【良心の危機を読めないでいた理由】
このように、多くの人から『良心の危機』を読むように勧められ、自分でも読んだほうが良いかと思いながら1年近くの期間が経過しました。
自分ではとても買う気にもなれず、
名前すら知らないある元エホバの証人の方が「あなたは絶対にこの本を読んだほうがいい」と、自宅に手紙と一緒に郵送してきてくれたことがあり、それでようやく手元に来ましたが、それでも読む気になれず、この本は家でしばらくほこりをかぶっていました。
自分が『良心の危機』をなかなか読む気になれなかったのには、いくつか理由があったように思います。
・まず第1に、これは単純な理由ですが、この本は分厚くてとても読み始める気になれなかったというのが一つの理由にありました。
考えてみると、当時の私はこの本の2倍の厚さはある本を数十冊読み、しかもただ読むだけでなくその中身のほとんどを覚えないといけない状態だったのですが、そうした状況の中でこの本を読む時間をとるのに乗り気になれなかったのかもしれません。
※ところがいざ読みだしてみると、非常に読みやすく一気に読むことができましたし、何よりこれを読むことにより人生そのものが変わりましたので、分厚さが嫌になって読まないでいる方がおられれば、ぜひ読んでみてほしいと思っています。
・第2の理由は、こちらのほうがはるかに大きい理由ですが、この期に及んでもまだエホバの証人組織のマインドコントロールが効いていたこと、それほどまでにこの組織のマインドコントロールの力が強かった、ということだと思っています。
つまり、私はエホバの証人時代に、レイモンド・フランズといえば、まさに「大背教者」・「悪魔の使い」・「悪霊に近いような危険で不気味な存在」というイメージを植え付けられており、レイモンド・フランズの考えに触れるということ自体について「まるで悪霊にかかわるような得体のしれない漠然とした恐ろしさ」を抱いていたのだと思います。
結局、この本を読んでみた後の彼に対するイメージは全く正反対のもの、「真に尊敬すべき、誠実・自己犠牲・他者への気遣いの塊」というイメージに代わりました。
この『良心の危機』に対して抱いていた自分のこのかつての印象は、エホバの証人組織が自分の心に忍び込ませ、はびこらせ、こびりつかせた、マインドコントロールの最後の爪痕だっのだと今は良く理解できます。
その後知ったところによれば、レイモンド・フランズが排斥されるまでは、エホバの証人組織内における排斥者・断絶者への忌避は、今ほど異常で苛烈ではなかったと聞きます。
レイモンド・フランズが排斥されるまでは、エホバの証人組織は今ほど「背教者」を目の敵にしておらず、今ほどのなりふり構わぬ攻撃はしていなかったと聞きます。
その後のエホバの証人組織の異常なまでの「背教者」への攻撃、排斥者・断絶者への攻撃を考えると、それほどまでにエホバの証人組織は、「真実を誠実に語るレイモンド・フランズ」を憎み、恐れているということだと思いますし、
それはとりもなおさず、
エホバの証人組織がどれほど自分たちの嘘と偽善を認識しているかの証拠、
エホバの証人組織がどれほど「真実」や「誠実さ」とかけ離れているかの証拠であると、今は思います。