俺は酷いって分かってるからっていう話。
一般的な感覚やモラル。
道徳的価値、常識。
そういう類いのものから、
どうも遠退いているらしい。
と、あらゆる場面で出くわして。
価値観やら哲学なんて、
そんな重たいものを語るわけじゃなく、
いわば、折り合いをつけるのが、
下手くそなだけなんだけれど、
あらゆる意味で、
まだガキのままなんだろうけれど。
性善説で成り立つ世の中なら、
世界の醜悪さや、
無慈悲で、無意識な悪意に、
晒されないで済むのなら、
それがきっと幸せなんだ。
頭では理解できるし、
間違ったことだとは思わない。
積極的否定はしないし、
そういう一面もあるだろうと、
分かってはいるつもりで。
だけど、
それじゃあ納得しかねる部分も、
確かに存在している。
我慢すれば、
耐え忍べば、
やがて去り行く一時の、
ほんの、僅かな時間だろうとも。
優しさがナイ、って。
一言で切り捨てるかもしれない。
とても残酷で冷たいと、
思われることであることも、
十分に自覚しても尚。
経験値として、
いわゆる『不幸なこと』が、
多いからって、
冷静に、分析的に、
そう括られてしまうのかもしれない。
でも、別に環境や境遇が、
例え一般的な『恵まれてる』状態だとしても、多分にこれは変わらない気持ちだと思う。
満たされているかどうか、
それを他人の杓子定規でもって、
計られて、推し量られて。
『今のあなたはこういう状況だ。』
と、突きつけられたとして、
だからもう、それすらも、
嘘に聞こえてしまうんだ。
根の部分とか、
根幹のところで、
決定的に何かが壊れている。
と、自己評価している。
そんな自分が決して嫌いではない。
不易だとか、流行りだとか、
普遍性云々とか、
さもありなんと語られる、
諸行無常に対して、
あらゆる森羅万象において、
どれとして、
確かなものなど存在してはいないのだと。
それはまるで光の正体のような、
物質をミクロの世界で見るような。
粒であり波である。
と、視認されるまでは、
その両方を持ち得ているかの如く。
常に曖昧模糊として、
つかず離れず、
どっちつかずで。
それがむしろ極々自然なこと。
真っ当で当たり前で、
ありふれた摂理で、真理。
表裏一体で、二面性があるはずなんだと。
だがしかし、
結局、人間は白黒つけて、
白が善し、黒は悪し。
別に色に意味などありはしないのに。
だから、世界から孤立する。
排他され、忌み嫌われる。
分かってるから。
それは。
交われないのも、混じれないのも。
反比例で、相違で。
中身は同じなのだけれど、
しかして、
決して相容れる仲ではなくて。
だから、
ひっそり秘めておくから。
足りないからこそ欲するんだろうっていう話!
