【自信が持てない自分を受け容れれば、人生ラクになる】

 

 昔からよく言われること。

 

「いつも楽しそうでいいね」

 

とか。

 

「運に恵まれているね」

 

とか。

 

「何でもできていいね」

 

とか。

 

 

・・・・・・・。

結論から言って、そんなことは一切ない(苦笑)

 

 

一部の人は気づいていると思うけれど、基本的に私は、

 

決して器用ではないし

 

何度繰り返しても人一倍できないことっていうのも多々あるし

 

そのくせ好き嫌いは激しいし

 

やりたいことしかやらないし

 

・・・とまあ、こんなカンジなので、人生の行く末なんて不安だらけで、どこで行き倒れてもおかしくないと考えている。

平凡極まりない私は、とてもではないが、本心では自分で自分に自信があるなんて言えないのだ。

 

 

でも、だ。

自分程度の能力の人間は履いて捨てるほどいることがわかっているからこそ、常に危機感があることは、悪くないと思っている。

自分の知識や能力がすべてではないとわかっているからこそ、他者の意見に耳を傾けることに貪欲になれる。

 

 

自信がないとか不安だらけだとか、一般的にはマイナス部分のほうが多いとされている。

実際、自信がないゆえに、肝心な部分で毎回失敗してしまうような人にとっては、自信の無さはマイナスでしかない。

 

しかし、その思いがプラス方面に作用することもある。

自分の能力を過信することがなく、客観的に自分の能力を判断できるのだ。

私のように、できる限り手抜きをして、ラクをして人生を送りたい人間にとっては、実力以上の自信なんてものがあったら、まったく努力しなくなることは目に見えている。

自分の能力を客観的に見ることは、大事な局面で判断を見誤らない上で重要なのだ。

 

自信のなさと人生に対する不安感をバネに、私のような凡人は生きていくしかない。

 

【優劣とは、無数にある評価基準のひとつに過ぎない】

 

いつも私の髪の面倒を見てくれている美容師さんから聞いた話がとてもステキだったので、今日のブログはその話題です。

 

先日彼が道を歩いていた時、たまたま耳に入ってきたという、知らない子供とお母さんの会話がこれ。

 

 

子供「かけっこで一番になったんだよ!」

お母さん「すごいね。でも、一番になれたのは、お友達が一緒に走ってくれたからなんだよ。」

 

 

これ、すごくないですか?

お母さんの返しがすごい。素晴らしい。

実際にその会話を聞いた美容師さんとも一緒に、「すごいですね!」と盛り上がりました。

少なくとも私は、この短いやり取りの中に、大人になっても見習わなければならない人生を生きていく姿勢が、十二分に込められていると思ったのです。

 

それが

 

<きちんと子供を褒める ⇒ 一番というのは絶対的な基準ではないことを諭し、友人への感謝の気持ちも喚起する>

 

・・・なんですよね。

このお母さん、とっさにそんな言葉出てくるとは、すごいです・・・。

 

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この話を聞いて、私が副産物的に感じたことも、補足しておく。

実際、その時に一番になったからといって、常に一番でいられるわけではない。

そもそも、競走とは、相手があるからこそできるもの。

相手がいつも自分より下だとは限らなくて、いつも一番下だった人でも、環境が変わっただけで一番上になることだってあり得る。

そして、一番でない時にどのように感じるかについては、知っておいたほうがいい。

 

人間とはとかく順位付けが好きな生き物だ。

ごく僅かのしがらみから解放されている人を除けば、通常は優越感と劣等感の両方を持って生きていかざるを得ない。

そもそもの問題は、いちいち他人の評価を気にして、それに左右されるからだ。

順位付けはあくまでも他人が決めているもので、それに囚われるも解放されるも、最終的には自分次第。

自分に自信を持つということは、他人の評価を気にせず、自分自身の下した絶対的な評価に基づいて生きていくことだ。

他人の評価はあくまでも他人の価値基準であって、本当の価値は、自分自身で決めればよいのである。

 

他人は他人、自分は自分。

優越感と劣等感を手放すことは難しいけれど、試みる価値はある。

 

【出し惜しみしないほうが、全てがうまくいく】

 

先日、個人でビジネスをやろうとしている友人と話していた時の話。

こんなことを言われました。

 

「積極的にSNSを始めてから、不特定多数に向けてどんどん情報出してますね。大丈夫ですか?」

 

彼女にしてみたら、私がネット上に情報を出すことによって、今までクローズにしていた部分で得ていた収益が確保できなっているのではという疑問だったらしいのですが。

 

結論。

まったく大丈夫です。

 

自分の持っているノウハウがすごいと思っているのは自分だけかもしれない。

それに、文章を読んだだけで、ノウハウを自分のものにできるほどの理解力を持っている人間は、それほど多くないはず。

そもそも、自分の言いたいことを、会ったこともない人間に100%理解してもらえるような文章が、私に書けるわけがないですしね。(そんな文才があったら、今頃はもっと違うことをやっていたに違いありません。)

 

唯一、クライアントさんとそのプロジェクトに関わる情報だけは、SNSに出さないように気を付けていますが、それ以外はまったく自由気ままに書いています。

まったく知らない方が私の書いたものを読んだ時に、「この人は詳しそうだ」「この人なら何とかしてくれそうだ」と思っていただくことが重要なので、逆に出し惜しんではいけないのです。

