極上の人生を生きるためのヒント

極上の人生を生きるためのヒント

極上の人生を生きるとは、自己を修めること、夫婦を治めること、家庭を治めること、仕事を修めること、美を極め、精神的にも物質的にも豊かな人生を生きること・・・。
人生をより輝かせるためのヒントがここにあります。

極上の人生を生きるとは、自己を修めること、夫婦を治めること、家庭を治めること、仕事を修めること、美を極め、精神的にも物質的にも豊かな人生を生きること・・・。

人生をより輝かせるためのヒントがここにあります。

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皆さん、こんばんは!椎名です。

いつも読んでいただきありがとうございます。感謝します。


近藤勝重氏(毎日新聞社東京本社特任編集委員)に学ぶ仕事を輝かせるためのヒント・・・


寺田寅彦の随筆にこんな言葉があります。


≪眼は、いつでも思った時にすぐ閉じることができるようにできている。しかし、耳のほうは、自分で自分を閉じることができないようにできている。なぜだろう≫


それほど「聞く」ということが大切なんだ、とぼくは解釈しています。


話し方というのも結局は聞き方なのではないでしょうか。


「聞く」ということで感心するのは放送業界のA君です。


彼は人の話をじつによく聞く男なのです。


ときどき仕事の電話をしますが、どんな話にも調子を合わせて相づちを打ち、熱心に耳を傾けます。


A君のほうからの電話でも「今、よろしいでしょうか」と断って用件を切り出しますが、終始こちらの様子をうかがう心遣いが感じられます。


また感心するのは、その聞く姿勢が誰に対しても同じだということです。


あるとき、A君が同じ社の後輩とおしゃべりしているのをそばで聞いていましたが、「うん、うん」とうなづいて、いつものモ‐ドを保っていました。


臨床心理士にA君の話をすると「ほう」と感心したような一言があって、「そういう人が一人いるだけで、組織の健康度は高まりますね。今は職場の仲間意識も共感も弱いですから、貴重な存在になっていると思いますよ」と感想を述べていました。


そう言えばある集まりで「あなたが話を聞いてみたいと思う人はどんな人か」と聞いたところ、断然多かったのが「ちゃんと話を聞いてくれる人」でした。


昨今、悩みや寂しさを抱える高齢者への「傾聴ボランティア」がよく話題になっています。


多くの人が自分の話を聞いてもらいたがっている。


ちゃんと受け止めてもらいたがっているのだと思うのです。


先の臨床心理士は「受ける」という言い方で、「受けて、受けて、ひたすら受ける。相手の話はどんな話でも初めて耳にする話だという態度で受けるべきなんです」とも強調していました。


ややもするとぼくらはそういうことなら自分にもあったとか、ああ聞いたことがあるとか思って相手の話を聞き流しがちですが、どんな話であってもくむべき内容があるものです。


きっと参考になることがあると思って聞けば、実際に得られるものがあるはずです。


そういう聞き方のできる人にみんなは信頼を寄せるのです。


(なぜあの人は人望を集めるのか/幻冬舎新書)


「聞く」ことの大切さは頭では十分理解しているつもりでも実際に本当に人の話を聞くことに徹している人は少ないですよね。


どちらかというと自分が話すことばかりを考えているのではないでしょうか。


今は職場などでも自分を如何にアピ‐ルするかが重要とされる風潮があり、どちらかというと“話し方”の方にウェイトが置かれがちですが、まずは“傾聴の姿勢”が先にあってこそ、話し方の技術も大いに生かされるような気がします。