河野裕さんの、
『その白さえ嘘だとしても』
を読みましたん。
クリスマスを目前に控えた階段島を、異変が襲った。通販が使えなくなったのだ。外界との唯一の接点を断たれた孤島。
島に紛れ込んだ犯人とされるハッカーを追う真辺由宇。時を同じくして、クリスマスに纏わる七不思議が階段島を駆け巡り、佐々岡は少女のためにヴァイオリンの弦を探し、大地は行方不明になり、クリスマス会の準備に勤しむ水谷。。。
そして、イヴの日。各々の物語が交錯する時、七草は階段島の大きな謎と対峙するのだった。
前回から張られた伏線が徐々に回収されていきます。
とはいえ、この物語は一巻目からフーダニットより、ワイダニットのニュアンスが色濃い。
何故なのか、どうしてそうなったのか、
原因と結果のつながり、そしてこれからの行方について。
人間なんて欠落の塊で。
生きていく上で捨てるものなんて、
腐るほどあって。
それは人によって様々なんだろう。
しかし、
捨てたものが全て、
いらないものとは限らない。
ある側面では、
時には捨てることは無くすことだったり、
何かの誰かの、大切な部分だったりする。
現実で生きていくのは、
果たして幸せなのか。
いっそ、
捨ててしまうくらいなら、
失うくらいなら、
夢の中で生きていたいと、
そう願ってしまうのは、
間違ったことなのだろうか。
かく在らんと、
憧れを抱き続ける。
正しいことを選択し、
自分を曲げていく。
何が正解かなんて、
立場により、
時により、
相対的なものだから。
太陽は眩しいから、
直接なんて見られない。
星は遠く煌めくから美しい。
綺麗なものだけ、
辿って、選んで、
そういう世界で生きること。
様々な人の、
あらゆる個々の物語で、
この世界は紡がれている。
舞台の裏側、汚れた部分、
痛みや哀しみ、
当たり前のことが、
いかに当たり前でないか。
色んな思考実験ができる。
そんな一冊です。
河野裕さんの、
『その白さえ嘘だとしても』
を読みましたん。
クリスマスを目前に控えた階段島を、異変が襲った。通販が使えなくなったのだ。外界との唯一の接点を断たれた孤島。
島に紛れ込んだ犯人とされるハッカーを追う真辺由宇。時を同じくして、クリスマスに纏わる七不思議が階段島を駆け巡り、佐々岡は少女のためにヴァイオリンの弦を探し、大地は行方不明になり、クリスマス会の準備に勤しむ水谷。。。
そして、イヴの日。各々の物語が交錯する時、七草は階段島の大きな謎と対峙するのだった。
前回から張られた伏線が徐々に回収されていきます。
とはいえ、この物語は一巻目からフーダニットより、ワイダニットのニュアンスが色濃い。
何故なのか、どうしてそうなったのか、
原因と結果のつながり、そしてこれからの行方について。
人間なんて欠落の塊で。
生きていく上で捨てるものなんて、
腐るほどあって。
それは人によって様々なんだろう。
しかし、
捨てたものが全て、
いらないものとは限らない。
ある側面では、
時には捨てることは無くすことだったり、
何かの誰かの、大切な部分だったりする。
現実で生きていくのは、
果たして幸せなのか。
いっそ、
捨ててしまうくらいなら、
失うくらいなら、
夢の中で生きていたいと、
そう願ってしまうのは、
間違ったことなのだろうか。
かく在らんと、
憧れを抱き続ける。
正しいことを選択し、
自分を曲げていく。
何が正解かなんて、
立場により、
時により、
相対的なものだから。
太陽は眩しいから、
直接なんて見られない。
星は遠く煌めくから美しい。
綺麗なものだけ、
辿って、選んで、
そういう世界で生きること。
様々な人の、
あらゆる個々の物語で、
この世界は紡がれている。
舞台の裏側、汚れた部分、
痛みや哀しみ、
当たり前のことが、
いかに当たり前でないか。
色んな思考実験ができる。
そんな一冊です。
美しさに彩られた物語だっていう話。
辻村深月さんの
『ぼくのメジャースプーン』
を、読み終えた。
ぼくとふみちゃんを襲った事件は、どうしようもなく身勝手で、猥雑で、残酷なものだった。
小学校で起きた凄惨な事件は、彼女から全てを奪っていった。ぼくにできることはただ一つ。
