ヒトは、記憶力があります。

 

使い方は、歴史の創造です。

 

 

よって、衝撃的なものほど

鮮明に残されます。 

 

希少性

刺激性

異常性

 

そういったもののレベルが

記憶者にとって高いほど

 

鮮明に残されるようなシステムになっています。

 

 

それは、生存本能に

起因していると考えられます

 

 

正常な生命活動を営んでいく上で

上記にあげたような属性の出来事が

 

障害となり得る為

 

同じような出来事に遭遇した際の

耐用性を高める為

 

優先的にメモリされていると思われます。

 

 

経験、とも言い換えられますね。

 

 

火が熱い事を

記憶できずに

 

何度も、その中へ身を投じれば

長生きはできません

 

 

まぁ、そういう事です(適当)

 

 

もっといえば


 

苦い想い出だったり

苦しい体験だったり

傷つけられたヒトコトだったり

 

 

そんなものばかりで

自分の歴史が埋められていくのも


 

必然ですね(私的見解)

 

 

だから、日記には楽しかった事だけ

書いておきましょう(唐突)

 

 

そんな提言はさておき

 

 

先日、こんな話しました

 

 

「亡くなった家族の事・・・

 考えてみれば、何も知らなかったね・・・」

 

 

そういわれて私は

 

 

「当然です。みんなそうですよ」

 

 

そう答えましたが・・・

 

 

 

まぁ、相手の方は

今ひとつ理解できませんね・・・

 

と言う感じでした。

 

 

まぁ、いつか此処をご覧になることも在るかとは

思いますので


 

一応、その気持ち悪さを

とっていただくために、記事にしておきます。 

 

他人の事は・・・

 

 

自分と適当な距離感の他人の事を

一番覚えます。

 

それは、もっとも自分に害をなす

可能性が高いからです。 

 

ほとんど接触を持たない他人は

危険性としては、低めなので記憶しません


さらに、記憶対象としても

不鮮明です。

 

その他人に興味がないため

細かくその他人を定義しないからです。

 

 

逆にずっと近しい他人の場合

 

 

自分を定義する為の

ひとつの要素として認識しています

 

つまり、自分の一部なのです。

それは、切り離せない普遍の要素。

 

存在しているという

事実こそ重要ではありますが

 

その他人そのものの事は

それほど重要ではありません

 

どんな人間であっても

両親は両親。

 

子供は子供

家族は家族

 

 

切り離せないですよね。

死んでても

 

遠くに居ても

 

だいっ嫌いでも

 

 

関係ないですね

普遍の要素です。

 

 

だから、本能的に

記憶するときの優先順位は

 

比較的低めなのです。

 

 

私は以上のような考えに基づき

あなたに

 

「家族の記憶に乏しいのは当然です」

 

 

そうお答えしました。

 

 


 

ご納得いただけましたかね?

まぁ、私にはこの事実以上の説明はできませんし

 

 

わかっていただけたかどうかも

私を計るモノサシに過ぎませんがね

 


 

では、またいつか(礼)


「どちゅてボウヤ」ってご存知ですかね?

 

なんでも、かんでも、「どちゅてでちゅか?」(どうしてですか?)

と聞いてくる、大人にとっては

 

うっとうしい事この上ないボウヤ

の事なんですが・・・・

 

何のTVに出てきたのかは忘れました。

まぁ、そんな輩がいたわけです。

 

最近それをふとおもいだして

今の自分と重ねています

 

「何故?」と

 

歳を重ねる毎に

思わなくなっていました。

 

まぁ、当然と言えば当然ですね。 

 


今の世の中

わからない事だらけで・・・ 

 

そのすべてに疑問を持っていては

 

生き難くてしかたありません(私的見解)

 

 

幼少期持ち合わせていた

純粋な感性も

 

拡がっていく世界の中においては

プロテクターで固めておかないと

 

維持できなくなっていくわけです。

 

でもね。

 

誰しもが全くもって

失くしてしまったものではなくて

 

 

ただ、奥底の金庫の中に

しまってあるだけで

 

いつまでも持ち続けているものなんだと思います

 

 

少なくとも私の中には

ありました。

 

 

それに最近気がついて

外側に出す努力をしてみました

 

 

すると・・・

 


とても、とても

世の中が面白い。

 

 

数学の問題集の中に

ポエムを書き込んで

 

絵の具を塗りたくった後

 

 

シンナーをぶっかけて

ケシゴムをあてるような

 

 

そんな世の中になります(謎)

 

 

すべてがフラットで

すべてがシンプルで


すべてが必然で

すべてが幻想で

 

すべてが記号で

すべてが名詞で

 

すべてが私に向かっていて

すべてが私から発信されているのです

 

なんとなく伝わりますかね

 

 

世の中に在る「不思議」を

順番にフラットに均して

 

 

その上に

名詞を書いて

 

歩く。

 

 

そこに幻想の波長が生まれ

 

 

私に向かったり

私から放たれたりして

 

 

ゆらゆらと

私を生かしていく


 

 

いま、そんな生き方をしています。

 

 

最高に無意味で

生産性の欠片も無い

 

 

だからこそ

 

 

最も面白い。

 

 


 

私は今、最高の気分です。

 

 



少し、甘くなった・・・

 

 

私の世界へ、多くの他人を入れ過ぎた

そうしたら、どうしていままで

 

入れてこなかったのかがわかった。 

 

 

こんなにたくさんは

許容できない。 

 

あきれるほどちっぽけな私。

 

 

 

今更、追い出せば

不足した質量に吸い込まれる

 

周りのもので

 

痛みを伴うだろう

 

 

でも、別にかまいやしない

 

 

 

もともと、痛みには慣れている

それよりもずっと

 

 

ずっとずっと恐いのは

 

 

私が私以外のものによって

形成されたもので

 

 

私として成立してしまう事。 

 

 

そうなってしまっては

もう戻れない

 

 

失うリスクを

マネジメントできない

 

 

そうなる前に・・・・

 

 

 

少しずつ

痛みを伴いながら

 

 

吐き出せばいい

 

 

そして混じりっ気無しの

 

 

 

純度の高い

私に戻ればいい・・・。