空はどこから/猫の長靴 -70ページ目

空はどこから/猫の長靴

日記は苦手だけど、何があって何を思ったのか、あんまり分からなくなるのもねぇ(´Д`)
だからちょっとだけ、記録を残します。

3月6日、渋谷七面鳥にて「Lucky ↑Blue Night」
つまり――BLUE祭り~!!!



「青」をキーワードにした4組のユニット。
私たちの目的は、もちろん!

「Beret of crow style.」(通称ベレクロ)

青いエルフ、BluE(自称ぶるたん)


そして心優しいピアノマン、クワハラ康スケさん(クワさん)


お気に入りのシーン、笛を吹くエルフ
曲名は『カルマ』


この日、ぶるたんのファニーフェイス(褒め言葉だよ)その魅力の秘密に気がついた
それは――歯


小さな歯がびっしりと並んでいる、なんか歯の数が多いんじゃないかな?やっぱりエルフだから


クワさんは軽快に、時にアクロバティックに、時に夢想家のようにピアノを奏でる。


そして時に振り向いてぶるたんを見守る――その視線が優しさに充ちている。


明るい歌を全力で明るく歌う。それはそれでいい。
暗い歌を情感込めて切々と歌う。それもいい。

でも、数あるユニットの中で、私は断トツでベレクロに魅力を感じる。

それはおそらく、ベレクロの持つ芳醇な表現力
暗く深い闇から、揺らぐように立ち上がってきて……強くて、豊かで……そして明るい!
その情感、感受性が私の胴体で共鳴するのだ。


10曲入りのCDはループしている。
ライブで聴く度にやっぱり生音は違うなあ――と思っていたけど
この日は特に違っていた。
豊かに、円熟味を増している。

ぶるたんの声は高音も低音も力強い。殻を突き破って立ち上がってくるようだ。

セットリスト
1.カルマ
2.JINKAKUTAIWA
3.(cover曲)
4.ゴシップガール
5.eyes
6.foolish

この内、CDに入っているのは『foolish』だけ
次の音源、早く欲しいよ~!


さて、カバー曲、「ブルーに因んでブルースやりまーす」とオヤジギャグ的なMCから、アンニュイなメロディライン――
ん?何て曲だろ、と聴いていたら……

松田聖子さんの曲だった(笑)
『青いサンゴ礁ブルースver.』
茶目してくれるなあ~(大笑)


次回のライブは4月14日――青山月見ル君想フ
3度目の 青い月の夜である――




おまけ
ドレスコードがブルーということで、迷っているカミさんに
「Tシャツ作って着てけばいいじゃん、ベレクロで」と勧めて――

出来たのがコレ↓


ブルタンの髪を強調
クワさんのオーバーオールも青にして
真ん中にはブルタンの親友、ヘビのへびみちゃん
――因みに大きいヘビは へびみちゃん、前回連れてきた小さいヘビは へびおくん……らしい(笑)


さて、原図が決まって、いそいそと無地のTシャツを広げ始めたカミさん。
「ん?2枚? 何で?……お揃い!?」

そりゃ無茶だろー

「考えてもみろよ。この夫婦がお揃いのTシャツでひょこひょこ現れたら、
青いペー・パー(林家ペー・パー夫妻)だろ~」
「だってせっかくTシャツ買ったのに~」
「無理ムリ~」
とすったもんだの末

「あんたはパニュキスじゃない!(感性が合わない)」
と言い合ったのであった

やれやれ……



迷惑かも?
と迷った末に持っていったプレゼントTシャツ
喜んでもらえて、まずは一安心



憧れのアーティストに挟まれて、ご機嫌のパー子さん、もとい 青いヒツジ(笑)


「電車の中で化粧する女性」の存在が話題になったことがある。
近頃、取り沙汰されなくなったのは、これが常態化したからである。

先日、電車の中で眉毛を抜いている若い女性を見た。
鏡を食い入るように見つめ、ピンセットで熱心に眉毛を引っ張っている。
まさに周りに人無きが如し。当然座り方にも緊張感はない。どでんと座って膝が緩んでいる。

さすがに気持ち悪いと思った。
もっとも、周りにどう思われるかなど考える神経もないから、こんなことをする
――では、それで整えた眉毛は誰に見せるのだろう、とも思う。


