1983年全米5位(ミリオンセラー)、全英45位、カナダで8位、オーストラリアで9位。Quiet Riot がブレイクした大ヒットナンバーですが、アルバム "Metal Health" の制作にあたり、プロデューサーの Spencer Proffer からこの曲をカバーするよう勧められたとき、メンバーは気が進まなかったので(自作の曲でアルバムを固めたかったことと、Slade が好きではなかったことがその理由)、この曲のリハーサルをサボタージュしていたそうです。そして、いよいよこの曲のレコーディングをしなければならなくなって、これ以上ないほどひどい演奏をすればレコード会社もリリースを拒否するだろうとの目論見のもとに臨んだところ、いざ演奏を開始すると、ミュージシャン魂を抑えられなかったのか、ベストを尽くしてしまい、案に相違して彼らの代表曲となりました。なお、以前投稿した際にはこの曲のPV(当時MTVでヘビロテされてこの曲の大ヒットに大いに貢献した)を貼ったのですが、なぜか YouTube では年齢制限がかけられてしまったので、今回は差換えを余儀なくされました。

 


この7月に閉館となった中野サンプラザで行われた1985年2月の彼らのライヴは私にとって生涯唯一(おそらく)の生ヘビメタ体験で、もちろんこの「ノイズ」もしっかり感じとりました(笑)。

 

ということでライヴパフォーマンスを。

 

 

この曲をフィーチャーしたアルバム "Metal Health" は、ヘビメタバンドとしては史上初の全米1位を獲得し(Police の "Synchronicity" からトップの座を奪取したが、1週間で Lionel Richie の "Can't Slow Down" に取って代わられた)、アメリカだけで600万枚、全世界で1000万枚を超えるセールスを達成しました。
 



オリジナルはこちら。

 

 

1973年全英1位(Beatles の "Get Back" 以来となる初登場第1位)、アイルランドでも1位、オランダ、ベルギー、西ドイツ、スイス、オーストリア、フィンランドでトップ10入り。しかし、アメリカでは98位と振るいませんでした(もっとも、KISS の "Rock And Roll All Nite" はこちらにインスパイアされて書かれたものだという)。このように、Slade は、1970年代にはアメリカでは全く受けなかったのですが、Quiet Riot のカバーバージョンがヒットしたおかげで、"Run Runaway" と "My Oh My" の2曲の全米トップ40ヒットを放ちました。なお、Quiet Riot は、1984年に Slade の "Mama Weer All Crazee Now" もカバーしたのですが、最高位51位に終わりました。残念ながら、柳の下に二匹目のドジョウはいなかったわけです。

 

 

Oasis もカバーしています。