【光を意識すれば、誰でもきれいな写真が撮れる】

 

昨日の記事「美しくなりたいなら、写真を撮られること」をアップしてから、「写真うつりをよくする方法」についてネットで調べてみました。

でも、出てくる情報がどれも、「口角を上げる」とか「楽しいことを考える」とか、自分のマインドを変化させることによるきれいな撮られ方で、撮影時の環境には言及していないんですよ。

どこから写真を撮られても絵になる美男美女は、それこそマインド勝負になってくると思うのでいいんですよ。

でも、一般人をきれいに撮るのであれば、マインドよりもむしろ撮影環境のほうが大きいと思っています。

 

そんなわけで、私が考えるきれいな撮られ方を挙げておきます。

ムスッとした顔でも、楽しいことを考えなくても、これなら確実にマイナス5歳の写真が撮れます。

 

<その1>

光の入ってくる方向とその強さを意識する(直射日光のような屋外よりも、室内の関節光のほうが光の調整はしやすいはず)

 

<その2>

白い壁の前に立つ(肌がきれいに撮れるのはもちろんのこと、瞳に光が入って、生き生きした印象になります)

 

光を意識するだけで、ビューティープラスを使わなくても5歳若い写真になりますから!

骨格によってもどこに光源を置くのがいいか変わってくると思うので、時間のある時に光をあれこれ自分の顔に当てて、どこからの光が一番自分の撮られたい顔になるのか、知っておくことをおすすめします。

慣れてくると、「もう少しこの方向からの光がないと、法令線が目立つだろうなあ」・・・とか、肌で感じられるようになってきます。

自撮りをする時にも応用できるテクニックだと思いますので、ぜひ試してみてくださいね。

 

白い壁については、壁がなければ、白い服を着た人に前に立ってもらうだけでも違います。

私が知っているカメラマンさんには、女性を撮影するときは必ず白い服を着るようにしている、なんて方もいらっしゃるくらいです。

 

昨今は補正が前提になっているようで、昔ほどカメラマンさんが光を気にしておられるわけではないな~と思います。(もちろん、照明に力を入れておられるカメラマンさんもいらっしゃいますよ!でも、そうでない方もいらっしゃるなあというのが、私の正直な感想。)

だからこそ、被写体のほうで光を意識する習慣をつけておくと、「せっかくお金を払って撮ってもらったのに、仕上がりがイマイチ・・・」なんてことがなくなります。

 

個人的に、写真は光が命だと思っているので、光を味方につけて、補正いらずの写真が撮れればいいなあと思うのでした!


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【美しくなりたいと思ったら、大量に写真を撮られるのがいい】

セルフィー全盛の世の中だけど、たまには第三者に写真を撮られたほうがいい。
なぜかというと、人が見ている自分の姿は、第三者が撮った写真に写る姿だから。

私はこの20年、少なく見積もっても毎月100枚は撮られている。
少なくて100枚なので、多い月だと軽く1000枚を超える。

もちろん、好きな写真も嫌いな写真もあるけれど、どちらも紛れもない自分自身。
疲れて見える顔を撮られた時はきちんと睡眠を取ろうと思うし、姿勢が悪い写真を撮られた時はもっと背筋を鍛えようと思う。

第三者に撮られた時にどこまで好きな写真を出せるかが、自分の見せ方の上手さのバロメーターになる。
だから、自分の好きな角度からのみで自分を撮っていては、他者に説得力を与えるには不充分なのだ。

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そんな私のセルフィー。
おしゃれの学校のやまだみゆきさんのフォトセッション企画の撮影の合間にパシャリ。
正直言って自分の正面顔は好きじゃないけれど、何度も繰り返し見ているとこれが今の自分なのだから仕方ないと思えてくる。

【もうイマドキを意識するのはやめる】

 

ここ3ヶ月、メインの法人向けビジネスに加えて、なんとか個人向けビジネスを立ち上げようと思って突っ走ってきたのですが。

なにやら、世間の流行りや今をときめく起業家さんたちの成功体験ばかり見ていて、本腰入れて始める前からほとほと疲れてしまいました・・・。

 

どうしてこんなに疲れているんだろう。

何がいけないんだろう。

 

