあと思うのでした。
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週末なので、たまには観念的な話にしてみました。
肩寄せ合って暮らすお猿さんたちの姿は、勇気づけられます(^^)

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【親が与えなくても、子供は勝手に育つ】

 

SNSで流れてきたリンクで、とあるパワーブロガーさんが書いている「お金も時間もない一般的なサラリーマン家庭で子育てしようという発想は異常」という記事を知った。

炎上商法を狙っているのはわかるし、嫌なら読まなければいいだけだ。

けれど、それでも書いていいことと悪いことはある。

それは、「お金も時間もない一般的なサラリーマン家庭」で育った子供が、「お金も時間もある裕福な家庭」で育った子供よりも劣っている、という思想につながるからだ。

 

そもそも、子供の成長を親(の収入)によってコントロールできると考えていることが、傲慢な考え。

子供は生まれてくるだけで尊くて、誰かにコントロールされて成長するべきものではない。

 

お金のない家庭で育ったからといって、子供が不幸なわけではない。

子供の幸せは親が与えるべきなんて考えは、そもそも思い上がりでしかない。

勝手に育っていくのが子供なのだ。

確かに、子供に「より多くの人生の選択肢」を与えるためには、お金が必要な場面が多々あることは認める。

しかし、お金が無いなら無いなりに、世の中にはいかに不条理な事案が多いかということを学べるわけだし、お金が無くても人は生きているということを目の当たりにできるので、お金があったほうが視野が広い人間が育つということは、まったくない。

 

私自身は、「お金も時間もない」シングルファーザーの家庭で育った。

周囲の人の話を聞く限り、事業に失敗して貧乏だった家に生まれた私の父は非常に勉強ができる人で、若い頃は誰もが振り返る俳優のようなルックスの持ち主だったそうだが、地道な努力を重ねるタイプで決してガツガツしたところがなかった。

父は奨学金を取って大学を卒業して大企業に入り、大学時代に知り合った私の母と結婚し、そして私が5歳の時に死別した。

 

我が家にはお金がなかった。

特に、私の小学生時代は、お金がないという父の発言を何度聞いたかわからない。

父の奨学金の返済もあったであろうし、私の面倒を見てもらうシッターさん(という名の近所の皆さん)にお支払いするお金も必要だったから、30前後の会社員には荷が重かったのは当然だ。

そんな家に育った私が大学まで行けたのは、ひとえに父が、海外で単身働くことを選んで、日本で働くよりも高給を稼げるようになったからに他ならない。

学生の私を日本に置いて、父は十数年間北米で働いていた。

そもそも日本にいた頃も毎日仕事からの帰宅が遅かったので、「こうしなさい」「ああしなさい」と父から言われたことは一度もなく、私の子供時代は野放し状態だったと思う。

もちろん、「勉強しなさい」と言われたことも皆無だ。

受験の時も、「国公立であれば大学までの学費は出す。その後は一切面倒を見ないので、どうしたらひとりで生きていけるかを考えて、学校を選べ」と言われたきりだ。

それでも私は、友人たちの家庭の話を聞きながら世間のスタンダードを図りつつ自発的に行動して、自分で必要だと感じたらそれなりに勉強もして、今はこうやって好き勝手やりながら楽しく生きている。

私が唯一恵まれていたとすれば、子供の頃から親戚や友人宅をたらい回しにされることが多々あったことかもしれない。

本来は自宅で家族と過ごすべきところを、さまざまな家庭に迎え入れてもらって、多種多様なその家の価値観に触れることができたこと、それしかない。

 

子供の価値観は、周囲の大人に影響されることが多い。

昔、私がアメリカで出会った、短期の語学留学中の18歳になる日本人の女の子が、「xxの国の人と仲良くすると、親が嫌がる」と言うのを聞いた時は、ゾッとした。

日本語で理由を聞いたら、「血が汚いからダメなんだって」と返された。

恐らく彼女は親御さんのその言葉を素直に信じていたのだろう、他の国からの留学生に対しても拙い英語で同じ説明をしていた。

彼女の英語が拙かったから、他の国の留学生もそれほどの問題発言だとみなさずスルーしていたが、私自身はその時のことを、20年以上経った今でもはっきり覚えている。

話を聞く限り、彼女の親御さんは資産家でいくつも会社を経営しているらしく、彼女は私立のお嬢様学校、妹さんは子供の頃からインターナショナルスクールに通っているのだとか。

このように、「視野が広くなる」筈の環境に置かれていても、結局は偏った価値観しか持たない人間になってしまうわけだ。

こんなことがあったので、お金がすべてという価値観には、私は真っ向から反対する。

 

最後に、子供の教育について触れる。

子供の教育にかける費用負担を、各家庭に100%委ねるのは、もう止めにしてもらいたい。

国としてバックアップしてもらいたいのは、一定以下の所得しかない世帯に対する高校までの教育費の無償化と、本当に勉強したい学生のための返還の必要がない奨学金制度の充実。

たとえば、在学中の学内の起業を積極的に支援して、利益が出るビジネスを考案した学生については奨学金返済を免除する、などというシステムはどうだろうか。

 

生まれてきた家庭でその後の人生が決まってしまうなんて、ナンセンスにもほどがある。

学習意欲のある子は、独り立ちするまで社会全体としてフォローするような体制を作ってもらいたい。

そんな制度があったら、女性側だって、相手の年収に関係なく結婚して子供を産みやすくなる。

 

今日のこの記事は、子育て奮闘中の友人たちには不快な思いをさせてしまうかもしれないけれど、子供側からの思いを書く人がいなければ、と思って書いた。

くだんのパワーブロガーさんに私が言いたいのは、「あなたの記事を、子供が読んだらどう思うか考えてみたことはありますか?」だ。

大人同士が自分の意見を主張し合うのは勝手だけど、子供にまで偏った価値感を植え付けないでほしい。

 
一昨年、その父と行った地獄谷温泉のおさる。
子供の頃は、一緒に過ごす時間がほとんどなかった父に言いたいことがそりゃたくさんありましたが、今になって思えば、放任主義・・・というか自由主義で育ててくれて、本当に感謝してる。