聞くことに徹する人が一人いるだけで、組織の健康度も飛躍的に高まる・・・。


聞くことに徹する人が一人いるだけで、家族の幸福度も飛躍的に高まる・・・。


人との会話において、どんな話でも初めて聞く話だと思って傾聴しようとする姿勢・・・、今の時代、とても大切なことだと思います。


同じ話を聞いているつもりでも、聞き手がちょっと聞き方を変えるだけで違った趣や発見が得られるものです。


“傾聴の達人”こそ、目指していきたいものです。


今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

皆さん、こんばんは!椎名です。

いつも読んでいただきありがとうございます。感謝します。


突然ですが、少々考えるところがあり、記事更新を明日で一時休止とさせていただきます。今までお読み下さっていた皆様、大変ありがとうございました。


下重暁子氏(作家)に学ぶ人生を生き抜くためのヒント・・・


NHK文化センタ‐でエッセイ教室を始めて二十年になる。


老若男女、実に様々な人がいる。


それぞれに家族がいて悩みを抱えている。


母親の介護のためにしばらく休む人もいる。


介護の必要がなくなった時、カムバックしてくる。


そんな時に書かれたある女性のエッセイの一つは、まず介護する側の自分がいかに気持ち良くいることが大切かを告げていた。


・・・・・・・・・・


庭の紫大根の花の群れに顔を埋め、胸いっぱいに香りを吸い込みながら、私は祈る。


「神様、今日一日、母に優しくいられますように」


認知症の出始めた母の朝食を作りに通っていたが、大腿骨骨折を機に自宅に引き取り、最後まで介護する覚悟を決める。


三度の食事、散歩、話の相手、それ以外のことも含め、ヘルパ‐に助けてもらっても、一日八時間以上を費やすので、仕事を中断せざるを得ない。


母は、最後に面倒を見てくれるのは兄夫婦と信じていたので、裏切られた思いで、彼らへの不満をいい続けていたのに、兄夫婦の前では一変してにこやかになる。


愚痴を聞くのが空しく、自分の人生が失われていくのが怖く、先の見えない暗いトンネルの中で、一、二年は不安で心が押しつぶされそうだった。


自分の時間や行動の範囲が、経験したことのないほど制限されていった。


これでは自分がだめになると思っていたある日、区の広報紙で着物の着つけを学ぶコ‐スの受講生募集を知る。


母が着物好きで、母の着物を譲り受けていたが、日常に着物を着る機会も余裕もなかった。


しかし一人で着物を着られたら別の世界が広がるかなと、小さな灯りが胸に灯る。


それまでは自分の楽しみで外出するなど皆無で、週二時間の講座を月四回、八ヶ月続けるなど無理だと思ったが、通えなくなったらやめればいいと、受講を決心した。


講習の日には母の介護は、ヘルパ‐や友人に頼んで、皆勤で講座を終える。


母の状況に合わせて、一ヶ月四回は自分の習い事で外出するようにした。


着物を着るために、公民館での茶道、香道、さらに講談までやってみた。


すると、自分の生活や心に変化が起きた。


稽古をする時間を生み出しているうちに、悩んだり不安を感じる時が減っていった。


お茶を点てている時の無の境地、心が穏やかで落ち着いている。


どんなに厳しい環境でもこういう心境を保てるのだと気づいた。


自分の気持ちに余裕が生まれ、母親に無理なく優しくなれた頃から、母親にも変化が生まれた。


・・・・・・・・・・


自分の心が母親の心に映ったと彼女はいう。


自分がイライラしていると、介護される側も敏感になってしまう。


自分の気持ちを快く整えておくことが大切であり、そのためには楽しみを持って生き生きしていなければいけないことを、彼女は自分の体験で学び、エッセイに書いてくれた。


逆境と思える時も、些細な楽しみが心の灯となることを知ったのだ。


辛い、いやだ、私はどうなるのかと不安を抱いて介護をしていては、負担にしかならない。


母親は晩年、表情も格段に柔らかく優しくなり、彼女への感謝の言葉をいい続けたという。


彼女が自分自身を楽しくしてやらねば、母親も快くはならないことに気づいたからだ。


自分を犠牲にするのではなく、自分をまず生き生きと楽しくするちょっとした工夫を生活に取り入れる、それが自分と介護される人をも救うことになるのだ。


(家族という病2/幻冬舎新書)


