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人生これ、さいおうがウマ

4月、サクラが満開のころ生まれた次男。
6月、から梅雨の空に戻っていってしまいました。
揺れ動く気持ちについてかいていきます

あれからずいぶんたってしまいました。
義理父さんについては、色々ありましたが
、ショートスティを駆使してもらってます。
それでも、その施設で思うようにいかないのがはがゆく、家に帰れば動けないし不便なのが歯がゆく。
どの道をえらんでも、帯にながしたすきに短し、といった具合のようです。
息子である旦那は、少ししんどそうです。今の私は聞いてあげることと、お金の動きの記録くらいしか
してあげられないので、ごめん、といった次第です。

はてさて、この夏の終わりに。予定日きっかりの早朝、元気なオトコのこをお迎えしました。
第二子より800gも大きく生まれただけあって、しっかりとした肉付きの赤ちゃんでした。
陣痛も、まだそんなに痛くない位のときに子宮口は全開に、あれよあれよのうちに分娩室にいくことになり、支えなしでスタスタ歩いていき、分娩台に登ってさぁいきんでーと先生に促されたときもきょとーんというかんじでした。え?まだ陣痛そこまで痛くないんですけど??
と半信半疑でいきんだら、波に乗れて二回くらいのいきみで産まれてきました。
病院いくときも、朝の診察時間まで待とうとか思っていたのですが、危なかったです。経産婦の出産を一番なめていたのは私でした。何しろ、病院着いて三時間後にはもう産まれていたので…。(診察時間外)

出産直後から、やる気をみなぎらせた乳房のため、入院中からほぼ完母になってました。今も、新生児には飲みきれないときがあるのか、咳き込んで辛そうにしてます。
みているとあきないですが、どのこのときも発育やウンチのことでなやまされます。



以下の話は他の方の意見を否定するつもりは全くないことを前置きにさせてください。
第二子は、わずかにのこった修行のために地上におり、天に返ってからはきっと神様の御手伝いの仕事をしてるんだろうな、この地上で親子として再会することはけしてないのだろうな、と変な確信を持っていました。会えるとしたら、わたしが天寿を全うしたときにちらりと会えるくらいかなと。

第三子がやってきて、病室で落ち着いて対面したそのとき。
奇妙なことに気づきました。
最後の日からふつかまえにとった写真の第二子の顔には、特徴的な傷がありました。自分の爪で引っ掻いた傷が大きくかさぶたになって残っています。ぱっとみて、すぐ気づく位大きな傷でした。
第三子の顔に、ほぼ同じ場所にまるでカサブタが剥がれたような赤い跡がありました。周りには産毛がびっしり生えているのに、そこだけつるつるです。

カンシなどは使われなかったので出産時についたものとも考えにくく。
ましてや、新陳代謝のはげしい今も、そのあとは残っています。

生まれ変わり、もしくは、第二子から間違いなく僕が選んだ弟だよ?というメッセージなのか。
たぶん、どちらも気のせいなのでしょう。たまたまでいいのです。
時折寝ないこのモンスター君が、無事に大きくなってくれたら、それだけで幸せです。

あれから、義理母が亡くなり。

お葬式をすませました。

お金や通帳の管理はまかせきりだった義理父さん。暗証番号すらわかりません。けっこう大変でした。


義理母さんは、病気がちな義理父さんが先になくなるだろうという想定のもと(生前の本人談)で保険の管理をしてらしたのでorz

 死亡保障を大目にもりこまれた分、入院保険は1000円程度しか出ないお父さんの保険を見直し、査定で落とされつつ、なんとか某入院保険に唯一入ることができました。その一週間後、遺伝性特定疾病との疑いで検査入院。なんとか入院費の半額はカバーできました。(テレビカード、おむつ等の雑費は別)

あ…危なかった!保険の見直しはお早めに!


