皆さん、こんばんは!椎名です。
いつも読んでいただきありがとうございます。感謝します。
女性自身の記事に学ぶ夫婦の育て方のヒント・・・
『僕には結婚してからずっと続けている“儀式”がありまして。きょうも出かけるときに、女房と『いってきます』『いっていらっしゃい』のキスをしました。それも、おでこやほっぺたではなく、唇にチュッとね(笑)』
と語るのはテレビ、映画、CMなどで大活躍中の小日向文世(61)。
その顔を見ない日はないというほど、ひっぱりだこの演技派男優だ。
そんな彼が“意外な家庭での素顔”を明かした。
「僕は、仕事が終わってまっすぐ家に帰るのがいちばん嬉しい人だし、仕事がオフのときも家にいる。
食べるものも、女房の手料理がいちばん好きだし、僕は家族がそばにいてくれれば、それだけでいい。
父の影響を受けているのかな・・・。
父は仕事が終わると勤務先の市役所からまっすぐ帰宅して、テレビの前に座って、お茶を飲みながらテレビを見ていた。
あとは、子供たちと触れ合うことが何よりの楽しみであり、喜びという人でしたから」
「家族との時間がいちばん」という彼が結婚したのは、93年。39歳のときだった。
「女房は僕より11歳年下で、劇団の後輩でした。
彼女は結婚を機に『お芝居はもういい。ちゃんと子供を産んで育てたい』と言って家庭に入った。
劇団にいて、ものを創ることは好きでしたけれど、役者に対するこだわりはあまりなかったんですね」
結婚して2年後には長男が誕生。
だが、その1年後、所属していた劇団が解散となってしまう。
「仕事の場を映画やテレビといった映像の世界に求めましたが、オファ‐はほとんどなかった。
舞台役者としてはそれなりの評価を得ていたけれど『映像の世界では無名だ』ということを思い知らされました。
所属していた事務所との契約は給料ではなく歩合制でしたから、仕事をしなければお金が入ってこない。
お金がなくなると、事務所の社長に『すみません。前借りお願いします』。
そして、仕事が入れば返済するという生活が何年か続きました」
47歳のときに一大転機が訪れた。
木村拓哉主演の連続テレビドラマ『HERO』(フジテレビ系)に、末次事務官役で出演。
これを機に次々とオファ‐が舞い込むようになった。
「仕事がなかった時も、僕は『そのうち何とかなる』と思っていた。
後年聞いたら女房もそう思っていたそうです。
『絶対何とかなる』って。
少しずつでも“役者・小日向文世”をわかってもらえれば、必ずそれに応えることができるという自信があったんですね。
それでも、妻子を抱え、仕事もなく家でゴロゴロしている自分に忸怩たるものがあったし、精神的にかなり落ち込んだ時期もありました。
そんな僕を支えてくれたのは、まぎれもなく女房であり、2人の子供たち。
いまがあるのは“家族”、“家庭”があったからですね」
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ピンチに見舞われた時、「絶対なんとかなる」は魔法の言葉。
この言葉の裏には“いずれきっと良くなる”という確信の想いがあります。
家庭内において何か問題が勃発した時、「どうしよう」と思うか、「絶対なんとかなるさ」と思うか、どちらの思いを抱くかで時間経過とともに現れてくる現象がまったく違ってきます。
ピンチの時、夫婦双方が「どうしよう」という言葉を連発すればするほど、二人の中が引き裂かれていきます。
しかし一方で、「絶対なんとかなるさ」を連発すると二人の絆をさらに深めることに繋がっていきます。
自分の発する言葉というのは未来の行き先を決めているということを忘れてはいけませんよね。
家庭内において何か問題が勃発した時には夫婦二人笑顔で「絶対なんとかなるさ」・・・。
これさえ忘れなければ問題に振り回されるのではなく、逆に問題を生かすことが出来るようになるでしょう。
今絶好調の小日向文世さんですが、「そんな僕を支えてくれたのは、まぎれもなく女房であり、2人の子供たち。いまがあるのは“家族”・“家庭”があったから」 ・・・、こんな言葉をさりげなく言える男は本当にカッコいい・・・。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。