紅狩人のブログ -84ページ目

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前回のブログで動機の理論を使い
人間の行為を説明しましたが
今回はシステム用語、動機の理論、
ゲーム理論、哲学的な言葉を利用して
人間の行為から社会現象と歴史について書きたいと思います

まずシステム用語はインプット、スループット、アウトプット
動機の理論は基本的動機、社会的動機、内発的動機
ゲーム理論は損か得、報酬と罰(ポジティブかネガティブ)
哲学的な言葉は抽象化
これらを使ってモデルを導きモデルを利用して説明します

まず人間は環境からインプットし
それを自分にとってネガィブかポジティブかを判断します
ポジティブならそれを増やそう(報酬など)と
ネガティブならそれを減らそう(罰など)とします
生命の維持に対しては基本的動機から行為し
社会的に関わるものでは社会的動機からくる行為をします
その時の手段として自分の資源(体や頭脳、人間関係性など)を使います
体は暴力、実力手段として
頭脳は知識を使ったり抽象化作業をして情報を応用します
人間関係は政治です

例を挙げてみます
食料を増やそうと耕作が始まりました
食べられる(ポジテブなもの)を増やすため
資源の体(畑仕事)や土地(領地)を使います
(足りないと有るところから奪います、時には争いになります)
洪水や日照り(ネガティブ)で田畑や住居がダメになると
それらを回避するため河川工事や手段がないと神頼みです
それらに道具を使いますが
道具は物の性質を応用するところから
石の特性を応用し物を砕く以外に
切れる物は肉を小さく切って食べやすくしたり
石斧にしたり矢先にしたり狩りを成功しやすくします
木の性質を利用し形を作り組み合わせたりして
農作物をより多く得るためにより広く田を耕すなどに利用します
物の性質を応用するためには抽象化が必要です
論理的である実用はなくても
こうするとこうなるというようなことは
経験で得てイメージや記憶を頭の中で別の目的に利用するのです
脳で性質を理解しないと思いつきませんイメージできないのです
(石がゼリー状だと理解したら物を砕くのに使おうとは思わないでしょう)
脳で理解した性質を他の目的など他の意識しているもの(問題など)に
応用できるようにするのが抽象化という作業です
(動物も多少はできると思います)
自分で考えたことを言える許された社会での人間は
基本的動機、社会的動機からくる欲求を満たそうと
自分にとってポジティブになるように論理を組み立てます
それに都合の悪い理論は非難します
誰かの意見を非難や否定することで
自分の欲求を満たそうとする人もいます
(間違いと決めたものを否定するのは正しいと導けますが
間違いかどうかは「問い」に対してですから
自分にとって間違いと思えるかどうかではありません
問題をすり替えてもその元である現象は無くならないです
前提が違うと単なる利害関係でことが進み何も解決はしません)

さて自分の意見を言っても許されるのは
社会が共有してる常識範囲内です
そこからずれたものは罰を与えられます
(ここから異端者の話です)
しかし人間には内発的動機があります
自己実現を果たそうとする動機があります
経験からくるもの本からくるもの
これらから動機が生まれ自分が実現したいものを意識し
それを実現するために資源を吸収したり使います
しかし内発的動機は社会的に許されない現実があります
人間困っている状態の時に助けを欲しがりますが
困ってない時に余計なことされると怒ります
(邪魔だとも思い善意でしたことも罰を与えるかもしれません)
誰もが疑問に思わないことを疑問に思い考えたことを言えば
罰を与えようと疑問に思わない人はします
常識が崩れると人間関係(政治)が変わり
今まで通り満足が続かないと思うからです
理屈は基本的動機、社会的動機からくる欲求によって論理が組み立てられます
(相手が悪者で自分は正しいというでしょう)
現代世界はその歴史を反映してます

欧米による植民地支配を問題視した日本の行為を
欧米やアジアが非難するのは
欧米の基本的動機と社会的動機、内発的動機からくる
欧米に都合の良い資源や性的搾取できる世界の実現に対して
邪魔したので非難し
アジアは社会的動機からくる欲求を満たすため
日本を非難したほうが政治的優位に立てるためです(要求が通しやすくなる)
アジアの非難の根拠は
欧米による非難ですが
戦前の日本以外のアジアは欧米にものを言える立場にありません
アジアは戦後日本の恩恵を受けて日本を非難するのです(欧米みたいに)
欧米の植民地支配を支えた理論は
肌色や骨格の違いから他文化の人間を人間ではないと結論付け
(キリスト教の人間以外は人間が利用できるみたいな教え)
イスラム社会からの恩恵でそれまでの自分たちの社会を忘れ
欧米以外を文明的でないとし自分たちの都合のいいように変えたのも
ソクラテスたちなどを殺した社会の子孫が満足を求めた結果
殺された異端者の仕事の成果は
殺した社会の人たちの満足に利用され
今でも常識と違う意見は世界的に許されません
(イスラム社会には日本に友好的な人もいますが
欧米は常に自分たち側が正しいようにコントロールします。罰と報酬で)
ただしイスラム社会は
異端者である預言者を殺さず子孫が残っているせいか
同じような境遇であったギリシア時代の人々の意見である石板も残しており
社会的に誰かの基本的動機や社会的動機が
誰かにとって害にならないような知恵があるみたいです
(人間性を見ているような)
人の自己実現を利用して自分の欲求を満たそうとする欧米と
基本的動機と社会的動機からくる欲求しか認められないアジアと
欧米から恩を仇で返されているイスラム社会
(欧米に振り回される社会だと欲望を満たすことが優先されるみたいですね)
欧米の都合によりテロリストを異常と扱う正義のマスコミも
社会に対して個人に対して世界は地域社会での知恵を無くしつつありますね
なんせ欧米の神様は人の不幸が大好きみたいです
欧米人が人間をやっつけたり罰を与えると
神様が許してくれるので
なんとも都合の良い存在ですね

