kazyuの体を調べていただいた場所で、慰霊祭をやってくださったのでいってきました。
雨男の名に恥じない、秋雨が降っていたねkazyu。
200人近い名札の最後のほうに
kazyuの名前もならんでいました。故○○ベビー様という名札もあって。お友達になれてるといいなあ。
式の途中で涙があふれてとまりませんでした。
そろそろ寒いねkazyu.お出掛けのときは、私のコートのなかにいれてつれていったかな。
もう本格的に保育園いってたね。
おにいちゃんとちょこたんと座ってママを待っていたかな。
おにいちゃんとちがって、よだれの多いこだったから、よだれまみれの笑顔でいてくれたかなあ。
とっくに衣替えして、おにいちゃんのお古をきせて、
「これおにいちゃんのお気に入りやったねえ」
なんて話していたかなあ。
だっこひもにいれてあるいていたら、いい笑顔で見上げてくれてたかなあ。
この2,3日はちょっとだけつらいです。
だいぶへいきになっていたつもりだけど、無理やり棚の上にのせていただけのようです。
しょうがない。
あるがまま。あるものに感謝。あったものに感謝。
季節も秋を通り過ぎて晩秋または初冬のような寒さになってきました。
また、kazyuの体験していない季節になりました。kazyuは春と初夏しか知らないなあと、ちょっとせつなくなったり。
時折想像します。
この世界はたまたまkazyuが居なくなった世界だけど、ちょっとの選択ちがいでいる世界が薄い皮膜ごしに存在するんじゃないかなって。
洗濯物を干して、外気のさむさにくびをすくめる朝。
後ろの居間にいるkazyuの兄のpideの物音がきこえてくると、きゅうにkazyuもいっしょにいるようなきがしました。ベビーベッドでねかされていて、いまんとこ機嫌がいいかんじで足をばたばたさせてて。冷たい風がはいっていったから、泣いちゃうかも。はやくしめなきゃ。
目の前にありありと想像ができてしまうそんなときは、選択ちがいの世界が近づいているときなのかも。
中にはいることができなくても、見れたらいいのに。いや、見れたら余計つらいかな。たぶん、何も知らないで幸せにkazyuを抱っこできる自分がにくいかも(笑)
そういうときとかは声にだして
「kazyuももうちょっとおってくれたらよかったのにねえ。でもそんなこというてもしかたないよね。kazyuは精一杯頑張って3ヶ月ちかくおってくれたんやもんね。愚痴るよりお水かえてあげるほうがkazyuは喜ぶもんね」
と唱えるのです。
「そうやでー。いうてもしかたないことは言うたらだめやでー。お線香もあげよ?」
と答えてくれるkazyu兄に感謝。どんぐりを拾いにいけば、一番大きいのを備えてくれる。スーパーにいったら、まず花に目を止めてkazyuに買っていってあげようよというようになりました。
いてもいなくても、kazyuの兄でいてくれるんだなあと、pideはpideなりにkazyuの存在した意味を体現してくれてるんだなあと感謝しております。