linearly
私が書いてるブログのタイトルに
深い意味はないんです
案外いいかげんで
前につけたのと同じタイトルの場合もあります
きっと同じようなことを思いながら書いたんでしょう
(タイトルだけでなく内容もですが・・・)
人は答えを出します
結論といいましょうか
帰結といいましょうか
ひらめいたり思いついたり
なんとなくでも思考してでも
ある日突然でも
それこそ夢のなかででも
(覚えているかどうかは別で)
よく、わからないことがわからないという人が
いると思います
何がわからないかわかれば
自ずと答えは導かれると思います
例えば計算問題だとします
数字の意味、演算子や記号の意味がわかれば
答えを出すことができると思います
(計算ミスはあるかもしれませんが)
算数の文章問題では抽象的に考えないと
難しいかもしれません
りんご三つを頭のなかで思い浮かべるとか
それを増やしたり減らしたりなどと
生物についての問題では
何について解いているのか、
バッタならバッタが思い浮かべられなければ
文章だけで想像して理解するのは難しいでしょう
絵を覚えるなり
実際に飼うなり
カエルを知ってても
バッタを知らなければ
バッタについて問われても
バッタを知っている人が納得する答えは出せないでしょう
地域の問題をよその人が好き勝手に解決できないです
その地域の人にしかわからない事情もあるのです
今、パソコンが使えるのは
チューリングがいたから使えるというより
ユークリッドやアルキメデスなどもいたからかもしれません
私はそう思っているだけで
勉強している人は
もっと違う理由を思いつくかもしれません
私は知らないからそれが何かはわかりませんが
論理的に考えようにも
知らないことを言葉にして
論理的に考えることは難しいです
何か知ってれば映像でも絵でも実物でも(イメージも?)
それを言葉や論理にすることはできますが
そして人それぞれに表現できるでしょう
言葉や論理を手段として
システムは基底から構造ができててそれを元に機能する
と以前書きましたし
社会は常識(基底)から人間関係、社会関係(構造)から
機能し、機能が関連してシステムともなってます
そして過去、現在、未来があります
現在が過去を作ってますが未来は決まってません
過去を知り辿っていけば現在に繋がっています
過去について知らないことがわかってくると
現在のわからないことがわかってきます
事実かどうかは保証できませんし
脳自体過去を全て正確に記憶することはできないらしいです
ましてや生きていないことのことなどや他人の事実の保証はできないはず
記録しても信じる人だっていないかもしれません
(津波の古文書のように・・・)
このように過去が必ず現在に影響を与えているとは限りませんが
過去が影響していることはあります
イスラム社会の大学などもそうらしいと思います
大学が出来た経緯は知りませんが
現在は多くの国にある施設で社会に影響を与えてます
どういう経緯でできたかがわかれば
大学みたいな機能の施設を大学のない国などに導入しやすくなるはず
いらない箱物ではなく
利用の仕方がわかって機能すると思います
(日本は寺子屋(塾?)からの流れを汲んでるはずですが)
はたして知識を教え研究するだけの施設だったのでしょうか・・・
このように社会問題も経緯がわかれば
対処しようがあると思います
根本的解決とでもいいましょうか
社会問題がわかるということでしょうか
原因というわけでなく条件が時間をかけて積み重なって
問題現象が現れるということです
当事者ならそれも考えやすく
また当事者ではなく違う視点から見た意見も聞き入れて
当事者が参考にできれば
関係者が納得するアイデアが出るでしょう
誰かのせいにしていても
解決しないのが関わりあっている社会でしょう
(責任も動機もない人が起こした事に大きな責任は負わせられるのでしょうか)
困らせてくる人を変えたくても
自分の影響で困らせてくる場合もあるのです
自分でない事もあり、他の影響で変わらないのかもしれません
それを知らなければまた同じ事の繰り返しかもしれません
社会で起きる事に原因があるとは限らず
