立派なことを言う人間=中身も比例? | Eye of the God ~神の眼~

Eye of the God ~神の眼~

現代における預言の言葉。黙示。
現代の常識、価値観では幸せになれない人たちへ。
新時代に合うものの考え方を紹介していきます。
あまりにも常識と違うので、戸惑われることでしょう。
でも、キリストはかつてこう言いました。
『耳のあるものは聞くがよい』。

 宝塚歌劇団では『ブスの25箇条』というのが壁に貼られていて、それが有名になった。何でも、今は外されているらしいが、あった当時は団員の誰もがその張り紙の前で見入っていたという。心に刻むためだろう。
 で、内容はというと—

・笑顔がない

・お礼を言わない

・おいしいと言わない

・目が輝いていない

・精気がない

・いつも口がへの字の形をしている

・自信がない

・希望や信念がない

・自分がブスであることを知らない

・声が小さくイジケている

・自分が最も正しいと信じ込んでいる

・グチをこぼす

・他人をうらむ

・責任転嫁がうまい

・いつも周囲が悪いと思っている

・他人にシットする

・他人につくさない

・他人を信じない

・謙虚さがなくゴウマンである

・人のアドバイスや忠告を受け入れない

・なんでもないことにキズつく

・悲観的に物事を考える

・問題意識を持っていない

・存在自体が周囲を暗くする

・人生においても仕事においても意欲がない



 要するに、この逆であれってことだろう。そうすれば、ブスではないと。
 個人的に面白いと思ったのは、「自分がブスであることを知らない」という箇所。この理屈だと、自分がブスだと謙虚に「分を弁えている」場合は、本当にビジュアルがブスでもブスではない、という理屈になる。ということは、ここで指す「ブス」とは、あくまでも人格的なものであることが分かる。
 宝塚といえば、関りのない庶民からしたら「団員どころか音楽学校ですら、入るのが超難しい所」「容姿端麗というだけでなく内面的にもしっかりした人間が入るところ」というイメージがあり、タカラジェンヌという肩書だけでなんか人格・容姿と全方位的に立派な人、と考えてしまう傾向があるのではないか。


 先日、タカラジェンヌの飛び降り自殺報道があった。

 詳細は定かではないが、以前から歌劇団内の「いじめ」に関して色々な情報が飛び交ってはいた。そして今朝のニュースで、行われるはずだった宙組の公演が中止となった。演者の複数が体調不良となり、実施が困難と判断されたためだ。
 タカラジェンヌが決まった舞台を死守できない、とはちと驚きだ。もちろん、人間生きていれば何かしらあり、どうしても仕方がないというのはあるだろう。だが、演者ひとりならともかく同時に複数、というのは悪いが「たるんでいる」としか思えない。体調管理諸々含めて、決まったその日その時間に足を運ぶファンのためにも、何が何でも舞台を勤め上げるというのが演者の本分のはずだ。
 いったいどうなったんだ、時代が変われば宝塚も変わるのか? と思えてしまう。


 宗教やスピリチュアルという世界において、その教祖や指導者層は、立派なことをメッセージしてそれで生活の糧にして生きている。
 平凡な人々は誤解する。そんなすごいことが言えるのだから、ご当人もさぞかし立派で素敵なんだろうなぁ(下手をしたらその親や家族・友人まで)と。言葉をひっくり返したら、立派で人格者だからこそ、そんな美しく納得できる言葉の数々が言えるのだろうなぁ、と。


●いいや、発する言葉と言ってる者の中身とは、釣り合っていないことの方が多い。


 これは筆者もそうなのだが、宗教の教祖やスピリチュアル指導者が発するメッセージというのは、自身の頭で考えてひねり出す性質のものでないことの方が多い。天啓的に受け取るもので、一種のシャーマニズム的なものだ。チャネリングという言葉を使うこともある。
 だから、受け取る方の質との相関関係は薄いため、メッセンジャーが即人格者というのは成立しない。皆さんの中には、天からメッセージを託されるのは立派な人物と認められるからだ、と考えるかもしれないが、異次元の存在は当たり前だがこの世界と考え方の前提がまるっきり違う可能性もあり、こちらの価値観でそんなこと決めつけられない。結構無茶苦茶な人選もある。
 天が行った人選で最強に無茶苦茶だったのは、イエス・キリストである。こいつを選んだせいで、世の中は当時ひっちゃかめっちゃかになった。まぁあとあと、結果良ければすべて良しにされてしまい美談となってしまったが。宗教改革のルターなんかも、人格的に「天啓を受けるのにふさわしかった」とはちと思えない。


 宝塚は、一連の報道で「必ずしもできた人間の集まりではない」ことを露呈した。ブスの25箇条のほとんどをやってしまっているのが現状で、本当に恥ずかしいと思っていただきたい。そして初心を取り戻していただきたい。その昔、この25箇条を張り出した者の思いを酌んで。
 そして皆さんも、いくら心打つスピリチュアルメッセージを聞いても、それで即その先生もその言っていることを体現している立派な人だと考えるのには、ちと慎重になられたほうがいいですよ。