『若者たち』は永島慎二のアシスタントを題材とした作品。
永島自身は飄々とした「先生」役で登場する。
個性豊かな若者たちの、基本、自堕落な雑居生活が描かれる。
そこには「根拠のない希望」という空気感があった。
最終話。
雑居生活を解消した主人公が、窓を開け放す。
春の朝の、清々しく冷たい空気が、紙面から香り立つようだった。
この本には、短編『ク・ク・ル・ク・ク・パロマ』が併録されている。
主人公の若者はギターを弾いて酒場で歌う、駆け出しのミュージシャン。
ある雨の夜、ロが利けない娘を拾う。
娘の眼は空っぽに澄んでいた。
何の感情も宿していないようだった。
「一緒に来るかい?」と冗談まじりに言うと、ホントに付いて来た。
彼の部屋(4畳半)に入ると、さらさらと文字を書き、若者に手渡した。
そして行儀良く座り込んだ。
その紙には、こう書かれていた。
「あなたがあまりに淋しそうだったので、ここまで来ました
部屋があたたまったら帰ります」
当時10代だった私は漠然と思った。
冷え切った部屋の温度を上げるのに、
ぽつねんと座った女の子の体温が、どれほど役に立つのだろう?
我ながら子供であった。
冷たい部屋を暖めるのはストーブであって、
人の体温で暖まるとは思っていなかった。
30代で初めてモジリアニの絵を見た。
似ている、と思った。
どこかで見た。
記憶を辿ると、永島慎二に行き着いた。
感情を宿さない、塗りつぶされた目。
細くて傾げた首。
それは永島慎二の世界に登場する女性像であった。
永島がモジリアニの影響を受けたかどうか、私は知らない。
しかし、私は西洋絵画の中で、モジリアニが一番好きである。
塗りつぶされた眼が見つめているのは…
哀しい空気たち。
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『嘔吐』と言えばサルトルの実存小説。私も学生の頃、一応読んだ。
結構ガンバって読んだが、内容は記憶にない。
なんか、ベンチに座って公園を眺めて「これが実存だ」とかのシーンがあったような気がするが、いずれにしても私の心には響かなかった。
嘔吐を感じることはある。
怒りとか哀しみとか焦りとか、
やり場のない不快感に襲われたとき、身体の奥「精神的な胃」の部分からこみ上げてくる。
私の記憶に刻まれた『嘔吐』は、永島慎二のー編の漫画である。
短編シリーズ『漫画家残酷物語』
まだ貸本漫画があった時代─
主人公は若い漫画家。
貸本漫画業界は斜陽だが、彼の漫画はそこそこ売れている。
恋女房との生活は、ささやかな幸せに包まれている。
出版社の帰り、喫茶店によって自分の新刊を開く。コーヒーをすすりながらページをめくる。
そして、突然
嘔吐する
彼は本当に描きたい漫画を描くために、生活を捨てる。
妻を離縁し、バイトで食いつなぎながら、理想の漫画に打ち込む。
3年後、完成した渾身の一作。
しかしどこの出版社からも相手にされない。
失意の主人公はビルの屋上から落ち、不具者となる。
ところが奇跡的に作品は、ある新聞社の目にとまり、作者行方不明のままベストセラーとなる。
クリスマスの夜、片足を失った主人公はコモを被り、物乞いをしている。
目の前を幸せな親子連れが通る。
母親と手を繋いだ少女の片腕には、綺麗に製本された彼の作品が抱かれている。
彼は追いかけようとして倒れ込み、涙を流しながら死ぬ。
センチメンタルである。
若き漫画家の純情に報いるために、夢が叶うという結末を用意せざるを得なかったのだろう。
それが叙情の漫画家、永島慎二である。
私は今、嘔吐を感じている。
一つは自分自身のために。
もう一つは、
私の愛する若い人が、己の夢から外れた仕事に駆り出され、哀しい想いをしたかも知れない、
という事に。
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結構ガンバって読んだが、内容は記憶にない。
なんか、ベンチに座って公園を眺めて「これが実存だ」とかのシーンがあったような気がするが、いずれにしても私の心には響かなかった。
嘔吐を感じることはある。
怒りとか哀しみとか焦りとか、
やり場のない不快感に襲われたとき、身体の奥「精神的な胃」の部分からこみ上げてくる。
私の記憶に刻まれた『嘔吐』は、永島慎二のー編の漫画である。
短編シリーズ『漫画家残酷物語』
まだ貸本漫画があった時代─
主人公は若い漫画家。
貸本漫画業界は斜陽だが、彼の漫画はそこそこ売れている。
恋女房との生活は、ささやかな幸せに包まれている。
出版社の帰り、喫茶店によって自分の新刊を開く。コーヒーをすすりながらページをめくる。
そして、突然
嘔吐する
彼は本当に描きたい漫画を描くために、生活を捨てる。
妻を離縁し、バイトで食いつなぎながら、理想の漫画に打ち込む。
3年後、完成した渾身の一作。
しかしどこの出版社からも相手にされない。
失意の主人公はビルの屋上から落ち、不具者となる。
ところが奇跡的に作品は、ある新聞社の目にとまり、作者行方不明のままベストセラーとなる。
クリスマスの夜、片足を失った主人公はコモを被り、物乞いをしている。
目の前を幸せな親子連れが通る。
母親と手を繋いだ少女の片腕には、綺麗に製本された彼の作品が抱かれている。
彼は追いかけようとして倒れ込み、涙を流しながら死ぬ。
センチメンタルである。
若き漫画家の純情に報いるために、夢が叶うという結末を用意せざるを得なかったのだろう。
それが叙情の漫画家、永島慎二である。
私は今、嘔吐を感じている。
一つは自分自身のために。
もう一つは、
私の愛する若い人が、己の夢から外れた仕事に駆り出され、哀しい想いをしたかも知れない、
という事に。
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録画しておいた『R1グランプリ』をさっき見た。
おおっ!やった~ヽ(^0^)ノ
田上よしえさんが出てる~!