私が尊敬する歴史上の人物は
皆、神に逆らったとか悪だとか言われて殺されてます
そして殺した子孫がその仕事の恩恵を受けて
欲求を満たし神様に見守られているのです

地獄サイコー!!

assist

近々、戦後の談話が出るそうで
日本の関係国から注目されそうです
何でも近隣諸国との関係を配慮して
侵略戦争がどうの
お詫びがどうのとの話ですが
おそらくこのブログの書いていることとは
かけ離れた内容になると思います

そもそも世界対戦までの経緯が
世界金融恐慌がどうの
日本の侵略がどうのなど
近視眼での常識が話し合われてますが
始まりは欧米の植民地支配が始まりであると思います
そのまえにルネッサンスとか
奴隷貿易での莫大な富などが欧米にもたらされたとか
植民地支配が始まるまで色々芽はありますが
日本に対する影響がはっきりしているのは
欧米の植民地支配の勢いです
支那の阿片戦争の敗戦とその後の社会の廃退
(麻薬に庶民が汚染されてたとか)
それと黒船来航に社会の危機感
(日本が蹂躙されるという危機感)
これらが情報として共有され
幕末の志士が志を元に日本を変えました
そして日本は欧米との競争となり始めます
日本に対する軍事的脅威を払おうと苦心しますが
その中で資源を求めて中国へ進出したり
ロシアの牽制を込めて朝鮮を併合したりしますが
欧米が日本、アジアに対して
なんら脅威でなく搾取も求めず
主権を尊重すれば
なにも日本は軍事的行為も
植民地も持たなかったことでしょう
欧米やロシアが元で始まった
軍事増強に伴う人的被害の甚大化
日本以外のアジア諸国の近代化失敗による
日本のみの世界的境遇
これらを抜きに欧米やロシアからは
日本が悪者として自分たちを正当化し
日本がいなければ植民地以外の道がなかったアジア諸国からも
謝罪を要求されてます。しかも欧米からもです。
まるで日本がいなければ悪いことは起きなかったかのような論理で。

しかも今の中国や韓国の経済発展が
自分たちの能力のおかげだと主張しています
韓国は日本の莫大な経済援助で発展し
中国は日本のインフラ知見や経済援助で
経済が軌道に乗ったのにもかかわらず
それまでの政策の失敗がなかったかのように
自分の有能さを誇示し
その経済力で軍事を発展させ日本の安全保障を脅かしてます
そして日本に災害があるごとに天罰だと高笑いします
世界常識がこれです
人間はこんなことしかできません
それが正しい歴史です
世界の常識です
そして繰り返します
欧米がイスラム社会の恩恵を受けルネッサンスを興し
アフリカ人の労働力で莫大な富を得ておいて
イスラム社会やアフリカにその富を全然還元せず
南米からも搾取し
さらにアジアでもそれを行おうとして
日本が立ちはだかって
欧米がそれを大体的にしなくなった時
今度は中国です
日本の恩恵を受け
これまでの欧米と同じよなことをし始めてます

この歴史の繰り返しを防ぐため
戦争への悲劇を繰り返さないためには
(中国の行為に関係国は怒っています
まるでかつての日本のように、構造と軍事的差が・・・)
ペンのみです
軍事的には変わりません
社会を変えるのはいつだって言論でありペンです
愚かな行為に気付かさせ
知恵を生むのです
軍事力が解決できない問題に目を向けるのです
環境問題だって確かな取り組みはどこも成功してません
気候変動が戦争をううかもしれません
世界恐慌がヒトラーを生んだように
気候に苦しみ戦争に苦しんでは
誰も喜ばないですが
未だに政治家は軍事力を頼ります
軍事力自体が悪いわけではありません
軍事力を利用した政治ゲームに問題があるのです
これらゲームが軍事力で解決できない問題を後回しにするのです
(環境問題に取り組むと貧困問題を解決できないというのは
経済問題を混同しています。環境と貧困は別の問題です)