人生において幾度となく襲い掛かってくる逆境・・・。


避けて通りたいと思うものの中々そうはいきません。


しかし、その逆境は実は自分が体験したかったことなんだと思いを切ると心に余裕が生まれてきます。


心に余裕が出来ると、問題の奴隷にならずにすみます。


同時に解決策が多く生まれ、また“時間がない”という思考からも解放されます。


人間というものは不思議なもので、厳しい状況に置かれても、そこに楽しみを見い出すことの出来る能力を誰でも持ち合わせています。


しかしながらその厳しい状況を自分以外のもののせいにしてしまうと、問題の奴隷となり、いつまでたっても不安が消えることがありません。


いつもこの今という瞬間が完全であり最善・・・、そして自分が選択し、体験したかったこと・・・、このことを忘れないようにしたいものです。


今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

皆さん、こんばんは!椎名です。

いつも読んでいただきありがとうございます。感謝します。


(問題・悩み相談)~あなただったらどうしますか?~


【問題:妻への感謝が伝わらない】・・・読売新聞より抜粋


50代の会社員男性。


妻への感謝の気持ちの伝え方がわからず、四苦八苦しています。


妻はフルタイムで仕事をしながら、食事の準備や子どもたちの世話にも忙しく、目の回るような毎日を送っています。


私は普段から、「ありがとう」という言葉を発していますが、どうもうまく伝わっていないように感じており、モヤモヤして気が休まりません。


休日などは、洗濯や浴室の掃除など、できる範囲で家事も手伝っています。


子どもたちも嫌がらずに手伝いをしてくれており、少しは妻の負担を軽くしてあげられているのではないかと思います。


ただ、妻の顔からは疲れた表情が消えません。


むしろ日に日に、疲れが積み重なっているような印象すら受けます。


これからもできる限り、家事をしていくつもりです。


妻の安心した表情を見たいと思っていますが、どのようにしたらいいでしょうか。


アドバイスをお願いします。


【回答者:眉村卓(作家)】


偏見かもしれませんが、アメリカ映画などで夫が妻に「アイラブユ‐」と言っているのを見ると、私は、義務的なせりふか、おまじないのような感じがして、仕方がありません。


あなたの奥さんへの「ありがとう」は、これと同じように、受け取られているのではないでしょうか。


別の言い方をすれば、あなたは感謝の心を届けているつもりでも、相手にはただのあいさつの言葉になっているということかもしれません。


いや、これは「ありがとう」の言葉だけではなく、家事の手伝いやその他のことにも言えることなのでしょう。


そのため、あなたは奥さんの負担を軽くしようと努めているが、奥さんはあなたの気持ちを受けとめているようには思えない、もどかしい、というふうになるわけです。


私にはどうも、あなたは努力を妻に認めてもらいたいという気持ちが強すぎるように思えてなりません。


あなたがそういう「報酬」を求めるのは、つまり「助力者」として認められたいのです。


奥さんはあなたに「共同当事者」であってほしいのだと、そんな気がするのですが。


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こちらから感謝の言葉を投げかけているにもかかわらず、相手からは感謝の言葉が返ってこないことにストレスを感じている・・・。


そこには「自分がせっかく感謝の言葉を投げかけているのだから、妻はそれに応えるべきである」という思考があるようです。


この思考を「相手が感謝の言葉を投げかけてくれてもくれなくてもどちらでもいい」に置き換えるとモヤモヤはなくなります。


どうしたら感謝の言葉が返ってくるかと考えているうちはモヤモヤ気分が継続されることでしょう。


本当は感謝の言葉など返ってこなくていいのです。


自分が感謝しているのだったら、「ありがとう」を投げかけ、また、出来ることを淡々と実行していけばいいことです。


相手の機嫌に左右されるのではなく、まずは自分の機嫌を取ることの方が先決ですよね。


今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。