影響を無視してはならず
影響の影響は自分かもしれない場合もあるのです
頭がこんがらがってきますが
現象の経緯ならそんなに難しくないかもしれません
物語として理解できるはず
ある程度影響範囲を絞ればですが
完璧にしようとしても無理がありますから
問題現象の解決アイデアがうまくいかなければ
また問題現象を分析していい解決アイデアが出るような
問題を設定すればいいのです
経緯の中に見落としがあるはず(動機、出来事なども必要かもしれません)
私にはそう思えます
ま、問題を人任せでは当事者は考えようもありませんが
もちろん答えも出せません
時間が許したり問題を解いてほしい人が待てれば
チャンスはいくらでもありますがね
事実ではありません
私はそう思うのですあくまで私の中では。
あくまで今の所のはなしです
深い意味はないんです
案外いいかげんで
前につけたのと同じタイトルの場合もあります
きっと同じようなことを思いながら書いたんでしょう
(タイトルだけでなく内容もですが・・・)
人は答えを出します
結論といいましょうか
帰結といいましょうか
ひらめいたり思いついたり
なんとなくでも思考してでも
ある日突然でも
それこそ夢のなかででも
(覚えているかどうかは別で)
よく、わからないことがわからないという人が
いると思います
何がわからないかわかれば
自ずと答えは導かれると思います
例えば計算問題だとします
数字の意味、演算子や記号の意味がわかれば
答えを出すことができると思います
(計算ミスはあるかもしれませんが)
算数の文章問題では抽象的に考えないと
難しいかもしれません
りんご三つを頭のなかで思い浮かべるとか
それを増やしたり減らしたりなどと
生物についての問題では
何について解いているのか、
バッタならバッタが思い浮かべられなければ
文章だけで想像して理解するのは難しいでしょう
絵を覚えるなり
実際に飼うなり
カエルを知ってても
バッタを知らなければ
バッタについて問われても
バッタを知っている人が納得する答えは出せないでしょう
地域の問題をよその人が好き勝手に解決できないです
その地域の人にしかわからない事情もあるのです
今、パソコンが使えるのは
チューリングがいたから使えるというより
ユークリッドやアルキメデスなどもいたからかもしれません
私はそう思っているだけで
勉強している人は
もっと違う理由を思いつくかもしれません
私は知らないからそれが何かはわかりませんが
論理的に考えようにも
知らないことを言葉にして
論理的に考えることは難しいです
何か知ってれば映像でも絵でも実物でも(イメージも?)
それを言葉や論理にすることはできますが
そして人それぞれに表現できるでしょう
言葉や論理を手段として
システムは基底から構造ができててそれを元に機能する
と以前書きましたし
社会は常識(基底)から人間関係、社会関係(構造)から
機能し、機能が関連してシステムともなってます
そして過去、現在、未来があります
現在が過去を作ってますが未来は決まってません
過去を知り辿っていけば現在に繋がっています
過去について知らないことがわかってくると
現在のわからないことがわかってきます
事実かどうかは保証できませんし
脳自体過去を全て正確に記憶することはできないらしいです
ましてや生きていないことのことなどや他人の事実の保証はできないはず
記録しても信じる人だっていないかもしれません
(津波の古文書のように・・・)
このように過去が必ず現在に影響を与えているとは限りませんが
過去が影響していることはあります
イスラム社会の大学などもそうらしいと思います
大学が出来た経緯は知りませんが
現在は多くの国にある施設で社会に影響を与えてます
どういう経緯でできたかがわかれば
大学みたいな機能の施設を大学のない国などに導入しやすくなるはず
いらない箱物ではなく
利用の仕方がわかって機能すると思います
(日本は寺子屋(塾?)からの流れを汲んでるはずですが)
はたして知識を教え研究するだけの施設だったのでしょうか・・・
このように社会問題も経緯がわかれば
