1974年全米1位(MFSB featuring The Three Degrees の "TSOP" に取って代わった)、カナダで1位、オーストラリアで5位、オーストリアで7位、西ドイツで10位。Grand Funk のメンバーがレコーディングの合間にお遊びでこの曲を演奏していたところ、それを聴いたプロデューサーの Todd Rundgren がイケると判断して正式にレコーディングしてリリースしたといわれています(ボーカルの Mark Farner が口笛でこの曲を吹いていたのを聴いたのがきっかけとなったという説もある)。バンドのイメージとは全くそぐわないミスマッチの意外性が功を奏する結果となりました(←いかにも紋切り型のコメント(笑))。

 

 

ライヴバージョンも。

 

 

オリジナルはこちら。

 

 

1962年全米1位(Neil Sedaka の "Breaking Up Is Hard To Do" を蹴落としてトップの座を奪い、Tommy Roe の "Sheila" に取って代わられた)、全英2位、スウェーデン、ノルウェー、カナダ、ニュージーランドでも1位。作者の Gerry Goffin/Carole King 夫妻は、Dee Dee Sharp に歌ってもらおうとしてこの曲を書き、彼らの娘のベビーシッターをしていた Little Eva に歌わせて作ったデモテープを持ち込んだのですが、Sharp からは断られてしまいます。しかし、そのデモテープを聴いた音楽プロデューサーの Don Kirshner(後に Monkees を手掛ける)がこれを気に入って、自分のレーベルからリリースして見事ミリオンセラーの大ヒットとなりました。ところが、この曲が作られたときにはまだ「ロコモーション」というダンスは存在しておらず、この曲がヒットしたことで、Little Eva は、曲に合わせて新しいダンスを作らなければならなくなったというおまけ(?)がつきました。なお、オリジナルとカバーがともに全米 No.1 となるのは "Go Away Little Girl"(これも Goffin/King の作品)に次いでこの曲が2例目です。

 

Kylie Minogue によるカバーバージョンもヒット。

 

 

1987年全豪1位。この成功を受けて、彼女はイギリスのPWLレコードと契約し、この曲のニューバージョンをリリースしたところ、全英2位、全米3位、アイルランドとフィンランドで1位、フランス、オランダ、ベルギー、西ドイツ、スイス、オーストリア、ポルトガル、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、カナダ、ニュージーランドでトップ10入りするワールドワイドな大ヒットとなりました。

 

Sylvie Vartan はもちろんフランス語でカバー。

 

 

1962年フランスで1位、ベルギーで6位。

 

最後に Carole King によるセルフカバー。