空はどこから/猫の長靴 -163ページ目

空はどこから/猫の長靴

日記は苦手だけど、何があって何を思ったのか、あんまり分からなくなるのもねぇ(´Д`)
だからちょっとだけ、記録を残します。

タバコは百害あって一利なし、と言われるが、一利は有るのである。

何の嬉しいことも無くて、タバコなんか吸うものか。


入院していた時、喫煙室は患者達の、一種のサロンだった。
いつも同じようなメンツが集まって、何となく仲間意識が芽生えていた。

喫煙室の箱の中、老若男女の人間模様を、私は興味深く眺めていた。
時には別の階の喫煙室にも遠征した。

何の利害関係もないから、みんな対等である。
「患者」という弱者であるから、威張る人もいない。
不愉快な思いをしたい人もいないから、みんなフレンドリーである。
その中で、一番若かったのが私だった。


もの静かで恰幅の良いオジサンがいた。興味を持って話を聞いていると、この人は北海道で始めて冬タイヤを売り出す時、パイオニアとして送り出された営業マンだった。
まだそれ程の老齢でもなかったはずだが、将来入る老人ホームも決めていた。
悠然として、一人きりの老後を送る覚悟が出来ている人だった。


夜中に眠れず、いつも喫煙室をうろうろする白髪の痩せた老人がいた。
私も寝付きが悪かったので、夜中によく喫煙室に行っていた。
その人の息子さんは、父の治療の都合に合わせて、結婚式の日取りを決めたという。来週、外泊を取って式に出席する。
息子に迷惑をかけた、というその人に
「息子さんも誰よりもお父さんに出席してほしいんですよ」と言うと、くう~っと身を屈めて泣き出した。


土木作業員をしてきた男性が、もう身体を使う仕事は出来ないと宣告された。
「そんなこと言われたって、事務仕事なんて出来ない」
暇つぶしに読む本も思いつかず、共有スペースに放置されていた少女雑誌をつまらなそうにめくっていた。


いつも一緒に顔を出す中年女性のコンビがいた。
私はこの二人に、勝手に「華さん」「百合さん」というあだ名をつけていた。

華さんはいつも紺色に花柄のパジャマを着ていて、髪はボブでガラッパチな人だった。
外泊する日、おじさん達の「父ちゃんに可愛がってもらえよ~」という冷やかしに「あいよ~」と後ろ手を振って喫煙室を出ていった。

百合さんはフリルのついた白いパジャマを着て、髪を後ろで縛り、基本なよなよした人だった。腎臓病が進行していて、肌は黒く変色していた。
この人とは、退院後も通院患者の待合室で良く顔を合わせた。
通りかかった医者に「まだしばらく通わなきゃならんね」と言われ、子供のようにイヤイヤをした。
一軒家の一人暮らしで、雪が積もると大変だと嘆いていた。
一度雪掻きに行ってあげたいと思っていたが、果たせないままになった。


喫煙室の前をよく通りかかる、車椅子の女の子がいた。
人生のほとんどを病院で過ごしているような子で、からだは水ぶくれのように太り、腹の肉が腿まで覆い被さっていた。
誰かが声を掛けても、ロを尖らせて食ってかかり、どう見ても可愛げがあるとは思えなかった。
喫煙室での噂では、兄らしき人が来ることはあるが、他の家族は見たことがないという。
この女の子は、簡単な処世術を知らないでいる。
病院という狭い世界で愛されるには、たった二つの言葉が使えればいいのだ。
つまり、「ありがとう」と「うれしい」


病室は四人部屋だった。
その中に、木工品の製作、直売をしている社長さんがいた。
この人の見習い工時代からの工芸品の話は興味深かった。
かつて、国内旅行が北海道ブームだった頃、土産の定番といえば「木彫りの熊」だった。リアルな熊の造形と、口にくわえた鮭。当時はどこの家にもあった。我が家にもあった。

この社長さんは人格者だった。
奥さんは夫唱婦随を絵に描いたような温和しい人で、毎晩肝臓に効くと言われた健康食品(蜆の汁など)を持ってきた。
亭主がいないと何も出来ない、という頼りない感じだったが、ご主人はこの奥さんに対して、一度も声を荒げたことがなかった。
家のことをくどくどと相談する話も、辛抱強く聞いていた。
他の患者に対しても同様だった。自分の病気のことばかり一方的にしゃべる人に対し、遮ることなく相槌を打ってあげていた。

