好きだろうか。自分に問いかける。

いやっ そうでもねーな。

でも、嫌いでもない。

年柄けっこう周りで誕生しているので

見に行ったり、触れたり、かわいーなとか問いかけたり。

その時はそう思う。これ間違いなく。

しかし、子供好きというととんでもない猛者がいる。

お前、こども好きになるために生まれてきただろうという位の

本末転倒な感じの輩がいる。そうゆう人を自分はなぜか嫌悪してしまう。

近くでやられると、くらう。

なので子供が好きかどうかではなく、度を超えた子供好きの大人が嫌い。

こういうことに落ち着きそうだ。


ところで、子供手当やら少子化対策。

今いる子供への対策も大事だが、

生まれさせる対策のほうがよっぽど必要だ。

晩婚化している風潮を鑑みると、不妊治療が一部のセレブリティしか

できないのは問題でしょう。もっと安価にできれば多くのひとがチャレンジできる。

また、非正規の男性は現実的に結婚できない。という概念。

実際そうかもしれないが、経済的理由で伴侶に巡り合えないのは

一度の人生あまりにもせつない。

今いるものより、子供がたくさん生まれる社会とはどういうものか、

何が必要かを真剣に考えてもらいたいねー。

なぜ文章を書くのだろうか?

誰に向かって書くのだろうか?

表現という分野にいれてもいいのだろうか。

この誰もよまないであろう、ブログも表現なのか。

そもそも表現てなんだろうか?

きっと、現実社会において充実した活動をしている人は

こういったブログにおいても、しっかり対象者を見据えて

書いているのだろうし、読まれるのだろう。

となると、現実社会において活躍していない、不満を持っている

吐き出したい、そういった人々が誰にともなく書いているのだろう。

そういわれれば、自分もそうだね。


それはいいとして、

村上龍の「半島を出よ」 は一大スペクタクルだった。

篠田節子の「弥勒」を読んだ時も感じたが、なぜ、こんな

ものが書けるのだろうか。

紙と鉛筆(今はワープロか)をもってして、描いて文章で

読者の脳に破たんなく物語を描く。それが、人を興奮させたり

泣かせたり、時にいたたまれない気持にもさせる。

映像でもなく、言葉でもなく、書かれたインクのみでこれを

達成させる作家は、実にこの世の中でもっとも素晴らしい

人々だと思う。すぐれた作品をよむと作家に対する畏敬の念を抱いてしまう。

その分つまらない作家のくそみたいな作品には反吐が出るほど軽蔑してしまう。

どちらにもなれない一読者のくせに。

民族闘争は起きるのだろうか。

およそ単一民族の日本人にはわかりっこない。

まさに、今職場なり、電車の中なりで隣にいた人間と

ある日を境に、敵同士になる。殺し合いがはじまる。

そう考えると、バトルロワイヤルは日本における

民族闘争をテーマにしていたのか・・今気づいた。


こんな、インターネットが世界中に張り巡らされて

およそさまざまな情報が、即座に入手可能な現代において

なぜ闘争、戦争はなくならないのだろうかと思うと、

まさしく人間の存在そのものが、闘争や戦争なのだろうなー

と、平和こそ人の本能に矛盾する概念なのかも。

でも、平和という概念をもてるのもまた人間ならでわ。

むしろそこにこそ、その一点にこそ最も人があらわれると信じたい。


ということで、今日は朝車で送ってもらい、駅前で降りるために

一時停止したら後ろのタクシーに怒鳴られた、わざわざ身を乗り出して・・。

かっちーん ときた。会社とナンバー控えて訴えてやろうか。

やつは、自分が不特定多数に向けての客商売をしてる、という認識がないのだろう。

どんな商売人が将来お客になりそうなその地域の人間に平気で怒鳴り散らすか。

あの太った男、思い出すだけで腹が立つ。


ということで、人間の闘争はこんなところからもいとも簡単に始まります。

そして根強い・・・