トヨタ・セリカLBターボ | モータージャーナリスト・中村コージンのネタ帳

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今日は1日、写真整理に追われました。大型のスキャナーを借りることができ、古いブローニーサイズの写真をデジタル化していたのです。その写真を探している最中、まったく思いもよらない紙焼き写真が出てきたので紹介しましょう。

1978年、当時セリカターボを走らせていたシュニッツァーに取材に行きました。77年からドイツのツーリングカーレースに参戦していたセリカLBターボの取材です。写真からしてワークス活動2年目のロルフ・シュトメレンがドライブした赤いローデンシュトゥックカラーのモデルです。工場内ではストリップダウンした、前年ハラルド・アートルがドライブしたマシンもありました。





どこかのレースに向けて運ぶ直前だったようですが、堂々と街中で撮影させてくれるあたり、日本とはだいぶ違います。もっとも町といっても当時シュニッツァーが本拠を置いていたのは、オーストリアとの国境付近の小さな町。ほとんどド田舎ですから、何をやってもOKだったのだと思います。


工場内はまさに宝の山。








さすがに持ってけ泥棒とは言いませんでしたが、まあトヨタファンは泣いて喜ぶ品々がザクザクという感じでした。

まだシュニッツァーも田舎のチューナーの域を出ず、正面玄関はこんな感じ。↓



おっとぉ~、右のランチアは大内画伯のクルマではありませんか。



おっとぉ~、クルマの後ろに立っているのは大内画伯ではありませんか。こんなクルマが止まっていれば人も集まるっていうもんです。







クルマが止まっているのはシュニッツァーの敷地ではなくて、何と銀行(信用金庫みたいな)
の前です。残念ながら2年間走ってほとんど結果を残せなかったセリカ。2年目は最終戦を待たずにサーキットから撤退。理由の一つは創業者でもあるヨーゼフ・シュニッツァーが1978年に交通事故で他界したこともあったと思います。その後はBMWで大活躍したことはご存知の通り。もしセリカでうまくいっていたら、きっとトヨタのディーラーになっていたことでしょう。