おそらく政治のこれまでのパターンを変えなければ
経済問題を解決すると
人類の将来が危険になるかもしれません
経済力が軍事力に結びつき
諸外国より政治的優位に立てることが常識だからです
もしかしたらリーマンショックは
これらの延長線上の人類の不幸を止めるための
見えざる手の最後の救いだったのかもしれません
経済が衰退すれば気候変動も自然と解決できるかもしれないからです
戦争は起きても気候に苦しまないで済んだかもしれません
まさに進むも地獄戻るも地獄ですね

ペンを持つ人がこれらを変えられれば一番知的でいいのですが
リーマンショックから回復した経済力を
経済構造転換に利用してもらえませんかね
(持続可能なエネルギー構造や経済構造に)
設備投資は毎年のことではなく
それこそ何十年に一、二回ですし(多分)
技術も改良すればさらに経済的には良くなるだろうし
社会システムの知見はそれを実現するに至ってないんでしょうか
原爆の開発は進んでもしょうがないのが現状だと思うのですが
経済問題を解決してくたびに
その経済力が環境という問題を解決するさらなる原動力になれれば
良い循環が生まれると思うのですが
マネーゲームをするのでなく
政治ゲームに明け暮れるのでなく
経済、民を救ってみるのも政治の仕事であり
政治が経済の邪魔になってはいけないと思うのですが
世界の常識ではまだ民を救うより
政治家が欲しがってばかりですね
ゲームばっかり・・・

need

以前ここのブログで
人間らしく知的な欲求を満たすことがいいなど
書いてましたが(動物との生き方の違い)
動物は生理的欲求を満たそうと生きてます
人間もそうです、おかしくもありません
心理学的に言うと
基本的動機だとか
(iTuneUの早稲田の講義「動機付け理論」
の授業で知りました)
そのほかに
社会的、内発的動機などがあるそうで
詳しくはiTuneUを見てください
人間の歴史を見てみますと
特に内発的動機からくる欲求を満たそうと生きる人たちは
基本的動機、社会的動機からくる欲求を満たそうと生きている人たちに
よく殺されてます
ソクラテスがいい例です
ソクラテスはイデアを追求していました
しかしそれらの欲求を持た無い
知的欲求は持っていても
同じような疑問を持た無い人たちに
神々を侮辱した罪で責められ自ら毒を飲みました
(確かこんなような話だったような・・・)
同じような理由で殺された人は西洋ではたくさんあります
もしかしたら現代でもそうかもしれません
イジメという形で・・・
別に殺した人が信心深いという理由じゃ無いと思います
常識を変えられたら自分の立場がまずくなるかも
知れないからだと思います
基本的動機からくる欲求が満たされなくなる恐れがあるからです
社会構造が変わるのは生活が変わることですから
社会を常識を元に構造(人間関係)があり
構造を元にシステム(複雑な機能つまり経済)があるとすると
常識が変わるのは人間は本能的に拒否します
変えられる側は。
変える側は御構い無しです
本人は悪いことをしている自覚がありません
むしろ自分を偽らずに良い生き方だとも思っているはずです

変える側と変えられる側で大きな違いは
人間が持つ欲求であるものが
内発的な動機があるかどうかだと思います
これら動機は人間的な特徴を表してます
動物でも遊びという行為はありますが
人間も知的欲求、内発的動機からくる好奇心は
人間を人間らしくしてきました
(文明的な生活を可能にしてきました)
歴史の中では死んでから認められるのも珍しくはなく
生きてるうちに認められるのはごく最近に
おそらくノーベル賞が出来てからではないでしょうか
異端者が必ず人類の発展をさせているというのではなく
異端者の中にはです
異端者になればいいというのではなく
内発的動機からくる要求を満たそうと生きていると
常識から外れて異端者に結果的なることもあるということです
人類にとって良いことではあり
多大な恩恵をもたらしますが
社会的には悪になってしまいます

わたしは将来、いえ現代からでも
システムの知見を磨けば
人類がシステムを道具のように
ハサミや金槌のように自由に自分に合うように加工でき
都合の悪いシステムの要素を簡単に修正でき
人類みんなにとって生き易い且つ
その時代に納得がいくように加工できるように
社会システムが進歩するのがいいなぁと思っています
ずるい人がいい思いをするのではなく
良い社会に貢献できる人が少なくとも不自由しない
そんな社会システムになればいいと思います
お金の問題もありますが
物欲を満たしても際限はないですが
誰かが我慢するのではなく
動機からくる欲求を満たせれば
もちろん良い社会の内でですが
真っ当な内発的動機からくる人が欲求を満たそうとしても
不幸にならない社会がくるといいなと思ってます

ビジョンというほどではないですが
人類の発展に貢献した人を不幸にしておいて
滅ぼした人たちがその恩恵を受け
幸せだという構図は人間として恥ずかしいです
欧米のイスラム社会への傲慢な政策も
人類の汚点となりますし
そもそも欧米の常識が良いわけでもなんでもありませんからね
(この辺もシステムに問題が出てると思います)
なんでテロリストは自分の命を犠牲にして
戦っているのでしょうか
人間として許せないものを
テロリストに感じさせているのではないでしょうか
悪を倒すのではなく
良いことをする方法はないもんでしょうか・・・