そこで今回は田上さんR1記念、雷ライブの話。
さて、これまで何度か書いてきたが、私は田舎者である。
東京なんか来たくなかった。
でも、とりあえずここで生活。
何とか楽しいことを探さねば…
東京だから見れるもの…
寄席だ!
浅草、上野、新宿、池袋
特に浅草演芸ホールは良く行った。ついでに観音さまもお参りした。
演芸ホールの角を曲がると浅草東洋館、チラシを配ってた。
へえ~お笑いライブかあ~
それから月一回の『雷ライブ』通いが始まった。
それが2009年だった。
毎回、約50組:5時間の長時間ライブ、ほとんど荒行!
予約で2000円、1組当たり40円。
なんか、いろんな意味で凄まじい。
その中で、私達夫婦が一推しになった芸人さんが「田上よしえ」さん。
とにかく、必ず笑えた。
私は、お笑いとは「言葉遊び」だと思っている。
そこを上手に遊んでくれると「あ~日本語って愉しい!」
と嬉しくなる。
ネタがよくこなれている。毒とペーソスが丁度いい。
美形でもブスでもないから、見た目で笑いは取れない。
だから尚のこと「笑いの職人」を感じる。
鬼奴さん、いとうあさこさんが売れていく。
いつだ!
田上よしえのブレイクはいつだ
…と待っていた。
一度、ピラメキーノの「子供グランプリ(子供の前でネタをやってどれだけ笑いを取れるか競う)」に出たのを見た。スベっていた。田上さんの笑いは大人の笑い、これは無理だよ。
田上さんを見たいとライブ情報を調べたりしていた。
だが、さっちゃん(馬越幸子)のゴッドタンで私の東京暮らしは劇的に変わり、今や私生活のほとんどがprediaになってしまった。
prediaを知らなければ、私の東京アイドルは田上さんだったかも知れない。
来い!田上よしえの時代!
ブレイクを祈ります!(o゚▽゚)o
最後に
三浦マイルドさんおめでとう!
貰い泣きした(´▽`)
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おおっ!やった~ヽ(^0^)ノ
田上よしえさんが出てる~!
そこで今回は田上さんR1記念、雷ライブの話。
さて、これまで何度か書いてきたが、私は田舎者である。
東京なんか来たくなかった。
でも、とりあえずここで生活。
何とか楽しいことを探さねば…
東京だから見れるもの…
寄席だ!
浅草、上野、新宿、池袋
特に浅草演芸ホールは良く行った。ついでに観音さまもお参りした。
演芸ホールの角を曲がると浅草東洋館、チラシを配ってた。
へえ~お笑いライブかあ~
それから月一回の『雷ライブ』通いが始まった。
それが2009年だった。
毎回、約50組:5時間の長時間ライブ、ほとんど荒行!
予約で2000円、1組当たり40円。
なんか、いろんな意味で凄まじい。
その中で、私達夫婦が一推しになった芸人さんが「田上よしえ」さん。
とにかく、必ず笑えた。
私は、お笑いとは「言葉遊び」だと思っている。
そこを上手に遊んでくれると「あ~日本語って愉しい!」
と嬉しくなる。
ネタがよくこなれている。毒とペーソスが丁度いい。
美形でもブスでもないから、見た目で笑いは取れない。
だから尚のこと「笑いの職人」を感じる。
鬼奴さん、いとうあさこさんが売れていく。
いつだ!
田上よしえのブレイクはいつだ
…と待っていた。
一度、ピラメキーノの「子供グランプリ(子供の前でネタをやってどれだけ笑いを取れるか競う)」に出たのを見た。スベっていた。田上さんの笑いは大人の笑い、これは無理だよ。
田上さんを見たいとライブ情報を調べたりしていた。
だが、さっちゃん(馬越幸子)のゴッドタンで私の東京暮らしは劇的に変わり、今や私生活のほとんどがprediaになってしまった。
prediaを知らなければ、私の東京アイドルは田上さんだったかも知れない。
来い!田上よしえの時代!
ブレイクを祈ります!(o゚▽゚)o
最後に
三浦マイルドさんおめでとう!
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