こんにちは!
発音コーチ・英語起業コーチの
フェイスりさです😄
私は日本で生まれ育ちましたが、
母がカナダ人で、
常に英語と共に生きてきました。
カナダの語学学校や
東京の翻訳学校でも英語を学び、
英検準1級とTOEIC 870を取得しています。
今は夫と2人の子ども、犬と一緒に
群馬に住んで英会話教室を営み、
1歳から74歳まで教えてきました。
英語を教えて11年。
生徒は延べ1万人。
幼児が数ヶ月で英語で
歌うようになったり、
小学生みんなが英語の成績で
毎回「たいへんよい」をもらったり、
学校の英語のテストで
60点代を取っていた中1の生徒が
3ヶ月で95点を
取れるようになったりと、
日々嬉しい報告をもらっています。
今でこそ、自分は英語ができると
自信を持って言うことができ、
生徒ひとりひとりの性格や
英語力に合わせた
英語指導もできていますが、
過去の私は、
「ハーフなのに英語が話せない」
というコンプレックスを
抱えていました。
そんな私がなぜ英語を
話せるようになり、
現在に至るか
その経緯をお話させてくださいね。
英語を話せるようになるまで
先にも書いたように、私は
「ハーフなのに英語が話せない」
というコンプレックスを
抱えていました。
英語がまったく話せない
日本人の父と
英語ネイティブで
日本語はカタコトの母
の間に日本で生まれ、日本で育ち、
周りの子と同じように
公立の小・中・高校で学びました。
母の英語は理解できるし、
英単語はたくさん知っている、
発音もできる。
でも父も弟も英語が話せず、
母が英語で話す以外は
家でも外でも日本語
という環境だったので、
私は日本語を話すほうが楽で、
母には"Speak English!"
と何度も言われながらも、
面倒で日本語ばかり使っていました。
しかし、中学校に入って
英語の授業が始まると
「マズい、私はハーフなのに
英語が話せない。
このままでは母ともカナダの親戚とも
会話ができないままだ」と気づき、
英語の勉強→英検
→今後の進学や就職にも有利
と単純に考えて、英検の勉強を
必死でするようになりました。
問題集や単語帳を使って勉強し、
覚えた表現はすぐ
母との会話で使いました。
こうした努力の甲斐あって、
学校の英語の成績は常に5。
英検も高校1年で2級、
大学1年で準1級と、
順調に合格することができました。
それでも私は「英語を話せない」
というコンプレックスから
抜け出せないでいました。
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