対処しようがあると思います
根本的解決とでもいいましょうか
社会問題がわかるということでしょうか
原因というわけでなく条件が時間をかけて積み重なって
問題現象が現れるということです
当事者ならそれも考えやすく
また当事者ではなく違う視点から見た意見も聞き入れて
当事者が参考にできれば
関係者が納得するアイデアが出るでしょう
誰かのせいにしていても
解決しないのが関わりあっている社会でしょう
(責任も動機もない人が起こした事に大きな責任は負わせられるのでしょうか)
困らせてくる人を変えたくても
自分の影響で困らせてくる場合もあるのです
自分でない事もあり、他の影響で変わらないのかもしれません
それを知らなければまた同じ事の繰り返しかもしれません
社会で起きる事に原因があるとは限らず
影響を無視してはならず
影響の影響は自分かもしれない場合もあるのです
頭がこんがらがってきますが
現象の経緯ならそんなに難しくないかもしれません
物語として理解できるはず
ある程度影響範囲を絞ればですが
完璧にしようとしても無理がありますから
問題現象の解決アイデアがうまくいかなければ
また問題現象を分析していい解決アイデアが出るような
問題を設定すればいいのです
経緯の中に見落としがあるはず(動機、出来事なども必要かもしれません)
私にはそう思えます
ま、問題を人任せでは当事者は考えようもありませんが
もちろん答えも出せません
時間が許したり問題を解いてほしい人が待てれば
チャンスはいくらでもありますがね
事実ではありません
私はそう思うのですあくまで私の中では。
あくまで今の所のはなしです
grip
ただ生きる
生き抜く
・・・立派です
死ぬのは愚かなことだとは思いませんが
ただ生きるだけでも立派なもんです
理由は別になくてもいいはず
生まれるのにプロセスはありますが
確かな理由などないはず
(赤ちゃんを運ぶコウノトリの奴は理由を持ってるかも)
しかし人間は無意味に不快な思いを抱きます
理由が無いことに耐えられないそうです
誰かに不条理なことをされたら
許せないでそうさせないように対処しようとするはず
人生はときに不条理があるものですけどね
(特定の誰かのせいというより現象として)
生きるのに理由を探している人は
目標のために行きたいんでしょうね
目標のために生きるのが
生きる理由になるから
行きている内に目標が見つかるかもしれない
目的が見つかるかもしれない
最終目的じゃ無いかもしれない
目標を達成したら
次の目標が出来るかもしれない
できなくっても
目標を達成したら
その大きさに応じて満足が続くかもしれない
目標や目的を達成させようとしている内に
才能が身につくかもしれない
(脳科学者の言う一万時間です)
きれいごとみたいで現実味の無い話ですが
お金が付いてこないと
実際生活がありますし
生きるのにお金は必要です
生活できる上で目標を達成させるのは
なかなか困難です
なぜなら
誰かの要望を満たして
役に立ってお金をいただく世の中の
仕組みになっているからです
自分の目標や目的を達成しようとすると
絶対人のために何か仕事をしないといけないのが世の中です
生きる目標が自分のためだけだったら
人のために何かをするのは不本意でしょう
我慢をするかもしれませんストレスがかかります
しかし自分のためにすることが
人のためにもなることだったら
自分の目標の一部分として受け入れられるはず
目標から逸れているとは言いにくいからです
もちろん仕事の内容など「形」は
思っているのと違うかもしれませんが・・・
世の中を渡っていくのに
世界の荒波を渡っていくのに
自分だけが満足するように生きるのは
無理があるかもしれません
自分たちの社会だけが満足するのも
世界の関わり合いの中で難しいはずです
(アメリカの建国の理念は人類の災難ですwww)
ましてや人間の脳が社会をうまく運営するために
発達してきたという前提に立つと尚更です
人間は思いを果たそうと生きるものかもしれません
自分が良いと思ったことを否定されるのは
ほとんどの人が不快な思いをするはず
目標に沿わない仕事も
目標を妨害されることも
