1971年全米4位、カナダで1位、オーストラリアで10位、日本でもオリコンの総合チャートで10位。1966年に、ロサンゼルスの腕利きスタジオミュージシャンら(通称「Wrecking Crew」)による覆面バンド「T-Bones」の "No Matter What Shape (Your Stomach's In)" が全米3位の大ヒットとなったことから、レコード会社(リバティレコード)はその曲をフィーチャーしたアルバムのプロモーションのためのツアーを計画します。ところが、T-Bones として実際に演奏したメンバーは、スタジオミュージシャンをやってた方が稼げるんだから、ツアーなんかやりたくねーよ、と嫌がったため、リバティレコードは、ライヴやテレビ出演用に5人のミュージシャンを集めて「公開」バージョンの T-Bones を結成しました。そのうち3人が、T-Bones 解散後に結成したトリオがこの Hamilton, Joe Frank & Reynolds で、ダンヒルレコードと契約してリリースしたこの曲はミリオンセラーを記録する大ヒットとなりました。1971年というと、まだ洋楽は聴いていなかったのですが、リアルタイムで聴いたような錯覚を覚えるほど、70年代にはよくラジオ(特にFEN?)でこの曲を耳にしたように思います。

 

 

翌72年に Reynolds が脱退した後は鳴かず飛ばずとなって、ダンヒルレコードから契約を打ち切られてしまうのですが、それでも、Reynolds に代わる新メンバー Alan Dennison を迎えて活動を続け(上の映像は、Reynolds 脱退後、Dennison 加入前のものと思われる)、74年には新たにプレイボーイレコード(雑誌『PLAYBOY』のグループ会社)との契約に漕ぎつけます(ただし、メンバーチェンジがあったにもかかわらず、グループ名を変更しないことが条件とされた)。そして翌75年にはこちらが大ヒット。

 

 

1975年全米1位(Bee Gees の "Jive Talkin'" を蹴落としてトップに立ち、K.C. & The Sunshine Band の "Get Down Tonight" にその座から引きずり下ろされた。なお、イージーリスニングチャートでも1位)、全英33位、カナダで2位。こちらもミリオンセラーとなって、見事「一発屋」の汚名を返上しました。彼らは、この曲がヒットした後、グループ名を「Hamilton, Joe Frank & Dennison」に改めて活動を続けたのですが、その後は尻すぼみとなり、80年に解散しました。

 

なお、リードボーカルの Dan Hamilton は、Ventures に曲を提供していることでも知られ、おなじみのこのナンバーも彼の作品。

 

 

1965年全米70位。これに対し、日本では大ヒットして、売上枚数は180万枚を超えたそうです。