 ほぼ100%自分の使いたいことに使ってきた義理母さん。百貨店かよいが趣味で、趣味もいいけど金額もいい服やら、複数ある食器棚はおろか家中の押入れにも入りきらないほどの食器、ほしい物は買い求め、数年前に破綻して万引事件で発覚したり…orz

 ご自分のお葬式代こそなんとか残っていたものの、ほぼ貯金はなく…。

 宝石類や食器、衣類など高額なものは、旦那の嫁がれた義理姉妹さんにすべてお渡ししました。できたら使用済みの肌着など、義理母さんからしたら他人の目に触れてほしくないだろう物の分類の手伝いはお願いしたかったのですが…。あとは好きにしてくれたらいいそうです(笑)

 こちらは緊急でもないので、数年単位の目安で片付けようということにしました。

 これから、義理父さんの年金で貯金していかねばなのです(義理父さんはかなりの倹約家なのでなんとかなってます)

 が、手術など大きなお金が動くことも想定するとちょっと恐怖(笑)


 いまは義理父さんとは別居しております。

 週5日フルタイムで働いております。

 最寄駅に夕方着、学童に迎えに行って、いるもの無いか電話して買い物行って、義理父さんの家に向かって家事(トイレ掃除・洗濯・できたら料理)して、自宅帰って旦那の夕飯作り&家事を平日に2、3日ほど。とはいえ、自分とこの洗濯は2,3日おき、洗濯物はたたむ暇なく山となり、週末にようやく片付ける始末。台所に洗い物を残したまま就寝して、開き直りつつ落ち込んだり。

 色々穴だらけ、部屋は荒れホーダイですが開き直ってますww


 旦那はといえば、帰りは9時平均。土曜もほぼ出勤。それでも、ケアマネ関係の連絡や手続きは一手にひきうけてくれてるので感謝です。最初は嫌がっておられたのですが、子供や私が体調を崩したりして、いつもほど通えない週もあった為重ねてお願いした結果、夕食の配食サービスを利用してくださるようになった義理父さんにも感謝です。

 外出時には全面的に介助が必要ですが、手すり等の改修をした結果、なんとか住み慣れた自宅においては自力移動も可能なことにも感謝。

 要介護かつ独居な義理父さんとなぜ別居状態なのか……



それは、私が今現在、働く妊婦&小学生ママだからでしょうか。

もうひとり、今年中にきてくれることになりました。ようやく安定期、元気に腹を蹴っています。


仕事、家事、年の離れた二人の育児。その上、べったり介護の4役は無理だよ、と宣言しております。

 あと2人ほど主に介護を分担できる人がいればともかく、 旦那の給料が満ち足りて、ボーナスがちやんとあるならともかく。(働くの好きなので働いていたくはありますが)

今ですら駆け足すぎて、わけがわからぬ有様。義理父さんに心傾けると、小学生が途端に心のバランスを崩して、普段しないようなダダをこねてくることもあり、無理させているのかなあと不憫になります。

 子供に対してはお願いしてこの世に来てもらった存在、どちらが大事といえばもちろん子供。小学生のこは、これから勉強&心面のサポートも必要だし、第三子はまさに生命維持からして全面的サポートが必要。

 毎日に追われ、天国へ帰ってしまった第2子のことを思えるのは朝晩の水&お線香をあげるときと、玄関先での挨拶のときくらいで、とても悲しいです。


 目の前で困っているといわれれば、情に流されるタイプの私はきっと、破綻するまでガンばってしまいそうで、あえてストッパーかけてます。

 第2子と第3子のことも、もっとゆっくり考えてあげたいなあ…。

義理の母がなくなりました。

金銭感覚の違いに驚いたり、警察のお世話になるようなこともおこされたり。

ねっからの悪い人ではない、ということは救いでした。意地悪をされるようなことはなく、ただ生き方として

あまりにも違うがゆえに、お互い距離があったほうがいいだろうなあと思う人でした。

私は寛容な嫁ではなかったがゆえに。


義理の父も、母と価値観がちがったのでしょうか。

以前は自分の考え方と違うことをしていると、ほんとうに大きな声で威嚇したりが多く、たまにそれに遭遇すると怖くてしかたなかったわけですが。

 いまは、悄然としてふとした拍子に涙をこぼしておられることが多いです。


 生活も激変しました。

 ただ、思うようにはさせてもらえるので有難いです。仕事帰りに数時間と週末、通いでお世話に行く程度です、

 今の住環境が理想的なので、ここから動きたくないというのが第一優先。

 そして、kazyuとの思い出は、たった一週間でもここに焼きついているから。(一番長く過ごした実家は、もともと決まっていたことだったので、あのあとすぐに改装してしまわれました)


 多少疲れるのくらいなんのその。

 しあわせになるために、私もうまれてきたはずなので。

 地上におりるとき、神様に、しあわせになってきますと約束してきたはずなので。


 無理しようとせず、できることを。

ちょっとだけ、がんばってみるつもりです。