森会長の「女性蔑視」発言で何かと騒がしい状況となっていますが、日経新聞のコラム「春秋」にほっこりとした気持ちになりました。

ある高校生のツィートが話題になったものらしいですが、高校生活最後の弁当の包みに入っていた母親の手紙のことでした。

「3年間お弁当を作らせていただきありがとうございました。冷食、玉子焼きばっかでゴメンね」

小生も母親の生前には幾度かメモや手紙をもらったことがあります。そこには必ず「・・・ゴメンね」とあったのを思い出します。

こちらは何も責めたりはしていないのに、
「ゴメンね」とあると切ない気持ちになります。

この歳になって思いますが、母親が子を思う気持ちはやはり、深いですねーー。

また、コラムには「自分は感謝の気持ちを伝えただろうか?」ともありましたが、 
ダメですね、言えていませんでした。

感謝の気持ちを持てているか。
ちゃんと伝えられているか。
考えさせられます。





オリンピック・パラリンピック組織委員会、森会長の発言の波紋が日に日に大きくなっていったのにはそのスピードとともに驚きでもありました。

あの年代の人、特に政治の世界の人の感覚からしたらそれほど大したことではないとの認識であったのでしょう。昭和、ムラ社会の感覚ですね。

ところが今の時代は通用しないものでした。
かつてセクハラ、パワハラがコンプライアンス上の問題とされてきた時も同様であったかと思います。(まあ、いまだに問題がありますが・・・)

今回の動きを見ていてつくづく思うことは、
組織のトップの人に求められるリスク感度ですね。以前は容認されたことも今は即アウト!

組織のトップ、特に公の立場に関わる人は、内向きになることなくしっかりと世の中の流れをつかんでいかないといけないです。

また、トップの言葉には影響力がありますが、それは常日頃の思いや考え方がベースになります。

そのためにも、常日頃から倫理観をしっかりと磨いていくことを怠ってはならないとも。






緊急事態宣言中ではありますが岐阜へ出張してきました。新幹線の乗車率はまあまあ普通の状態。通勤電車同様、結構、人は動いてますね。

 
新幹線で冷え込みを感じると、外は一面雪景色、やはり米原・関ヶ原あたりは降りますね。

厳しい環境ですが、日が当たると温かさを感じて確実に春に向かってることも感じられます。
自然の力は凄いなぁーとも。
 
自然の世界では冬の寒さの後には春が来るといった寒暖のメリハリのあるサイクルがうまくできています。
 
緊急事態宣言の解除の基準についての議論も話題になり、ワクチン接種による期待感ももでてきています。
 
人の命と経済の両方のバランスをとる、といった議論が活発化しています。
 
確かに正論ではあると思いますが・・・
まずは優先項目に全集中!
ダラダラが一番良くないですし、心身ともに疲れます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
元住友銀行頭取であった巽外夫氏が1月31日に亡くなったことが報じられています。

その人物像については正統派バンカーと評され、
イトマン処理やマツダに経営再建などで辣腕をふるい住友銀行再生の立役者だったと。

「頭取になる人の条件」を問われての答えが
「けれん味のない人」であったとも。

「けれん味」の意味が分かりづらかったので調べてみると、もともと歌舞伎に語源があり、ハッタリを効かしたり奇抜さをねらった演出という意味の言葉だと。

「けれん味のない人」との答えからは、やはり、「業務に精通した職人バンカー」と評された人物像がうかがえます。

秘めたる闘志を持ちつつ、
愚直に為すべきことをなす姿勢。
心すべきことですね。


東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森会長の発言問題が過熱しています。

女性蔑視と思われる発言は海外メディアからも批判が上がっています。

 

『言葉の暴力』と言われることもあるぐらい、

人は発した言葉によって相手を傷つけることができます。

 

近年のようにインターネットが一般的になっている状況下では、

ちょっとしゃべた内容が瞬時にSNSなどで世界中に拡散してしまいますから

ほんとに恐ろしいことです。

 

言葉には発する人の人格、人間性が出るともいわれます。

力関係で強者となる立場の人は発言に十分注意する必要があります。

 

今回の会長の場合など、立場もありますが、言わば過去の経験、習慣などから

抜け切れていない典型的な昔人間気質なところが大きいようですね。

 

まあ、森会長の場合は過去にも問題発言があったようですが・・・・。

重鎮といわれる政治家等の方々の発言にはこの手のリスクが多いようです。

特に講演会などの場面ではリップサービスもあって後々取り沙汰されることも・・・。

 

この点に関しては、取り上げるマスコミ側にも注意が必要ではないかとも思われます。

言葉尻をとらえて詰問するような感じになっては核心的な部分を聞き出せなくなることも

あるでしょうから。

 

話し手の『伝えたい』という意識と聞き手の『汲み取る』意識がうまくつながらないと

効果的な会話が成立しません。そこには、遊び心、ユーモアといった部分も必要と思われます

そしてその前提には、お互いを尊重、信頼している関係性が大きく影響します。

 

自分の生きてきた価値観や考え方を変えるということは意外と難しいもので

アタマが固いいわれることにつながります(笑)。

言葉を通じたコミュニケーションは結構、奥が深いものだと感じさせられます。