犯人に唯一立ち向かえる力。たった一度、ほんの僅かな望みに賭けた、一人の少年の闘い。儚くも美しい無垢で無知な無謀ともいえる秘策とは。迎える結末の先に待つものは一体。。。
これはまた、傑作の一つ。
辻村深月らしさが詰まった、
人肌で、地に足の着いたファンタジー。
もしも自分なら。。。
そう思わずにはいられない。
正しさとは、
過ちとは、
悪とは、
善とは何か。
問えど答えなどなく。
結果、導き出すのは、
自分の心と向き合って、
自分が信ずるものでしかなく。
悪意とは、
ある日突然降りかかる。
落ち度や非など、お構い無しに。
まるで呼吸をするかの如く、
無意識に浴びせられる、
無情や無慈悲。
現実とは常にそう。
そんな悪意に晒されて尚、
それに立ち向かうのは、
義務感ではなく、
義侠や、偽善でもなく、
ただただ、一つの思い。
繋ぎ止めたいの願うのは、
エゴなのか。
自分のためなのか。
『人は人のために涙を流せない』
そうだとしても、
誰かを愛しいと思う気持ちは、
間違いなのか。
探し続けることしかできない、
解答のない問題に、
抗うことは無意味なのか。
人それぞれに大切なものは違う。
自分にとって、幸せなことが、
結果、誰かの幸せに繋がる。
いやはや、
こんなにも切なくて、苦しくて、
だけど温かい物語は、
そうそうお目にはかかれない。
好み云々、
物語としてどうだこうだ、
設定だ、プロットだと、
細かい理屈はあるのかもしれない。
けれども、
とにかくこの小説は、
紛れもなく、
『いい本だ。』
そう思える一冊だ。
全てが万事ハッピーエンドとは、
ならないエピローグ。
しかしながら、
きっと彼らは幸せになるだろう。
そんな風に、
その後を想像させてくれる、
実に素晴らしい話だった。
メジャースプーンのその後は、
なんと、
『名前探しの放課後』へ、
繋がっていくのです。
読者としては、
こんなプレゼントをもらえる作者に、
出逢えた幸福を噛み締めました。
辻村深月さんの
『ぼくのメジャースプーン』
を、読み終えた。
ぼくとふみちゃんを襲った事件は、どうしようもなく身勝手で、猥雑で、残酷なものだった。
小学校で起きた凄惨な事件は、彼女から全てを奪っていった。ぼくにできることはただ一つ。
犯人に唯一立ち向かえる力。たった一度、ほんの僅かな望みに賭けた、一人の少年の闘い。儚くも美しい無垢で無知な無謀ともいえる秘策とは。迎える結末の先に待つものは一体。。。
これはまた、傑作の一つ。
辻村深月らしさが詰まった、
人肌で、地に足の着いたファンタジー。
もしも自分なら。。。
そう思わずにはいられない。
正しさとは、
過ちとは、
悪とは、
善とは何か。
問えど答えなどなく。
結果、導き出すのは、
自分の心と向き合って、
自分が信ずるものでしかなく。
悪意とは、
ある日突然降りかかる。
落ち度や非など、お構い無しに。
まるで呼吸をするかの如く、
無意識に浴びせられる、
無情や無慈悲。
現実とは常にそう。
そんな悪意に晒されて尚、
それに立ち向かうのは、
義務感ではなく、
義侠や、偽善でもなく、
ただただ、一つの思い。
繋ぎ止めたいの願うのは、
エゴなのか。
自分のためなのか。
『人は人のために涙を流せない』
そうだとしても、
誰かを愛しいと思う気持ちは、
間違いなのか。
探し続けることしかできない、
解答のない問題に、
抗うことは無意味なのか。
人それぞれに大切なものは違う。
自分にとって、幸せなことが、
結果、誰かの幸せに繋がる。
いやはや、
こんなにも切なくて、苦しくて、
だけど温かい物語は、
そうそうお目にはかかれない。
好み云々、
物語としてどうだこうだ、
設定だ、プロットだと、
細かい理屈はあるのかもしれない。
けれども、
とにかくこの小説は、
紛れもなく、
『いい本だ。』
そう思える一冊だ。
全てが万事ハッピーエンドとは、
ならないエピローグ。
しかしながら、
きっと彼らは幸せになるだろう。
そんな風に、
その後を想像させてくれる、
実に素晴らしい話だった。
メジャースプーンのその後は、
なんと、
『名前探しの放課後』へ、
繋がっていくのです。
読者としては、
こんなプレゼントをもらえる作者に、
出逢えた幸福を噛み締めました。