「点」を見る日
小さい頃から美術が苦手だった。
三次元世界の住人として恥ずかしくなる様な空間把握能力の欠如振りを発揮して、
遠いとか近いとかいった概念の無い、平板な絵ばかり書いて怒られ、謗られ、詰られていた。
私の視力は低い。しかし目の機能自体に何ら問題があるわけでは無い。
そもそも、現代社会において、視力1.0なんていう人間は稀有なのだから、視力の程度を指して『目が悪い』という、脳の足りない言い方は改めるべきだと思うのだが。
まぁ、良い。本題は其処に無い。
機能的に問題が無い私の視神経は、脳に粛々と三次元的な情報をインプットしていく。しかしながら、アウトプットされてくるのは奇妙な二次元の世界である。
実家に並べられた妙な絵の数々が、その証明である。
つまり、私の脳は三次元的な情報の処理能力に乏しいようである。
その所為であろうか、私は時折恐ろしくなる事がある。
遠近法に従えば、近くにある物は大きく、遠くにある物は小さく見える。
この遠くにある物が小さく、というのが問題なのである。
遠く、遠くを見つめていくと、全ての者は縮小し、やがてある一点に収束していく。
私は、その「点」が恐ろしい。
私のいる世界が、三次元の世界が。
あの点を中心に構成されているような気がしてならないのだ。
「点」に収束していくのか、「点」から拡散していくのか定かでは無いが、いずれにしても「点」は、世界の「素」の様な物の詰まった、畏怖すべきカオスそのものである。
時折。
開けた所を歩いていると、その「点」に出会うことがある。
そして、歩を進めるのが恐ろしくて堪らなくなる。
あのカオスまで到達してしまったら、私は―――
嗚呼、二次元の脳が泣き叫ぶ。