ここ数日ぐるぐる考えていて行きついた答えは、「流行にまったく関心がなかった私が、ガラにもなく、今まさに流行っている活動ばかりを追っているから」。

ホント、これしか考えられない。

 

昔から私を知っている人は納得してくれると思うんだけど、私、流行とは無縁なんですよ。

しかも、「流行ってしまったから、これはキライ」という結果論ではなく、「私が好きになるものは、世間では一般ウケしない」という不条理な事実が過去にいくつもあったわけです。

そもそも、好きな歌手は?と訊かれて、「藤山一郎さんと淡谷のり子さんです!」と即答している人間が、流行モノを追うわけはないのです。

(藤山一郎さんと淡谷のり子さんがわからない人は、70代以上の年齢の方に訊いてくださいネ!)

 

仕事だってそう。

新商品開発をやっていても、「お前が面白いというものは一般ウケしないから」と何度言われたことか。(まあ、実際一般ウケしないんですけどね・・・)

ただ、マスの部分という意味で一般ウケしないだけであって、「コアなファンから、ディープな理解を得られる」という部分においては、私のセンスは決して捨てたものではない。

だから、日本全国で大ヒット!というような大きな数字は見込めなくとも、特定の層が何度もリピートする長期的な隠れたヒット商品を生み出すことにかけては、けっこう自信がある。

 

そんなわけで思ったのが、「私がイマドキのやり方を踏襲しても、実はどうしようもないんじゃないの?」ということ。

逆に、「これは売れるセオリーからは外れる、でも私はこれがやりたい」ということをピックアップして進めていくほうが、実は私にとっては効率的なのではなかろうか。

 

有名な経営者やコンサルの皆さんが、「こうしたら売れる」ようなことをおっしゃっておられますが、それだって絶対ではないですからね。

成功したから、それが正解になっているだけ。

結局は各人が試行錯誤しながら進めていくしかない。

 

ビジネスって、正解がないからこそ面白いのだなあと思った台風一過の月曜日なのでした。

 

 

余談ですが、私のカラオケの十八番は「東京ラプソディ」です。

藤山一郎さん大好き・・・!

 

カラオケは、友人と行っても昭和20年代歌謡を愛する私は肩身が狭いので、1人で行くことが多いかな~・・・;;

(歌うのは大好きだけど、私が歌いたいと思う歌は、同年代の友人たちは誰も基本的に知らない・・・)

 

ふと思ったのだけど、宝塚歌劇を見ていると妙に安心するのは、大昔の曲のカバーが多いからに他ならないのかも・・・しれない。

【ブルーオーシャンならぬ無人島】

 

私が携帯電話を初めて持ったのは2004年秋。

世間一般の普及と比べて、かなり遅かったと思う。

当時、友人たちの中で携帯電話を持たずに生活していたのは、私くらいだった。

携帯電話なんて一生持たなくてもいいと思っていたのだけれど、入院することになったため、会社や父との緊急連絡用にやむを得ず契約した

「何かあった時に連絡がつくのはありがたいから、ずっと持っていてほしい」と周囲から乞われ、結局退院後も携帯電話を持つようになって、現在に至る。

独立してからは必須になった携帯電話だが、正直、独立する前までは無いなら無いでいいやと思っていたくらい、私にとってはどうでもいいツールだった。

 

私が意識してSNSにアクセスするようになったのは2015年になってから。

これも、世間一般の普及と比べて、非常に遅かった。

切っ掛けは、私よりも一回り以上年下の人たちと知り合う機会が増え、その子たちと交流を保つためにはSNSをやっていないとどうしようもないのだと気づいたからだ。                                                                                                                     

もともとは趣味のほうで知り合った人たちとコンタクトするためのSNSだったが、SNSへのアクセスが多くなるにしたがって、SNSを仕事に利用している人たちが世の中にいかに多いかを知り、衝撃を受けた。

私のいる業界は、商品の発注にいまだにファックスを使っている顧客も珍しくないほどオールドファッションなのだが、そんな業界も、いずれはSNSと無関係でいることはできないと確信し、SNSを私自身の仕事にも応用できないか、模索し始めた。

 

で、なぜ私がSNSやネットを利用した商売方法を模索しているかというと、うちの業界では積極的にやらない人ばかりだからなのだ。

子供の頃から一貫して、私は人と同じことをやるのがイヤだ。

「変わっているね」と言われるのは、もはや私にとっては褒め言葉。

どうせやるなら、誰もやっていないことをやりたい。

(ただ、私の場合、意識して人がやっていないことばかりをやっているわけではなく、「自分がやりたいことをやったら、そこには誰もいなかった」というほうが正しいんですけどね!ブルーオーシャンというよりは無人島の気分ですよ・・・!!)