こんな本がある

澤口さんは、今やフジテレビ『ホンマでっかTV』でお馴染みの脳科学者


あるいはこんな本

正高さんは類人猿の研究者
現在の若者たちの 姿を専門分野――つまりサルの生態と見立てて行動様式を分析した。


これらの本、ひと言で要約すると
(あくまでも私の解釈ですが)――

人間は人間に生まれたから人間に育つのではない。
成長過程で社会性を習得し、
「頑張って」人間になる

つまり、社会性を身に付けられなかった――人間に成れなかったサルは、私的空間と公的空間の違いを認識出来ない。
だから公衆の面前で眉毛を抜いたり出来るのである。


もっとも、私に言わせれば、科学というのはー点集中の深さ鋭さはあるが、茫漠とした「人間なるもの」の全てを解き明かせるものではない。

この手の本には「最近の若い者は……」的な、エジプト文明以来のジェネレーションギャップもありそうな気がする。
(古代エジプト文字を解明したら「最近の若い者は云々……」と書いてあった、というエピソードがある)


澤口さんをテレビで観ていると、決して社会性が豊かとも思えない。むしろ個性の人である。
ある分野の科学的な知見に基づくとこうだ!と受けとるべきであり、
「ホンマでっか!?」と知識を楽しむくらいでいいのだろう。

とはいえ、公衆の面前で眉毛を抜くのは、やっぱりあんまりだと思う。
私の――人それぞれが持つ――美意識として、考えられない。

これは結局、「公と私」の概念の欠如だと思う。
妙齢のご婦人が部屋でおならをする分には構わない。心を許した彼氏の前なら、二人だけの感性だ。
でも、彼氏の前だけ気取って見せて、他の人間は犬猫以下、というのは、やっぱり社会性が壊れているとしか思えない。

昔、自分の部屋以外は社会、という信念で、自室を出る時は常に衣服を正す、という人がいたらしい。

映画評論家、小森和子さん(小森のおばちゃま)の母親は、夫と顔を合わせる時は常に化粧をしていた――つまり、旦那は奥さんの素顔を見たことがない

ここまでいくと公私のバランスが公に傾き過ぎていて、居心地が悪そうである。


公私混同で言えば、私はネットで繰り広げられている匿名の世界に、異常なものを感じている。

ニコ生でprediaのアキバカルチャーズを見ていた時のこと――
ニコ生のコメントは匿名の世界、みんな勝手なことを書く。
でも、それぞれに個性が出るから、同じ人が書いてるな、という想像がつく。
ホントに予備知識がなくて、「今映った人は誰?」的な質問をする人。これに丁寧に回答する熱心なファンがいる。
今日のダンスの出来はどうの、ボーカルの声がどうの、とツウな意見を書きたがる人もいる。
とても彼女たちに見せられないような悪口雑言を吐くヤツがいる。中傷を書きたくて見ているのだろう。
その中に「ぶったん」「ぶったん」と しつこく連呼するヤツがいた。ぶったんというのは、あかねんがMCで笑いをとった ゆったんネタで、この時点ではすでに死語
――これを面白いと思って連呼するのは、うんこ、うんこと連呼して喜ぶ子供と、知性において同レベル
「コイツ、バカだな」と思った。
もし、人前であれば、こんなことは言えない。顔が見えないから何を言ってもいいと思っている。自分の書いた文字が画面に流れる、これが公の物である、という意識がない。

ニコ生チャリチャン(競輪の予想番組)に  めーしゃんがゲスト出演した時、
予想に迷い「1-4にしようかな…」と言う めーしゃんに「1-4がイーヨ!イチヨンイチヨン」と書いたのは私。
この予想が外れた後、「1-4と言ったヤツ、出禁」「1-4のヤツ出ていけ」と執拗にコメントされた。
ギャンブルに興味もないのにふざけてコメントした私は悪い。だが、このしつこい敵意は何だろうと思った。
これが公開番組の会場であれば、私は「1-4、イーヨ!」とふざけなかっただろう。そして匿名氏も「お前、出ていけ!」と目を剥き、唾を飛ばして罵倒するようなこともしなかっただろう。
顔が見えないから、匿名だからこそ剥き出しになる悪意


公と私が狂っている
顔が見えないから何を言ってもいい、とはならない。
その言葉は公の画像に流されているのだ。


公と私はどのように分ければ良いのか?
考え方は簡単だ。どちらかを決めれば、残りがもう一方だ。
では、どちらを優先するか――
私は「私」だと思う。
公とは気を使い窮屈なもの、これを優先すると疲れてしまう。

まず「私」になれる場所を確保すること。
何をやってもいい、何を言ってもいい、自分だけの――あるいは自分と親しい者だけの――世界。
だらし無いカッコも稚拙な悪口雑言も、この世界で済ませてしまう。

それ以外は「公」の世界。
そこには他者がいる。
緊張して、調和を図らなければならない。
電車の中はもちろんとして、部屋でパソコンを開いていてもネットで繋がっていれば、そこは「公」の世界。SNSも、もちろん「公」である。