ストレスがかかって不快反応を示すはず
時には人のためになることでも
ゲームの世界では妨害されます
(損か得かであり相手の得を防ぐのが
勝つための手段でもありますから)
それでも目標のために仕事をして
結果、妨害した人の得になるなんて
人間のなかには惨めな人もいるもんです
そうして他の人の犠牲になって
他の人が得をして
文化文明が発展するのです
学生が学んでいるのは
その積み重ねです
知識を生んだ人の貢献は
享受している人のための犠牲でもあります
生きているうちに富をや名声を得た人は
近代ではそこそこいますが昔はまず許されない人でした
昔から個人の死は大衆の利益だという考えが
西洋のなかにはあるそうですが
日本のもお坊さんや
厄年の風習などで公のためにというのはありました
(以前のブログでこのことは書きました)
なかには自らの命を差し出した人も・・・
世のため人のために生きる時
自らがそうして仕事を成す時
誰かに頼るのではなく
自らが背負ってなそうとする時
おのずと道は開けるのかもしれません
天才とは言えないかもしれませんが
頭がいいというのは
邪魔されても折れずに仕事を成すのには
こういうことかもしれません
あなたにもこの先生きていれば
こういう目標ができるかもしれません
そも目標をあきらめず達成した人を
成功者と人は言うのかもしれません
楽しんで生きるのも
また一つの生き方かと
なぜならある人の満足がほかの人の満足となることも
またあるからです。
なんにしても人生に満足できるのが
後悔しない人生だと思います
(当たり前ですが)
生きる目標(理由)がなくても
満足できることはできるはずです
ま、考え方、捉え方次第ですけどね
生き抜く
・・・立派です
死ぬのは愚かなことだとは思いませんが
ただ生きるだけでも立派なもんです
理由は別になくてもいいはず
生まれるのにプロセスはありますが
確かな理由などないはず
(赤ちゃんを運ぶコウノトリの奴は理由を持ってるかも)
しかし人間は無意味に不快な思いを抱きます
理由が無いことに耐えられないそうです
誰かに不条理なことをされたら
許せないでそうさせないように対処しようとするはず
人生はときに不条理があるものですけどね
(特定の誰かのせいというより現象として)
生きるのに理由を探している人は
目標のために行きたいんでしょうね
目標のために生きるのが
生きる理由になるから
行きている内に目標が見つかるかもしれない
目的が見つかるかもしれない
最終目的じゃ無いかもしれない
目標を達成したら
次の目標が出来るかもしれない
できなくっても
目標を達成したら
その大きさに応じて満足が続くかもしれない
目標や目的を達成させようとしている内に
才能が身につくかもしれない
(脳科学者の言う一万時間です)
きれいごとみたいで現実味の無い話ですが
お金が付いてこないと
実際生活がありますし
生きるのにお金は必要です
生活できる上で目標を達成させるのは
なかなか困難です
なぜなら
誰かの要望を満たして
役に立ってお金をいただく世の中の
仕組みになっているからです
自分の目標や目的を達成しようとすると
絶対人のために何か仕事をしないといけないのが世の中です
生きる目標が自分のためだけだったら
人のために何かをするのは不本意でしょう
我慢をするかもしれませんストレスがかかります
しかし自分のためにすることが
人のためにもなることだったら
自分の目標の一部分として受け入れられるはず
目標から逸れているとは言いにくいからです
もちろん仕事の内容など「形」は
思っているのと違うかもしれませんが・・・
世の中を渡っていくのに
世界の荒波を渡っていくのに
自分だけが満足するように生きるのは
無理があるかもしれません
自分たちの社会だけが満足するのも
世界の関わり合いの中で難しいはずです
(アメリカの建国の理念は人類の災難ですwww)
ましてや人間の脳が社会をうまく運営するために
発達してきたという前提に立つと尚更です
人間は思いを果たそうと生きるものかもしれません
自分が良いと思ったことを否定されるのは
ほとんどの人が不快な思いをするはず