 

真似するのもイヤ。

商品開発をやっていると、「あの会社がやっているあの商品の類似品を、うちにもほしい」と言われることはよくあるけれど、往々にして値下げ競争になるだけの商品開発になることが目に見えているので、あまり身が入らない。

類似品とはいえ、後発としての付加価値をつけた結果、コピー元の商品とはまったく別物に仕上がるような商品開発になるのならいいけれど、そこまでの予算と時間を割けるケースというのは限られている。よって、大概は後ろ向きにならざるを得ない。

 

ついでに人に真似されるのもイヤ。

だから、誰かに真似されたら、誰もやっていない別のことを探す。

楽しくサバイバルしていた無人島に船団がやってきたら、私はいかだを組んで新たな無人島を探しに行く。

何もないところが好き。

そんなタイプが私。

 

若い時だからこそ、できることがある

 

オスカー・ワイルドの生涯をテーマにしたミュージカル、「WILDe BEAUTY」を観てきました。

ミュージカル自体は私の大好きなデカダン爆発な世界観でとっても楽しかったんですが、これを観て私、不覚にもボロ泣きしてしまって。

どこで泣いたかというと、オスカー・ワイルドが人生を回顧している年齢が、ちょうど今の私くらいなんですよね。

次から次へと若者の輝きに魅せられて、破滅していくの。

 

わかりすぎてつらい。

 

誰しも年はとるものだと思っているし、いつの時代もその時の自分が一番好きだし、これ以上年をとっていくことにも抵抗はありません。

ただ、「若い人がうらやましい」とは、いつも思ってますよ!(本当に思ってますからね!!)

ありがたいことに、趣味の世界で私と遊んでくれるお友達は20代~30代なので、そこかしこで「若いってやっぱりすごいなあ」と思う。

これは、自分が2030代だった頃には、まったく気付かなかったこと

 

私は年齢の割には新しもの好きで、何事も躊躇せず取り組んでいるほうだと思いますが、それでもやはり、何かをやるにあたって30代までのような絶対的な自信は持てないんですよね。

もちろん今でも、「為せば成る」とは思っていますが、30代までのように、自分が信じる方向にとことん突き進むようなことはない。

その理由は体力の衰えであったり、外見に否が応でもにじみ出る年輪だったりするわけですが、「若者はキラキラしていていいな」と感じることが既に老いなのだと認識しました。

自分自身が若い世代だった頃は、キラキラ・・・というよりむしろギラギラ光っていた上の世代の方々が年齢とともに大人しくなっていくのを見て「あんなにとがっていたあの人が、すっかり丸くなったなあ」と思うことがよくあったのですが、これって誰もが通る道だったのだなと今こそ実感しています。

 

若者の特権は永遠には続かないからこそ、今、「怖いものなんてない、望めばなんでも叶う」と思っている人には、ガマンも躊躇もせずとことん突っ走ってもらいたい。

40代になる前の私が実際そうだったので、心の底からそう思う。

上から目線だと感じられるかもしれませんが、これ、老いを感じる瞬間が訪れない限りは理解できない感情だから。

                                                                                                                     

今までずっと認めるのが嫌で目を背けてきたけれど、私もすっかり人生の後半に差し掛かっているなと思う。

若者がまぶしいと感じる今日この頃です。

若いって本当にいいな!

 

最後にね、オスカーワイルドの有名なこの言葉。

 

Be yourself; everyone else is already taken.

自分らしくあれ。他の人の場所はもう埋まっている。

 

今読むと、これって彼が自戒をこめて言っているように思えて、また泣けます・・・。