窮屈だ
だから、「私」こそ大切になる
居心地の良い「私」が確保されていればこそ、
「公」の場で頑張って「人間=社会的動物」でいることが出来る。

公の場ではニコニコでいる
それが「より良い人間」=「大人」である。

ということを目標にしたい、という話でした。

長い記事になったなぁ……


今の私に、これを書く資格があるかどうかは分からない。

何故prediaのネタを書かないのか、と聞かれたことがある。
私は基本、ブログには非難がましいことを書かないようにしている。
SNSにアップするからには、その言葉は公けのもの、読み手を不快にさせることは書くべきではないと思うからだ。

今、prediaを書こうとすると、どうしても褒め言葉だけでは納まらない。




prediaのメジャーアルバム『孤高のダリアに口づけを』

私はこれが好きになれない。
それでも書こうと思ったのは、
この曲――
『You're my Hero』が入っているから

今回のアルバム、不倫だの愛欲だの、ドロドロの世界を描いて、最後は『Wedding Story』で締めるというコンセプトらしい。
……この世界観でハッピーエンドは強引だろう、という気もするが

でも、そうであれば、明らかに異質な曲――このコンセプトで並べようのない曲が2曲含まれている。

『BABY KISS』と『You're my Hero』

だから私は考えてみた
このアルバムが一連のストーリー物、つまりー幕の演劇だと仮定すると、並びはむしろこうなるべきだ

幕が上がって、まず軽快な『BABY KISS』
演劇でよく見るような、演目とは別に出演者全員での身体慣らしのダンス。
ここではとびきりのハッピーソングで跳ね回る。


↓↓↓
そして演目――
官能小説かよろめきドラマ
昭和歌謡のドロドロの愛憎劇が展開される

熱いのその指がうごくだけで 薄い唇が歪んだだけで 恥ずかしい気持ちを許せば あぁどんな私が生まれ出すの

焦れるあなたで熱くなるの 最初はただ激しく その後でもっと深く 嫌というほど抱いて強く

……これ以上拾えない
彼女たちはこの意味が分かっているのだろうか

罪というより神に近い魅惑のヴィーナス
赤い隠匿の扉
秘匿のパラダイス……
空虚な言葉がミラーボールに踊っている
散々男漁りをして
最後に結婚で納まっておしまい――
↑↑↑


一旦静まってからのカーテンコール

演者がー列に並び観客への感謝を伝える。
それは彼女たち自身が紡いだ歌詞
『You're my Hero』
世界中のどんな喝采より
あなたの笑顔が嬉しくて
今日も歌い続けるよ
どんなときも You're my Hero♪



これはー幕物のバーレスク(茶番劇)だと思ってみる
もちろん、彼女たちは一所懸命演じている


悪い女の愛憎劇に挑戦しちゃった
面白かった?

prediaがドロドロの愛憎劇を演じてたよ
へえ、変なの。prediaのコンセプトってparty感じゃなかったっけ?
うーん、でもそれはそれで珍しくて良かったよ


そして、次の新曲から2幕目が上がる

『Sparkring』の華やかさ
『きみみたいに』の温かさ
『Sunburned Heart』の愁い
『Re:start game』の希望

第2幕、The predia!

だよね、来たぜ~!本編が!



prediaのワンマンを観ると、彼女たちのパフォーマンスはやっぱり華やかで、愛らしい。
なのに、何故こんな楽曲ばかりが与えられるのだろう



3年3ヶ月前『ハニーB』リリースの頃、週刊アスキーでpre-diaが紹介され、てるみん、あかねん、まりにゃんが登場した。
その写真――3人がSEXYドールを着せられていた。そして小さなコマでデニムとTシャツ。

「僕はジーパン姿の写真の方が好きです」
ファンがツイッターに書いていた。
ファンが彼女たちに望むものと、業界がやらせることは、何故こんなにも違うのか、と思った。

メジャーデビュー、きっと大切に扱ってもらえる、彼女たちのコンセプトを生かしてもらえる――そう思っていた。


それは私の見当違いだったのか
それとも、今は奇妙な夢を見ているのか


一番気になるのは、彼女たち自身の気持ち――
10人いれば、当然個人のバラつきがある。

メジャーで売れたい、は共通として
官能小説ばりの楽曲を渡され
「大人だからエロです」という売り方をされたとき

それで売れるなら何でもやる、という子
え?嫌だな、と感じた子
何にも考えていない子

もし、マイナスの感情があったとしても、彼女たちがそれを表に出すことはない。

彼女たちが頑張ってるんだからトコトン応援する
頑張っている彼女たちを悪く言うのは許せない!

そうだろうか


これがこのまま続くなら……
彼女たち自身が本当にこんな世界観に納得しているのなら……


分かっている
私がバーレスクを演じていたのだ



不快に思った方もいるでしょうが、
私はこの記事、一所懸命書きました