目標に沿わない仕事も
目標を妨害されることも
ストレスがかかって不快反応を示すはず
時には人のためになることでも
ゲームの世界では妨害されます
(損か得かであり相手の得を防ぐのが
勝つための手段でもありますから)
それでも目標のために仕事をして
結果、妨害した人の得になるなんて
人間のなかには惨めな人もいるもんです
そうして他の人の犠牲になって
他の人が得をして
文化文明が発展するのです
学生が学んでいるのは
その積み重ねです
知識を生んだ人の貢献は
享受している人のための犠牲でもあります
生きているうちに富をや名声を得た人は
近代ではそこそこいますが昔はまず許されない人でした
昔から個人の死は大衆の利益だという考えが
西洋のなかにはあるそうですが
日本のもお坊さんや
厄年の風習などで公のためにというのはありました
(以前のブログでこのことは書きました)
なかには自らの命を差し出した人も・・・
世のため人のために生きる時
自らがそうして仕事を成す時
誰かに頼るのではなく
自らが背負ってなそうとする時
おのずと道は開けるのかもしれません
天才とは言えないかもしれませんが
頭がいいというのは
邪魔されても折れずに仕事を成すのには
こういうことかもしれません
あなたにもこの先生きていれば
こういう目標ができるかもしれません
そも目標をあきらめず達成した人を
成功者と人は言うのかもしれません
楽しんで生きるのも
また一つの生き方かと
なぜならある人の満足がほかの人の満足となることも
またあるからです。
なんにしても人生に満足できるのが
後悔しない人生だと思います
(当たり前ですが)
生きる目標(理由)がなくても
満足できることはできるはずです
ま、考え方、捉え方次第ですけどね
spiritus
昨今、人を説き伏せるのに
もっぱら使われるのが
科学的、合理的な論理ですが
昔、日本に精神論なるものもありました
「結果が出ないのは心が弱いからだ」
などというような発現があったとか
この精神論、対象が物質とか自然現象などの場合は
あまり効果的ではないと思うのですが
対象が人間や社会などというのでは
バカにできないものがあります
何故なら人にはどんな位に言い訳があっても
意図というものが伝わるからです
文章で言えばコンテキストなるようなものが。
例えばあなたに甘い言葉で語りかけ
お金や体を求めてきて応えたとします
その言葉はあなたが頑張ってきたこれまでで
一番求めていた言葉としましょう
そして頑張ってきた証であるお金や体を差し出すのです
あなたに残るのはなんですか
辛苦を味わい頑張ってきた証しを搾取され
あなたに残ったのは何もありません
対価を払ったと思えますか?
満足できますか?
また頑張ればいいのですか?
報われたのですか???
そこで心の問題です精神の問題です
あなたのお金や体を求めた人は
あなたの苦労からきた心の隙を利用したのではないのですか
あなたのためでなく自分のために
あなたのために何一つなっていません
たとえあなたが納得の上でのやり取りでも
決してあなたに対して善意でかけた言葉ではありません
むしろ悪意に捉えれらるくらいです
いくら言葉が良くても善意がなければ
こんなことはいくらでも起きることです
現代のような経済一辺倒では
人間の心はないがしろにされて
欲望を満たすだけの悪意に利用されがちです
動物との関係でも人間ばかりの都合に振り回しては
動物側は牙を剥くか離れていくでしょう
ましてや人間相手で自分勝手な都合を押し通そうなど
今までうまくいった歴史がありません
余談ですが
社会が円滑に営まれるのには
誰かが私欲を捨てて
公に尽くさないと(全体に奉仕)
社会の発展はまずないと思います
古今東西
私的な欲望が社会の役に立ったのは
好奇心や探究心からくる知的創造の部分だけで
金や女や権力などを欲しがるだけの人間に
社会を発展させた史実を私は知りません
社会を発展させたところには
異なる文化や考えに寛大であったり
世のために権力を使おうとしたり
そこには狭い了見や矮小な心はなかったはずです
(発展の恩恵を狭い了見や矮小な心が
