2008年11月にタバコをやめた。

禁煙というやつだ。

その前日の夜、なぜか思い立ち、数年前に買っていた禁煙セラピーを一挙に読み

その直後から。夜の3時くらいだったと思う。


次の日は飲みだった。彼女と二人で飲み屋で語らった。

こんな時はタバコは欠かせないアイテムだったけど、

吸わずに乗り切った。

ここから、1~2カ月はそうとう辛かったがいまや、忘れた。

たしか禁煙鬱を疑うような精神状態だったように思う。


しかし、いまや立派に非喫煙人。


身も心もとはまさにこのことを言うのか。


今日も自転車に乗りながら勢いよくポイ捨てした輩がいた・・・

うーむ 許せん 地球に謝れ。心の中で罵倒する。


直後思い当たる やってたな・・・俺 少なくても2008年11月以前

レンタルショップの帰り道横断歩道をわたり切り、緩やかな坂を上る手前で

決まってタバコの長さが限界になり、それと同時に宙に投げ捨てた。

当然1回や2回の話ではない・・・


んま、33歳以上でポイ捨てやったやつアウト 

自分基準で・・・

英語を地味に学んでいる。

英語、フランス語、中国語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語・・・

アラビア語、ハングル語・・・


なぜこんなに、違う言葉があるんだろうか 

はっきりいって、言葉が同じならもっといろいろな友達ができるし

それこそ、戦争だって大きなくくりでいえば、コミュニケーション不足の

一形態と考えれば、言葉の作用は大きい。


とおろで日本においては、母国語しか話せない人の割合が他の国に比べて圧倒的だ。

しかし、これは日本語が大変よくできた言語だからだ。

わびさび、感情の抑揚、行間に隠れてでてこない謙虚さ、もろもろ。


それにくらべて、欧米の言葉のなんとざっぱなこと。

それが良いという意見もあるが、ここでひとつ提案したいのは

世界の共通語はなんとなく英語であるが、日本語ではいかがだろうか。

いや、ぜひ世界の共通語は日本語にすべきだ!

日本の平和、優柔不断、気弱な国民性は母国語からくるものも

大きい気がしているのだ。

世界の人々がみな日本人のような謙虚さ、それを表現できる言葉を持てば、

きっと世界は平和になる!・・とかなり大雑把な意見で締めくくりたいと思う。

恥の概念が自分は人より強いのではないか

と考えるときが多々あるのだ。

つまり、逆説的に「人目を気にするやつは糞だ」、

と必要以上に人目を気にしないことを気にする、

というこんがらがった感情をつねに持っている。


わかりにくいな。


つまり人目を気にしないというフリをよくするということ。

本来は意識するものではないはず。

幼い我が心。


恥をたっぷり含んだ人間は何もできないようだ。

こうするとこう思われる、恥ずかしい

なによりもこれが先に来る。

心根はやさしく善良なのだが、あまり良いとは言えないねー。


人の神髄は行動にあるという事

つまり、いかに内面ではいいことや

崇高なる考えがあっても行いに転化できなければ

なにもならないということ。


わかりにくいな。


いわば、目の前で人が突然倒れたとする

即座に救済に動けなければ君は素敵な人間

じゃーないよということ。

内面をいかに磨いていようと・・・

内面プラス体の連動これが最も大事である。


最近戦争を含めた近現代史の本を読んでいる。

たかだか戦後65年、リアリティをもてない自分が悲しい。

せめて実際に起こったやられた悲劇とやった悲劇両面を

胸に刻みたい。また夏が来る。