いつか、この人の工房を訪ね、お気に入りの工芸品を買おうと決めていた。

退院後も、通院の度にこの病室を訪ねていた。ついでに喫煙室でも一服して旧交を温めた。


ある日、いつものように病室を覗くと、ベッドが空になっていた。
賄いのおばさんに訪ねると
「地下から帰って行ったよ」
私がポカンとしていると、声をひそめて
「亡くなったということだよ」

それ以来、私が病棟を訪れることはなくなった。


……
……


ある、親戚でのお通夜のこと。
一番年嵩の伯父さんが短歌の本を読んでいた。

それは違う
と思った。

今、目の前で自分の人生におけるイベントが起きている。

泣く人、偲ぶ人、そして無駄にハシャぐ人。
身近な人の死を受けて、繰り広げられる人間模様。
その実在感に比べれば、本なんかに何ほどの意味が在るだろう。

本なんて、暇な時の添え物だ。
大切なのは、如何に生きている実感を感じるか。
つまり「自分が生ききる」か、ということだ。



サムネイル代わりとして、トルコ桔梗を一輪。
妻が母親の追悼として描いた絵──








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20代後半、腎臓病で2ヶ月間入院した。

パロディのように楽な入院だった。

治療のため、副作用の強い薬を服用する。
一時的に免疫力が下がって、いわばエイズのような状態になる。
だから病院から出てはいけない。

点滴一本打つわけではない。
丸薬を飲んでうがいするだけ…このうがい薬を使わないと身体の中がカビるそうだ。
時節は冬、風邪も大敵だった。

ちなみに、普段から粗食なので、病院食は旨かった。


この病院では、クリスマスにプロのシャンソン歌手が来て(院長と友人らしい)ロビーでコンサートをやるのが恒例だった。

歌の合間に「おじいちゃーん、点滴足りてますか~?」と声を掛けたりしている。
私は痛くも痒くもない患者として、ノーテンキにこんなイベントも楽しんでいた。


とはいえ、悪くすると「腎不全」と脅かされている。
それなりに思うところもあった。
仏教本を読み漁るようになったのはこの時からだ。


寝て食べる以外は読書をしていた。
TVは借りなかった。こんな贅沢な「ヒマ」を、TVで潰すなんてもったいなかった。


当時はまだ、知識欲も旺盛だったから、時間が出来たら読もう、と決めている本があった。

単にヒマなだけではダメ。
読書以外することのない環境──つまり入院した時に読む本。



「森林美学」大正時代の復刻版。

この本、森林の美観について述べる前に、まず眼球の説明から入る。

何故、人間は巨木を見ると畏敬の念に打たれるのか?

それは眼球の構造による。
眼は左右には動かし易いが、上下には動き辛い。

だから高い木を見上げると眼の筋肉に負担が掛かる。
その「緊張感」が「畏怖の念」へと繋がるのだ。
なるほどね~


森林を眺める視点は3種類ある。
一つは、外から森を見る。
二つ目は、森に入って中を見る。
そして三つ目、森の中から外を見る。

う~ん、三つ目は考えたこともなかった。



入院中は禁欲生活だから、こういう本を読むのがいい。


小説はダメだった。
読みかけだった吉川英治の「新・平家物語」を持ち込んでいたが、義経と静が出てくるだけで胸がモヤモヤしてダメだった。

看護婦(師)さんも、やたらとキレイに見えちゃうから、顔を見ないようにしていた。

とはいえ、見舞いに来られたら顔を合わせない訳にはいかない。
今の妻が見舞いに来たとき、顔を見たらキレイに見えた( ̄○ ̄)ゞ


高校時代の友人が見舞いに来てくれるというので、何か本を、とリクエストしたら、エロ小説を買ってきた。「新人看護婦─屈辱の診察室」

これは読めないとダメ出ししたら、律儀なヤツで別の本を買ってきた。「刑事コロンボ」のノベライズ、これは読めた。


職場の先輩が来て「何か欲しいものは?」と訊かれたので『方丈記』が読みたいと頼んだ。

しばらくして「普通の本は無かったぜ」と古文の参考書(注釈がたっぷりついた解説本)を買ってきてくれた。

初めて通しで読んだ。
一気に畳みかけるような結末に驚いた。

鴨長明さん、悟り澄ました嫌な奴だと思っていたが、なかなかに切ない、煩悩の人だった。


せっかくだから、英語の本も読んでみたいと思って、ジュブナイルの冒険小説を二冊ほど読んだ。辞書と首っ引きで。
ジュブナイルにしたのは、大人の本は難易度が高いことと、内容がエグかったら困るので。

