というわけで、一気に行きます。

 

 

1975年全米1位(Hamilton, Joe Frank & Reynolds の "Fallin' in Love" を蹴落としてトップに立ち、Glen Campbell の "Rhinestone Cowboy" にその座を奪われた。また、ソウルチャートでも1位)、全英21位、カナダで1位、オランダで5位。この曲は以後、このバンドの「テンプレート」となりました。

 

 

2曲目はこちら。

 

 

1975年全米1位(11月の第4週に Elton John の "Island Girl" からトップの座を奪い、翌週 Silver Convention の "Fly, Robin, Fly" に取って代わられたものの、12月の第4週にトップに返り咲き、翌週 Staple Singers の "Let's Do It Again" にその座を譲った。また、ソウルチャートでも1位)、全英4位、カナダとオランダで1位、ベルギーで2位、スウェーデンで3位、ノルウェーとオーストラリアで5位、日本ではオリコンの洋楽チャートで1位、オールジャパンポップ20で2位。「uh-huh」というコーラスは、最初はかなりエロかった(Serge Gainsbourg と Jane Birkin の "Je T'aime... Moi Non Plus" における Birkin の「喘ぎ声」にインスパイアされたので)のを、そのままではラジオ局からオンエアを拒否されるおそれがあったのでトーンダウンしたそうですが、ディスコでは大ウケで、この曲の人気を高めるのに大いに貢献しました。また、曲のタイトルを何度もリピートするというアイディアは、KC が Beatles の "She Loves You" や "I Want To Hold Your Hand" からパクったもの(彼は、Beatles は好きではなかったが、いわゆる『赤盤』と『青盤』を聴いていて、「これがお前の進む道だ」という天啓を得たとのこと)。彼はプロとしてデビューする前にレコード店で働いていたときに、客の多くは自分が欲しいレコードの名前を知らずに買いに来るのだということを知ったので、そのような事態を避けるという狙いがあったようです。

 

 

そして3曲目。

 

 

1976年全米1位(Bee Gees の "You Should Be Dancing" に取って代わって1位となり、Wild Cherry の "Play That Funky Music" にその座を譲った。また、ソウルチャートでも1位)、全英22位、カナダで1位、オランダで6位、ニュージーランドで7位、ノルウェーで8位、日本ではオールジャパンポップ20で4位。

 

 

B面の "Boogie Shoes" は、映画『サタデーナイト・フィーバー』で使用されたことでも知られていますね(1978年全米35位)。

 

さらに4曲目。

 

 

1977年全米1位(Stevie Wonder の "Sir Duke" を引きずり下ろしてトップに立ち、Fleetwood Mac の "Dreams" にその座を奪われた)、全英41位、カナダで1位、オランダで6位。「Boogie Man」とは、"Get Down Tonight" を最初にエアプレイしたマイアミのラジオ局のDJのことだということですが、この言葉は、70年代には黒人の蔑称としてしばしば使用されたため、いろいろと誤解を招いたようです。

 

 

ということで、1975年~78年ごろの彼らは破竹の勢いで大ヒットを連発し、正にディスコ時代の申し子というべき存在でした(誰だ、みんな同じに聴こえるなんて言ってるヤツは?・・・ダメじゃないか、本当のことを言っては(笑))。ところが...。

 

 

1980年全米1位(Rupert Holmes の "Escape (The Piña Colada Song)" から王座を奪取したが、1週間で奪い返された)、全英3位、カナダとオーストラリアで1位、ニュージーランドで3位、ノルウェーで4位、アイルランドで5位、オランダで7位、ベルギーで9位。KC によると、1978年の暮れには「アンチディスコ」の気分になっていて、それまでとは違ったことをやりたいと思っていたところ、レコーディング中にスタジオのピアノの前に座って待機していてこの曲のコードを思いついたとのこと。なお、彼は、「ディスコミュージック」という呼称は不適切であり、「リズム&ブルース」と呼ばれるべきだと述べていて、自分たちの音楽が「ディスコミュージック」呼ばわりされることを苦々しく思っていたようです。