文章を読んだ方が、「もっと知りたい」と思ってくれればしめたもの。

 

友人には、「私がその境地に行くにはまだ時間がかかりそう」と言われたのですが、本当に心がけひとつだと思うんですよね。

情報も人脈もお金も、出してこそ入ってくる。

だから、出し惜しみしたら損。

 

出し惜しみするなとは、あちこちで言われていることではあるのですが、実践できている人は実は少ないのかなと思います。

私の経験上から言わせてもらうと、どんどん出してしまって大丈夫。

出し尽くしたら終わってしまうものなんて、どちらにしろ大したノウハウではないですから。

 

【オタクであることは幸せである。】

 

オタクという言葉が世の中で好意的に受け入れられるようになって、久しい。

かつてはネガティブなイメージの代名詞だったような言葉だが、すっかり世の中に定着して、オタクであることがブームだと言われているくらいだ。

オタクになってみたい願望を持っているだけの仮性オタクは別として、誰に教わらずともオタクの気質を持ち合わせている真性のオタクは幸せを感じやすい人種だ。

大好きなものに触れて世界感に浸る、それだけで、幸せを感じることができる。

オタクが金儲けに抵抗を見せるのは、オタクの幸せの尺度がお金で測れないものだからである。

 

今まで認めたくなかったが、私は間違いなくオタクだ。

別に今どきのアニメやマンガにのめり込んでいるわけではないが、好きなものを見つけると時間もお金も費やして、それに対して後悔どころか満足してしまう気質は間違いなくオタクで、これは一生変わらないに違いない。

私も、私の真性オタクの友人たちもいまひとつ、ビジネスにおいてお金を効率よく儲けるという点においてピリッとしないのは、オタクであることが邪魔していると思っている。

なぜなら、オタクはお金があってもなくてもそれなりの人生の楽しみ方を知っている人種であり、お金を儲けることは好きなことをやった結果得られた、副産物に過ぎないのだ。

 

我が家は定期的にオタクの血が発現する家系のようで、一代に一人は、自称研究者や自称芸術家が出ている。

世の中の流行り廃りに左右される家業では、口が裂けても裕福だとは言えない生活だったはずなのだが、彼らは皆、自分の好きな世界に没頭している時は、いつも楽しそうだった。

そんな家族を配偶者や親として持ったほうは大変だったと思うが、当の本人はきっと幸せだったに違いない。

 

私は自分で事業を回している身であるので、一とおりの世の中の動きと経済情報には目を通している。

根っからのオタク気質の割には、きちんと趣味と仕事のバランスを取っているほうだと思うが、それでも、オタクとして純粋に応援していたものがビジネスの世界で第三者の食い物にされそうな場面に出くわすと、眉を顰めたくなる。

お金になるのだからいいじゃないかと言われても、そんな簡単に納得できるものではない。

オタクの心情はデリケートなのだ。

 

好きなものに囲まれることは幸せだ。

オタクの話を聞いていると、「毎日がどんなに大変でも、これがあるからがんばれる!」という話が非常に多い。

オタク気質が無い人にしてみたら、「何を現実味の無いことを言っているのか・・・」となると思うが、それが真性のオタクなのである。

 

何はなくとも、これさえあれば幸せ。

 

これって、全ての人にとって、「幸せとは何か」を論ずるひとつの視点になると思っているのだが、いかがだろうか。


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私の最新のオタク的活動。
スポーツウイップこと鞭を振るのが楽しいです。

 

【人間はすべからくヒト科ヒト属の動物】

寒い冬の日、温泉に入りに来る野生の猿たちをご存知ですか?
長野の山間に地獄谷という温泉地があるのですが、そこはまさに野生の猿たちの秘境。

この地獄谷野猿公苑を2年前に訪れた時、運良くお猿さんたちの入浴風景を見ることができました。
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こんなの。
入浴中失礼しますね。

このお猿さんたちを見るべく、雪の中にもかかわらず、沿道には人だかり。
日本人よりもむしろ海外からの観光客が多い。

この野生の猿たちの入浴ですが、かつてはこんな習慣はなかったそうです。
数十年前の冬のある日、好奇心旺盛な一匹の野生の子猿が温泉に飛び込んだところ、これはいいぞということで、群れの中から入浴する猿が続出したとか。

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いかにも気持ち良さそうです!

ただ、疑り深い猿もいて、そういった猿(主に大人の猿)はまったく入浴しないのだとか。
飛び込むのに躊躇している猿もちらほら。
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この猿の様子が、本当に人間とよく似ていて。

子供のほうが先入観が無いとか
大人になると疑り深くなるとか
リラックスすると表情が柔らかくなるとか
子供はやっぱりかわいいなあとか
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人間だって所詮、霊長類ヒト科ヒト属の動物なわけだよなあと。
あなたも動物、私も動物。
大好きなあの人も、いけすかないあの人も。

そう考えると、日々の悩みがとんでもなくちっぽけなモノに思えて、生きやすくなるなあと思うのでした。
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週末なので、たまには観念的な話にしてみました。
肩寄せ合って暮らすお猿さんたちの姿は、勇気づけられます(^^)

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