龍に乗った日
不思議な夢を見た。
小さな竜がいる。
東方の蛇の様なものではない。西洋のドラゴンに相当するヤツだ。
私とその竜は、長年のパートナーらしい。
勿論、私の人生において竜とパートナーを組んだなどという経験は無いのだから、
その竜は私の脳が色々の情報を組み合わせて創り上げた生物なのだろう。
夢というのは奇妙なもので、夢の中の私は、その「創造上」の生物が私の相棒であって、彼と何時、何処で、何をしたかを明確な記憶として保持している。
小さな竜と私は色んな所に行った。
それは緑豊かな山中の寺院だったり、荒涼とした砂浜だったり、遥かに続く街道だったり。
竜は私を背に乗せて、実に良く働いてくれた―――らしい。
そして。夢の中。
竜は「いつもの様に」私を背に乗せている。
眼の前には、遠く天まで延びる回廊がある。極彩色で彩られた回廊は螺旋を描きながら上昇しており、地上からはその終点が見えない程である。
竜の背に乗って、私は空を飛んだ。回廊に沿って上昇した。
何時もと同じような、穏やかな道程である。
である、はずだった。
随分高いところまで来た。最早地上は見えない。しかしながら、終点も見えない。
竜の、上昇の速度が緩んだ。
始めは気のせいかと思った。しかし、速度は落ちて落ちて、果ては歩くほどの速度になった。(上昇で歩く、というのは矛盾した表現ではあるのだが。)
落ちたら命は無い。
しっかと竜に抱きつきながら、私は恐る恐る尋ねた。
「大丈夫?」
暫く、沈黙があって、竜の声が頭中に響いた。
竜は話す事が出来ない、陳腐な言葉だが、心に直接語りかけて意思の疎通をはかる。
竜は、どうしようも無い程優しく、それでいて心の奥に良く響く「声」で言った。
「大丈夫。」
竜はぐいと速度を上げた。何だか、不安になった。
場面が変わる。
其処が「終点」である事はすぐ知れた。例の確信めいた記憶があった。
私は竜を抱いていた。
小さな、小さな竜であった。こんな体躯でどうして私なんかを乗せられたのだろう、と思った。
竜は、消耗していた。
例の確信が。
「コイツはもう駄目だ。」
そう告げた。
私は、竜に何か語ってやったようだが、良く聞こえなかった。
それが、無性に悲しかった。
竜は、またあの優しい声で、ぜぇぜぇと息をしながら、一言。
「ありがとう」
と言った。
それきりだった。
私は竜を抱き続けた。
その内に覚醒に向けて世界は歪んでいった。
小さな竜の亡骸の心地よい暖かさだけは、最後まで残った。
不思議で、悲しく、優しい夢であった。
「点」を見る日
小さい頃から美術が苦手だった。
三次元世界の住人として恥ずかしくなる様な空間把握能力の欠如振りを発揮して、
遠いとか近いとかいった概念の無い、平板な絵ばかり書いて怒られ、謗られ、詰られていた。
私の視力は低い。しかし目の機能自体に何ら問題があるわけでは無い。
そもそも、現代社会において、視力1.0なんていう人間は稀有なのだから、視力の程度を指して『目が悪い』という、脳の足りない言い方は改めるべきだと思うのだが。
まぁ、良い。本題は其処に無い。
機能的に問題が無い私の視神経は、脳に粛々と三次元的な情報をインプットしていく。しかしながら、アウトプットされてくるのは奇妙な二次元の世界である。
実家に並べられた妙な絵の数々が、その証明である。
つまり、私の脳は三次元的な情報の処理能力に乏しいようである。
その所為であろうか、私は時折恐ろしくなる事がある。
遠近法に従えば、近くにある物は大きく、遠くにある物は小さく見える。
この遠くにある物が小さく、というのが問題なのである。
遠く、遠くを見つめていくと、全ての者は縮小し、やがてある一点に収束していく。
私は、その「点」が恐ろしい。
私のいる世界が、三次元の世界が。
あの点を中心に構成されているような気がしてならないのだ。
「点」に収束していくのか、「点」から拡散していくのか定かでは無いが、いずれにしても「点」は、世界の「素」の様な物の詰まった、畏怖すべきカオスそのものである。
時折。
開けた所を歩いていると、その「点」に出会うことがある。
そして、歩を進めるのが恐ろしくて堪らなくなる。
あのカオスまで到達してしまったら、私は―――
嗚呼、二次元の脳が泣き叫ぶ。
薬指になった日
この指は、何の為に存在しているのだろう?
掌を見つめ、私は考えていた。
薬指。お姉さん指。無名指。呼び名こそ様々あれど、用途が明瞭でない。
親指の力強さも無ければ、人差し指のスター性も無い。
中指のいぶし銀の活躍にも、小指の美しいフォルムにも、遠く及ばない。
半端者。
じっと見つめた。
意識が流れ出して、一点に収束した。
「人間、やろうと思えばなんでも出来るものである」
果たして、薬指である。
出来る様な気がして、出来た。それだけの事だ。
諦めの良い私は、小指としての人生(指生?)を踏み出した。
何と言うか。
絶望的に想定の範囲内の暮らしであった。
まず。
独立性に乏しい。
中指や小指のヤツが動くたびに、私は意味も無くお辞儀をする羽目になる。
意識の外で。
筋肉と言う無粋な鎖の所為である。
運動の機会自体が予想よりも多くあった事は幸いなのだが、無意識だけに主張が出来ないのがもどかしい。
私は、私の思い至らぬ次元で頭を下げる。
加えて、そのお辞儀が実に中途半端。
格好の付かない両隣の連中は迷惑しているだろうが、良い気味だと思う。
意識の命令を受けて働く連中に、私の気持ちはわかるまい。
本人が意義を見出せないのだから、卑屈にもなろう。
暫く小指でいるうち、私はすっかり嫌なヤツになった。
数年がたった。
意識からつま弾きにされ、日に数千、数万とお辞儀だけする日々。
役割。
用途。
意義。
うんざりだ。
吐き気がする。
薬指に消化器官を持つ動物がいたのなら、ソイツは大層苦労するだろう、そんな事を思うより仕様が無い。
しかし、今日は少し違った。
意識が、妙だ。
薬指である私が脳の様子を感じ取れるわけは無いのだから、それは「指に伝わる意識」という意味で、である。
不意に、眩しくなった。
鐘の音が聞こえた。
知らない人の手が、指が、触れた。
ぎゅう、とも。すぅ、とも。
なんとも言えない感触を伴って、私は初めて意識で一杯になった。
輝く輪。
嗚呼。
私は、結婚したらしい。
私は再び、お辞儀だけの毎日に戻った。
機能も役割も無い毎日。
それでも。
私は意義を見出した。
輝く輪。掌の冠。
いつか美しく戴冠する為の薬指。
それだけで、存在理由にはお釣りが来るさ。
