宮沢賢治の「やまなし」「銀河鉄道の夜」「オツベルと象」
これらの作品に共通するのは「川」が出てくることだ。
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『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまったよ………。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は、その右側の四本の脚の中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら云いました。
『わからない。』
このクラムボンとは単独では何かわからない。
しかし、銀河鉄道での「川」の描かれ方を見ると何かがわかるような気になってくる。
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「ザウエルという犬がいるよ。しっぽがまるで箒のようだ。ぼくが行くと鼻を鳴らしてついてくるよ。ずうっと町の角までついてくる。もっとついてくることもあるよ。今夜はみんなで烏瓜のあかりを川へながしに行くんだって。きっと犬もついて行くよ。」
「そうだ。今晩は銀河のお祭だねえ。」
「うん。ぼく牛乳をとりながら見てくるよ。」
「ああ行っておいで。川へははいらないでね。」
「ああぼく岸から見るだけなんだ。一時間で行ってくるよ。」
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ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光の川の岸を進みました。向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈のようでした。百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のよう、そこからかまたはもっと向うからかときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のようなものが、かわるがわるきれいな桔梗いろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとおった奇麗な風は、ばらの匂でいっぱいでした。
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「ジョバンニ、カムパネルラが川へはいったよ。」
「どうして、いつ。」
「ザネリがね、舟の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押してやろうとしたんだ。そのとき舟がゆれたもんだから水へ落っこったろう。するとカムパネルラがすぐ飛びこんだんだ。そしてザネリを舟の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれどもあとカムパネルラが見えないんだ。」
「みんな探してるんだろう。」
「ああすぐみんな来た。カムパネルラのお父さんも来た。けれども見附からないんだ。ザネリはうちへ連れられてった。」
ジョバンニはみんなの居るそっちの方へ行きました。そこに学生たち町の人たちに囲まれて青じろい尖ったあごをしたカムパネルラのお父さんが黒い服を着てまっすぐに立って右手に持った時計をじっと見つめていたのです。
みんなもじっと河を見ていました。誰も一言も物を云う人もありませんでした。ジョバンニはわくわくわくわく足がふるえました。魚をとるときのアセチレンランプがたくさんせわしく行ったり来たりして黒い川の水はちらちら小さな波をたてて流れているのが見えるのでした。
下流の方は川はば一ぱい銀河が巨きく写ってまるで水のないそのままのそらのように見えました。
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川は烏瓜を流しに行く近所の川と銀河鉄道で旅する天の川が出てくるが、これは、近所の川に落ちたカムパネルラの魂が彼岸に行ってしまう前のほんのわずかな時間の間にジョバンニと旅をする話だという解釈もできるらしい。
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おや〔一字不明〕、川へはいっちゃいけないったら。
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最後に唐突に川が出てくる。
銀河鉄道の夜でザネリは川に落ちて溺れる。ザネリを助けて、カンパネルラは川から上がってこなくなる。
クラムボンは川の中の蟹の視点で川の上の方に漂っている。
このクラムボンは川に入ってしまった何かの魂なのではないか?
川に入って溺れて死ぬのだと通常は考えるが、溺れるのではなくて、川そのものに触れると、たちまち死を迎えるということなのではないか?
銀河鉄道の夜で烏瓜を流すのはいわゆる灯籠流しで、死者の国に向けてその灯りを流すのなら、川は彼岸へと繋がっている。
オツベルと像は使役する者される者を描写している。その世界に見入っている〔一字不明〕に、そっちに行ってはいけないと現実世界に引き戻す。
そして、黒沢清という人もこれを知っていて、「アカルイミライ」で川に大量のクラゲ(クラムボン)を発生させるし、「岸辺の旅」は死者が帰ってくる話なのだと思う。
20251228 22:44 一般公開