「Oさんが亡くなったよ」
Oさんは、まだ65才だった。
40代、ヤマの現場で血を吐いて倒れた。
以後、健康には自信がなく、本社勤務が長かった。
定年間近、久し振りに会った時、精気のない身体は ますます痩せて猫背になっていて「おじいさんになったなあ」と思った。
Oさんの退職後、本社に呼ばれたのは私だった。
つまり、そのポジションに今、私がいる。





持病の胃ガンは小康状態だった。
肺炎で体力を落とし、白血球が過剰反応を起こして次々と内臓を傷つけ、結局、悪くなかったはずの腎不全で亡くなった。
「あっという間だった」と奥さんは言う。
長生きは出来ないだろうな、とは思っていたが、さすがに65は早い。
お通夜(日曜日)には、OB・現役、8人が駆けつけた。
奥さんが挨拶に現れ、私たちは取り囲んで上記の話を聞いた。
私が「〇〇部の△△です(つまり直系の後輩)」
と名乗ると、奥さんは「ああ」という表情になり、以後はずっと私の顔を見て語り続けた。
Oさんは、自分の仕事のことを、どのように奥さんに語っていたのだろうか
私の名は話題に挙がったことがあるだろうか
――本社の事情が分からない生意気なヤツがいる
とか?





喫煙場所は屋外だった。
雨を避けながら一服していると、Oさんの弟さんが現れた。Oさんとそっくりだった。
滅多に着ない礼服は防水が利いていて、弟さんも私も、礼服には ほろほろと丸い水滴が付いていた。
弟さんから聞いた。
関西の郷里にいる95才のお母さんは存命で、お母さんには今回の訃報を伝えていないらしい
そしてOさんの夢は、二人の娘(今30代)が結婚して、バージンロードを歩くことだったらしい
喫煙場所からの、雨の夕景――






月曜日、私は同じ林業部門の仲間達にメ-ルで訃報を伝えた。
何か出来ることがあったら言ってください――
同期入社のヤツから返信があった。
何にもないよ。もう葬儀は済んでいる。
後は冥福を祈るだけ
土曜日、私は訃報の後、精気に溢れた ユルリラポ のライブに出かけている――
生と弔い、一日違い。私の悲しみもその程度。
お経を聞きながら、私は思った――
自分の順番はいつ頃だろう
もう、そんなに先ではない
それは悲しいことではない
親死に子死に孫が死に(ー休宗純)
「なんか、順番が近づいてきた気がするね」
私のメ-ルに同期のS君が返答する
「まだまだ、守るものがあるでしょう!頑張りましょうよ!」
いや、励ましが欲しかった訳じゃない。
暗い気分に浸りたかっただけ
暗さもまた、生きる上で大切なパワーなのだ――