無いところにこそ実はある | Eye of the God ~神の眼~

Eye of the God ~神の眼~

現代における預言の言葉。黙示。
現代の常識、価値観では幸せになれない人たちへ。
新時代に合うものの考え方を紹介していきます。
あまりにも常識と違うので、戸惑われることでしょう。
でも、キリストはかつてこう言いました。
『耳のあるものは聞くがよい』。

『わたしの幸せな結婚』という作品がある。実写映画があり、今はそのアニメ化したものが放送中である。
 何も知らないと、タイトルからは何だかほのぼのした内容のように感じられてしまうが、その実は異能を持つ者とその戦いを描いたバトルものの要素が強い。筆者も見始めて「ええっ、このタイトルでこんな展開?」って思った一人です(笑)。
 主人公の女性は、強力な異能をもつ一族に生まれたが、生まれてからこの方異能を発動せず、この一族なのに異能がないとは役立たずだということで冷遇される。しかし後々、誰よりも強力な異能をもっているがある事情で表に出るのを封印された、という事情があった。
 主人公がそれを知り、封印が解かれてからは支えられる側から支える側になり大活躍をするようになる。


『僕のヒーローアカデミア』というマンガ(アニメ)も、主人公はヒーローの個性(特殊能力)がゼロだった。周囲からは「あきらめろ」の大合唱。
 だが、ヒーローになりたい気持ちだけは誰にも負けず、その思いはついにヒーローになる道を切り開き、偉大なヒーローの後継者に指名される。
 今挙げた二つの例はまったく同じではない。前者は「あるのに、あることに気付かない」後者は「ないのに、思いの強さがその現実を覆す」である。

 しかし、この二つはコインの表裏である。


●最初にないほど、実はかなりの高みまで行ける可能性がある。
●最初に分かりやすくあるほど、恵まれているように見えるが成長がどこかで頭打ちになり、「そこそこ」に留まる。



 私は「最初に何もない」ことの辛さを知っている。
 みんなが立派な道具を持っている中、自分にはない。そして、ちょっとやってみた感じ他の皆ほど上手くないと感じる。
 そこであきらめたら、もう何のドラマも生まれない。しかし、その悔しさ、それでもあきらめきれないだけのフツフツと湧く得体のしれないエネルギー。苦しくともそれに従った結果、とんでもなく化けるということが起きる。
 筆者は、どんな分野であれ「最初はあまり恵まれない状況からスタートしたほうがいいんじゃないか」とさえ思う。ただ、ライフワークとか人生を懸けた目標とかいうんでないなら別である。趣味程度なら楽しいほうがいいに決まっている。私が今言っているのは、その世界で第一人者として名を残すレベルになる話をしている。
 

 才能や身体能力が同じなら、その二人の人物の優劣の決め手となるのは何か。


●原動力である。エンジンの強度と持続力である。
 それは、それを始めようと思った、そしてこれからもなぜ続けるのかの「理由」である。動機である。その質が、似たレベル同士の差を生む。



 その動機が他の誰にも持ちにくそうなものや壮絶な者には勝てない。
 それはもう、どういう星のもとに生まれたかというレベルで宿命的に決まっていることで、意図や個人努力でカバーできる部分は少ない。
 だから、私が言えるのは「夢があるなら、挑戦したい思いがあるなら、現状を下手に考えすぎずやってみれ」ということである。案外、ないないずくしのところからあんた化けるかもよ? と言いたいのです。やる前からあきらめるな、と。出だしで人より恵まれていないことが、逆にあとで武器になるかもしれないよ、と。
 よく昔、ある村で突出した才能を発揮する子どもを『神童』とか言って持ち上げ、ちやほやしたりすることがあった。末は博士か大臣か、みたいなことである。でも年月が経ってみれば、そう期待された子が大したことにはならず平凡な大人となるケースは枚挙にいとまがない。
 人間、出だしで上手くいって褒められると、よほど自分に厳しい人間でないと「平均より上程度の実力」より上にブレイクスルーしないのである。その程度なら、町内では褒められても全国区になるとゴロゴロといくらでもいる。だから、「左右されない強固な動機をもつ人間に最後勝てない」。ウサギとカメみたいなもので、出だし恵まれていても思いの世界で負けてないカメに最後は抜かれる。


 あるスピリチュアルの大家は言っていた。
 本来「悟り」なるものにレベルとか深さの違いなどというものはないが、この二元性世界ではそのないはずのものが、人間独自の認識システムのせいで「生じる」。
 たとえば、宇宙視点では「長い」「短い」などというものはない。ないが、人間がその認識において勝手にそのように捉えることで、あたかも宇宙に「長い」「短い」があるように感じるではないか。人間だけが勝手にそのような基準を使っているだけだというのに!
 たとえに出して悪いが、美輪明宏さんのように「いかにも」な、分かりやすくこの人タダもんじゃない!というオーラがでているような人は、悟りの最高峰段階ではないことが多いんだそうだ。他人から分かりやすい人は「ある程度レベル」に過ぎず、本物は逆に無味無臭無色で、そのへんにいる人と印象もたたずまいから受ける印象も平凡なものなのだ、と。その点、あんた(テラさん)はそこだ、と。
 私がこれを言ったのは、自分を誇るためではない。ただ今日メッセージしたかったのは、見かけ上分かりやすく何もないところにこそ、下手したらものすごいことになる可能性があるんだよということ。逆に、いろんな点で恵まれて順調にきた人は、その道の最高を目指したければいつかは「ハングリーさで負ける人」に思い知らされる未来が来るから、それがいやなら便利さや恵まれた環境を一時的に捨ててでも自分を磨かないとだめですよ、という警告である。