利用したことはありましたし現代でもそうです)
ルネッサンスにはイスラム社会の異文化への
心の広い了見が必要でしたし(欧州にはありませんでした)
日本の戦国時代を終わらせたのは
信長の志と秀吉や家康の功績や
幼い頃に受けた寺子屋の教育などもあります
(信長と家康を教えた人の名を忘れました)
その後の日本は大きな戦いはなかったと思います
欧米が植民地支配をアジアに広げてくるまでは・・・
ちなみに欧米の植民地支配に対抗できた
アジアの文化は特になく
唯一、日本の教育システムだけです
アジアの中で日本は侵略者という政治家は沢山いますが
日本が開発しないで
国力を上げられた国は一つもありません
植民地を免れた国はあっても
欧米に対抗できた国はなかったはずです
日本がいなければ侵略されなかったというのは幻想で
欧米に植民地支配されるだけで
そこには近代教育も
インフラ開発もありません
欧米人による資源と労働力の搾取あるのみです
いくら日本を責めても
その時代の背景を無視した意見で
それを支えるのはアメリカの
「ジャスティスウォー」です
正義という幻想が時代背景を無視した
政治的意見を支えていて
欧米による一方的な政治ゲームが
その後のテロリストを生み
欧米による政治的ゲームの幻想のために
(欧米は正義という幻想)
地球規模の環境問題や経済問題が
構造的に解決されないのです
はっきり言って
第二次世界大戦後の世界秩序は
人類に恩恵をもたらしません
経済、環境、安全保障、全てにおいて
人類の発展の邪魔をしています
もちろん無かったことにはできません、が
これからの方向性を変えられるのは
手遅れになる前の私たち世代です
すでに環境は差し迫った問題として
私たちに突きつけられています
環境、経済、安全保障、歴史これらを
政治ゲームに利用してきた今まで通りにしていくか
政治ゲームではなく
人類の発展のために人類の奉仕するために学ぶかは
それこそ精神論、心の問題です
これは相手を無視した満足に浸る
アメリカには無理なことですが
ヨーロッパの常識からしても無理です
日本は自分で決められないし
他の国に他のためという精神はあるのでしょうか
とりあえず
イスラム社会の国際的参加が望まれるところですが
ルネッサンスの種を蒔いたイスラム社会の
経済システムで下支えして
現代版の人類にとっての発展が起きないものか
密かに期待しています
こんなこと言うと親欧米派に睨まれそうですが
高度な技術ではなく
新しい知見に頼るのではなく
それらを育んだ精神に注目してもいいかと思います
誰かが
「技術は後からでも付いてくる」
と言った言葉に賛同して
まずは21世紀版の経済基盤を構築する世界構造を
今の世界構造とは別に構築してもいいんではないかと思います
目的が何かとかではなく
人類のエコシステム
(経済エコシステムは目的などに
統合されるものではなく寄せ集めであり
何か目的ができたときに機能的協力をするとか)
これを構築できれば
いろいろな問題が小さくなってきて
その内なくなるかもしれないと思います
もちろん今すぐにではなく
多くの人が望めばの話ですが・・・
(環境的には今すぐの話です)
もっぱら使われるのが
科学的、合理的な論理ですが
昔、日本に精神論なるものもありました
「結果が出ないのは心が弱いからだ」
などというような発現があったとか
この精神論、対象が物質とか自然現象などの場合は
あまり効果的ではないと思うのですが
対象が人間や社会などというのでは
バカにできないものがあります
何故なら人にはどんな位に言い訳があっても
意図というものが伝わるからです
文章で言えばコンテキストなるようなものが。
例えばあなたに甘い言葉で語りかけ
お金や体を求めてきて応えたとします
その言葉はあなたが頑張ってきたこれまでで
一番求めていた言葉としましょう
そして頑張ってきた証であるお金や体を差し出すのです
あなたに残るのはなんですか
辛苦を味わい頑張ってきた証しを搾取され
あなたに残ったのは何もありません
対価を払ったと思えますか?
満足できますか?
また頑張ればいいのですか?
報われたのですか???