勢いがついたところで、『ナルニア国物語~カスピアン王子の角笛』を読んだ。
これがシリーズ何作目かも知らなかった。

何とか曲がり真っ直ぐで読み進んだが、クライマックスで、ありとあらゆる妖精、化身がワラワラ出てきて、何が何だか分からなくなった。
ただ、大団円である事は分かった。





さて、そんなこんなで読書三昧な入院生活だったのだが、このブログで本当に書きたかったのは、実は全く別のことだった。

読書以上にインパクトがあったこと──

それは生身の人との交流。

お互いに「患者」という平等な立場で体験した人間模様である。


以下、次号に続く──



GWの真っ最中に、縁起でもない話題ですまぬ…
m(_ _)m






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海は赤いと思っていた!

中学か高校の国語の副読本に載ってた詩の一節である。

詳細は覚えていないが、
…幼児の頃、おもちゃの『赤い』ダルマを舐めた。
それが塩辛かった。
だからまだ見ぬ『海』というものは、赤いのだと思っていた
…というもの。


詩人ってのは「感性」と「言葉」の間で格闘するものだから、こんな表現も出てくるんだろうね。
実際、「桜は青です」と言う詩人には会ったことがある。


感性が一般常識とブレる、
という体験で思い出すのは
山下達郎さんの曲「LoveLand Island」



コマーシャルソングにもなっていた。
陽炎の立つ真夏のカフェ。
石畳の歩道でポニーテールの女性が激しいステップで踊る。
気だるい夏の午後の幻影──

ところがこの曲、私のイメージは晩冬の石狩浜、しかも吹雪の風景なのである。

10代の頃、下宿暮らしをしてる私を、実家住まいの友人が父親の車を持ち出し、ドライブに誘った。
どこに行く目的もなかったから、取りあえず海に向かった。

吹雪、そして鉛色の空。

みぞれ雪がびちゃびちゃとフロントガラスを叩きつけ、ワイパーが激しく動いて掻き分ける──

カーステレオからエンドレスで流れていた曲が『LoveLand Island』

一人暮らしをして、最初に出来た友人で、気のいい奴だった。
二年くらい仲良く付き合って、進路が分かれて疎遠になった。

ひとり暮らしをして、まずタバコを吸い始めた。
当時、1mgの「カレント」というタバコを立て続けに3本吸ったら、めまいで真っ直ぐ歩けなかった。

アルコールは手当たり次第、何でも飲んだ。
「不味いから飲めない」などは酒飲みの風上にもおけない、と思っていた。
でもただ一つ、合成清酒だけは、口の中がベタベタして、どうにも不味かった。



山下達郎さんの曲でもう一つ思い出すのは『パレード』

「俺たちひょうきん族」のエンディングテーマだった。
達郎さんの澄んだ歌声と、ひょうきん族のおちゃらけシーンのカットバック。

本来パレードの高揚感を歌った曲なのに、私のイメージでは「祭のあと」の侘びしさと結びついている。
ああ、今週もひょうきん族が終わっちまった。あとは何をしようか…

土曜の夜に下宿でひとり。タバコと安酒に浸っている。

そういえば、当時私のポータブルTVは白黒だった。

侘びしい青春だったなぁ。
でも、若かったからね。
「暗い青春」を愉しんでいた。



今、妻は地元に戻っている。
老父はすでに意識がない。
死の知らせが入り次第、札幌に飛ばなくてはならない。

何とか5月3日は外してくれるように、と勝手なことを祈っている。

それにしてもこのGW、バカバカしいほど陽気がいい。



達郎ファンには申し訳ないが、山下達郎さんの曲は私の青春期の憂鬱と結びついている。

今、家でひとり、達郎さんのベストアルバムを聴いている。

初夏の午後は、気だるい──








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