1964年全米1位(Animals の "The House Of The Rising Sun" を蹴落としてトップに立ち、Manfred Mann の "Do Wah Diddy Diddy" にその座から引きずり下ろされたが、ミリオンセラーを記録)、全英1位(Sandie Shaw の "(There's) Always Something There To Remind Me" に取って代わって1位となり、Supremes の "Baby Love" にその座を譲った)。アイルランド、ベルギー、西ドイツ、スイス、ノルウェー、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドでも1位、フランス、オーストリア、デンマーク、フィンランドでトップ10入りし、全世界で700万枚を超えるセールスを記録した Roy Orbison の代表曲。この曲のタイトルは、Orbison が曲作りのパートナー Bill Dees と話(打ち合わせ?)をしていたら、奥さんから買い物に出かけると告げられたので、カネはあるのかと尋ねたところ、Dees が「A pretty woman never needs any money.」と口をはさんだことにインスパイアされたものだということです。

 

 

ひらがなで「おお」だったのか(笑)。

 

こちらは1987年に行われた A Black & White Night Live におけるギグ。

 

 

Bruce Springsteen、Elvis Costello、Jackson Browne ら豪華なメンツですね。このパフォーマンスは1991年(Orbison の死後)にグラミー賞の最優秀男性ポップボーカルパフォーマンスに選ばれました。

 

周知のとおり、"Oh, Pretty Woman" は1990年公開の映画『プリティ・ウーマン』の主題歌として使用されて再び脚光を浴びることとなるのですが、それまではむしろこちらのカバーバージョンの方が日本では知られていた?(笑)

 

 

1982年全米12位。当時のPVの標準的な footage は4分程度で、"(Oh) Pretty Woman" だけでは尺が足りないということで、イントロとして書かれた "Intruder" と組み合わされています。Michael Anthony のハチマキが裏返しになっているのには苦笑するしかありませんが、それにしても、囚われの女性(実は男だったというオチだが、演じたのはトランスジェンダーのエンターテナー)が侏儒(小人症)に嬲られていたり、傴瘻男が出てきたりと、かなりヤバイ映像で、実際、MTVでは当初放送禁止の憂き目を見ました(後に解除)。

 

 

「ヤバイ」PVといえばこちらも。

 

 

1984年全米54位。またしても Michael Anthony が日本担当(?)。でも、日本に関心を持ってくれるのはいいんだけど、なんで諺文(訓民正音)?と、当時憮然としたものです。そして、PVと歌詞は、いかにも教育ママ(笑)が柳眉(?)を逆立てそうな内容ですが、案の定、アメリカのアル・ゴア元副大統領(当時は上院議員)夫人、ジェームズ・ベーカー元国務長官(当時は財務長官)夫人らが中心となって設立された Parents Music Resource Center という超党派の教育ママの団体(メンバーが美人揃いだったかどうかは寡聞にして知らない)から「有害」な音楽として槍玉に挙げられたようです。それはともかく、あんな先生がいたらおれも勉強に身が入ったのになぁ(んなわけねーだろ!)。