もちろん君は僕が好きさ
僕らは一緒に暮らし 歳も同じなんだから
ごらん 僕はこんなに大きくてハンサムだ
……
輝くように青く きれいな黄金虫のために
僕は くるみの殻で 安全な隠れ家を作った
黄金虫は羊の毛のベッドで眠っている
そして僕は それを君にあげるよ
……
うちの番犬は すごくおとなしい
だから夕方にはいつも
僕は君をふんわりと犬の背に乗せてあげる
そして僕は先に立って歩きながら
この静かな馬を引いて 僕らの家まで帰るんだ
アンドレ・シェニエ 訳 中尾重晴

早熟な少年ハリーとその信奉者、妹のネリー。
ある日、父親の書斎でネリーは『パニュキス』の詩を見つけ、魅了される。でも、感動を分かち合いたいネリーに対して、ハリーは無頓着だ。
ハリーはピアノの才能を期待されて音楽学校ヘ――そこで生涯の親友チャールズと出会う。
社会に溶け込めず、田舎の屋敷で引き籠もるネリーは、唯一無二と信じる自分の同胞ハリーを奪ったチャールズを憎む。
ハリーはやがてチャールズの妹クレアと結婚し、子をもうけ、チャールズと共に戦地に赴き、チャールズを庇って戦死する。
唯一の「解り会える同胞」ハリーを失ったネリーはチャールズを憎み続ける――
やがてネリーはハリーへの慕情を記した童話を書き、著名な作家となる。
クレアが亡くなり、一粒種の男の子をネリーが引き取ることになる。
その少年(ハリーに生き写し)を田舎の屋敷に連れてきたのは――片腕のないチャールズ。
チャールズはあの戦闘で親友ハリーと生き甲斐のピアノを失なっていた。
ラスト、書斎のシーン
久し振りの再会、固い会話も途切れた時、チャールズは書棚に一冊の本を見つける「ああ、シェニエがある……この詩をご存じですか?」
パニュキス もちろん君は僕が好きさ……
「僕はこの詩に憧れ、いつか自分のパニュキスに出会いたいと願っていたのです」
ネリーはポロポロと涙を流す。感性を共有できる同胞は、この人だったんだ……
ラスト、チャールズのセリフ
「私のパニュキスに会えた……そう思ってよろしいのですね?」
IIIII
山岸涼子さんの短編作品『パニュキス』
読んだのは学生時代だった。
これ以降、私の頭の中には
「感受性を共有できる同胞(はらから)」=「パニュキス」
という構図が出来た。
そして現実――
20代後半、私とS嬢は「たま」の共通のファンだった。
友部正人&たま の2マンライブに二人で出かけ『ラブミーテンダー』を聴いた。
あのエルビスのメガヒット曲に友部さんが自家製の詞をつけ、ギターをつま弾き訥々と歌う。
♪
君がいて 初めて 生まれた この愛を
壊す気 なんて ないよ 僕からは
君を想えば また ひとつ
夢の中で 君が 増えていく~
♪
この曲がすっかり気に入った私は、さっそくCDを買い
ドライブデー卜で口ずさんだ
君を想えば またひとつ~♪
「いい歌だよね」と誘いをかけると
「そう?」とS嬢は無関心だった。
こいつ、パニュキスじゃないな……
と思った。
でも、パニュキスじゃないことが決定的な障壁にもならず、結局そのまま結婚した。
ウディ・アレンの映画に『ボギー俺も男だ』という作品がある。
主人公(ウディ)は見た目通りの冴えない男、但しウディらしくウィットと知性はある。
親友の夫婦が恋人を作らせようと世話しては失敗する、というドタバタ劇が続く。
ところがなんと、この親友の奥さんとウディが「出来て」しまう。
趣味も思想も、セックスの相性までバッチリ
――この時、ウディはパニュキスに会えた訳だ。
結局、やり手ビジネスマンを気取っていた夫が「妻が浮気している」とウディの前でメソメソ泣いている姿を見て
「ボギー俺も男だ!」と身を切る思いで諦める。
ラストシーンは空港での別れ――もちろん『カサブランカ』のオマージュだ
子供の頃、聞いたラジオ
電話でゲスト出演した年配の男性は、おそらく文筆家だったのだろう。とにかく話が洒脱で面白かった。
女房が死んでから家事が不便で、洗濯物が溜まって着るものがない。しょうがないから女房のパンツを穿いたら……これが結構平気で穿けるもんでしてな。ただ、もし事故にでも遭って病院に運ばれたら、「こいつ、女物のパンツを穿いてるぞ」と変態扱いされる。だから事故に遭わないようすっかり用心深くなって、道を歩くときも――
というところで、取り留めのなくなっていく話を「先生、時間がなくなりました」とパーソナリティに遮られてしまった。
夫婦もこれくらいトウがたってしまうと、パニュキスもヘったくれもない。
やがては男だか女だか分からんくらいに老いさらばえていく。
山岸涼子さんの『パニュキス』は
「私のパニュキスに会えたのですね」で終わる。
でも、人生はその後、長い
私は今も時折 思う
私は私のパニュキスに会えたのだろうか
一瞬のパニュキスはいる、でもやがて違うと気づく。
その「一瞬のパニュキス」が、言い換えれば「恋」というものだろう。
もう、いろんなことがどうでも良くなり、一緒にいることに何の抵抗感もなくなっていく――
それは結局、数十年がかりで育てられたパニュキスなのかも知れない
山岸涼子さんの『パニュキス』を読んで以来、三十数年
今だに「まだ見ぬパニュキス」あるいは「既に出会っているかも知れないパニュキス」のことを想う私は――
莫迦だなあ、と思う
でもまあ、まだ老いさらばえてはいない、と言えないこともない