そこで心の問題です精神の問題です
あなたのお金や体を求めた人は
あなたの苦労からきた心の隙を利用したのではないのですか
あなたのためでなく自分のために
あなたのために何一つなっていません
たとえあなたが納得の上でのやり取りでも
決してあなたに対して善意でかけた言葉ではありません
むしろ悪意に捉えれらるくらいです
いくら言葉が良くても善意がなければ
こんなことはいくらでも起きることです
現代のような経済一辺倒では
人間の心はないがしろにされて
欲望を満たすだけの悪意に利用されがちです
動物との関係でも人間ばかりの都合に振り回しては
動物側は牙を剥くか離れていくでしょう
ましてや人間相手で自分勝手な都合を押し通そうなど
今までうまくいった歴史がありません
余談ですが
社会が円滑に営まれるのには
誰かが私欲を捨てて
公に尽くさないと(全体に奉仕)
社会の発展はまずないと思います
古今東西
私的な欲望が社会の役に立ったのは
好奇心や探究心からくる知的創造の部分だけで
金や女や権力などを欲しがるだけの人間に
社会を発展させた史実を私は知りません
社会を発展させたところには
異なる文化や考えに寛大であったり
世のために権力を使おうとしたり
そこには狭い了見や矮小な心はなかったはずです
(発展の恩恵を狭い了見や矮小な心が
利用したことはありましたし現代でもそうです)
ルネッサンスにはイスラム社会の異文化への
心の広い了見が必要でしたし(欧州にはありませんでした)
日本の戦国時代を終わらせたのは
信長の志と秀吉や家康の功績や
幼い頃に受けた寺子屋の教育などもあります
(信長と家康を教えた人の名を忘れました)
その後の日本は大きな戦いはなかったと思います
欧米が植民地支配をアジアに広げてくるまでは・・・
ちなみに欧米の植民地支配に対抗できた
アジアの文化は特になく
唯一、日本の教育システムだけです
アジアの中で日本は侵略者という政治家は沢山いますが
日本が開発しないで
国力を上げられた国は一つもありません
植民地を免れた国はあっても
欧米に対抗できた国はなかったはずです
日本がいなければ侵略されなかったというのは幻想で
欧米に植民地支配されるだけで
そこには近代教育も
インフラ開発もありません
欧米人による資源と労働力の搾取あるのみです
いくら日本を責めても
その時代の背景を無視した意見で
それを支えるのはアメリカの
「ジャスティスウォー」です
正義という幻想が時代背景を無視した
政治的意見を支えていて
欧米による一方的な政治ゲームが
その後のテロリストを生み
欧米による政治的ゲームの幻想のために
(欧米は正義という幻想)
地球規模の環境問題や経済問題が
構造的に解決されないのです
はっきり言って
第二次世界大戦後の世界秩序は
人類に恩恵をもたらしません
経済、環境、安全保障、全てにおいて
人類の発展の邪魔をしています
もちろん無かったことにはできません、が
これからの方向性を変えられるのは
手遅れになる前の私たち世代です
すでに環境は差し迫った問題として
私たちに突きつけられています
環境、経済、安全保障、歴史これらを
政治ゲームに利用してきた今まで通りにしていくか
政治ゲームではなく
人類の発展のために人類の奉仕するために学ぶかは
それこそ精神論、心の問題です
これは相手を無視した満足に浸る
アメリカには無理なことですが
ヨーロッパの常識からしても無理です
日本は自分で決められないし
他の国に他のためという精神はあるのでしょうか
とりあえず
イスラム社会の国際的参加が望まれるところですが
ルネッサンスの種を蒔いたイスラム社会の
経済システムで下支えして
現代版の人類にとっての発展が起きないものか
密かに期待しています
こんなこと言うと親欧米派に睨まれそうですが
高度な技術ではなく
新しい知見に頼るのではなく
それらを育んだ精神に注目してもいいかと思います
誰かが
「技術は後からでも付いてくる」
と言った言葉に賛同して
まずは21世紀版の経済基盤を構築する世界構造を
今の世界構造とは別に構築してもいいんではないかと思います
目的が何かとかではなく
人類のエコシステム
(経済エコシステムは目的などに
統合されるものではなく寄せ集めであり
何か目的ができたときに機能的協力をするとか)
これを構築できれば
いろいろな問題が小さくなってきて
その内なくなるかもしれないと思います
もちろん今すぐにではなく
多くの人が望めばの話ですが・・・
(環境的には今すぐの話です)