今回は以前制作したけいちょんフィギュアとけェス関連の物販を紹介する動画だ。はっきり言えばハズレ回なので、そういう回もあるかと割り切るしかないという感じだが、けいちょんチャンネルの物販計画に対する不快感の正体について考えてみたい。
個人的にはグッズを作るなり販売すること自体は別にやってもいいと思うのだが、なにが不快かというと、視聴者がどういうものを欲しがっているかの確認を一切せずにいつも見切り発車でグッズを制作していることだ。けいちょんチャンネルと視聴者とのあいだの需要と供給の概念が希薄で、毎度毎度作ったあとで「欲しいでしょ?良いでしょ?買ってね?」という一方的な商売をし始め、そして結局大して売れない、という時間とコストと労力において無駄の限りを尽くしているのだ。そしてそういう微妙な物販計画で動画1本にしてしまい、その上で「とんでもない」「重要」などというタイトルで釣り上げる。ここに視聴者側にストレスが発生する原因があると思える。
「やるなら本格的に」でお笑い芸人が音楽活動する場合はパフォーマンスよりもプロセスが最も重要だと述べたが、グッズ制作にしても同じことだと思う。いきなりグッズを作って売りつけるよりも、グッズを制作する”過程”を大事にすべきだ。視聴者がなにを欲しがっているか、どういうデザインが求められているか、いくらなら買うのか等、せっかくコメント欄があるのだからそこで意思の疎通を図ればいいものを、そういう摺り合わせはあまりされない。
けいちょんフィギュアを4万円で買おうと思う人が一体どれほどいるのだろうか。あまり売れないのだろうと思うのだが、「批判される運命にあるけいちょん」における「けいちょんを可愛いと思う層」が買う可能性あるのだ。つまりけいちょんをゆるキャラ的存在として愛してやまない人からすると、ホストに貢ぐ女性のようにして4万円だろうが、なんだろうが買うということになるのだ。
コメント欄を見ると、グッズを買うことでけいちょんチャンネルのためになるのだという声があるが、よくわからない。けいちょんやリンガスが金が欲しているというのなら、素直に募金すればいいし、とにかくけいちょんチャンネルを金銭面で援助したいというのであれば寄付すればいいのだ。けいちょんチャンネル基金でも作って募金額と収支、使途を公開し、お金の流れまで視聴者と共有したほうがまだ面白みがある。お金に関することは、けいちょんも羽振りこそいいがコソコソしている部分もあるので、収支をつまびらかにするというようなことはしたくないのだろう。
【けいちょん】チャンネル存続の危機!変わってしまった極楽とんぼ山本に松本D「ニューヨーク助けてくれ!
ニューヨークチャンネルの方では、「結婚して以降けいちょんがあまり怒らなくなってしまった」というチャバネ松本の不満をニューヨークのスタッフが暴露し、ニューヨークがけいちょんを問いただすという内容になっている。不満と言っても、酒の席での愚痴のようなものがもとなのであまり真に受けることもないと思うが、自分の考えを述べておくと、「けいちょんは怒るから面白い」という考えは半分正しいが半分間違っているとも思う。なぜなら、怒っててもスベるときはスベるし、そんなに怒らなくてもウケるときはウケる。
例えばマッコイ斉藤の発言を参照すれば、「大きい声出せば面白さが増すとでも思ってんのか?」というツッコミは的を射たものだと思うし、ギャーギャー喚いてることに対する不快感からけいちょんを批判するようなコメントも結構見てきた。大事なのは「面白いかどうか」であり、「怒る」とうのはそのための手段に過ぎず、怒り方を間違えるとスベるので諸刃の剣なのだ。怒り方を間違えると「どスベリボウズ」になるのだ。
「結婚してけいちょんがあまり怒らなくなってしまった」と言うが、妻との動画を見ると結構怒っているというかふてくされているのだが、そういう場合全然面白くないのだ。そこにはただただイライラしている太ったおっさんがいるだけであって、ひとつも笑いを提供しないことさえある。
もちろん怒らなければ面白くなるというわけでもない。とどのつまり、「100万再生回数の方程式」で述べたところの「喜怒哀楽感情の爆発」が面白さを生むのであって、”努”に限定する必要はない。チャバネ松本はけいちょんやけいちょんチャンネル出演者の「喜怒哀楽感情の爆発」をどうしたら生み出せるのかを考えるべきだろう。その喜怒哀楽感情もできるだけ装ったものでないほうが良いに決まっている。本当に喜んでいたり怒っていたり悲しんでいたりする状況に導いてほしいのだ。例えば「mckjがけいちょんにタメ口をきいたらキレるのか?」みたいな企画だと面白くなると思う。あまりこういう企画をけいちょんチャンネルはやろうとしないのだが。