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ごきげんよう、萬勤誕(まんきんたん)です。爆笑

 

 

5/19(日)雨が降りそうだったけど神社巡りスタート。

 

近場の、まずは新立町「金比羅神社」へ。

 

 

江戸時代に、松山と高松をつなぐ「讃岐街道」の出入口に当たるこの地に「本宮遥拝所」として設立されたそうです。

 

明治11年には「金比羅宮崇敬教会松山支教会」となり、昭和41年に晴れて本社直轄の分社となったとか。

 

 

金刀比羅宮には全国に、東京分社・尾張分社・鳥羽分社・神戸分社・出雲分社・松山分社の6つの分社があり、そのうちのひとつなわけですから、こんぴら信仰の拠点として長く親しまれてきたんですね。

 

 

御祭神は「大物主神(おおものぬしのかみ)」と讃岐に流罪となりのちに怨霊となった「崇徳天皇(すとくてんのう)」

 

 

交通量の多い道に面してますが、境内は綺麗に掃除されていて静かです。

 

 

こんぴらさんの「御廐(みうまや)」には「神馬」がいますが、ここには神馬の銅像が建っています。

 

力強いポーズですねー。

 

 

ついでに横にいる狛犬様のバックポーズ。

 

…いやん。デレデレ

 

 

お次はここから120mほどの新立町「多賀神社(たがじんじゃ)」

 

「多賀神社(たがじんじゃ)」と聞くと、まんきんたんなんかは宇和島市の「多賀神社」、別名凸凹寺(でこぼこでら・今は凸凹神堂)を思い浮かべてしまいますが、ここは性に関するオブジェ等は一切ありません。

 

 

「神額」「祖皇(すめみおや)多賀大御神(たがのおおみかみ)」となっており、

 

御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)。

 

 

鎮座384年の古い神社で、境内には、道後温泉本館と似た建物がなんと「幼稚園」になっています。

 

 

なんでも寛永5年(1628年)に、蒲生忠知(がもうただちか)公が松山城主として着任された時、蒲生氏の氏神(滋賀県・多賀大社) を勧請したのが、由緒とのこと。

 

いやあ、多賀神社=性の殿堂と思い込んでいたなんて、無知って恥ずかしいアセアセアセアセアセアセ

 

 

お次は立花町「橘若宮神社(たちばなわかみやじんじゃ)」

 

御祭神仁明天皇(にんみょうてんのう)橘諸兄公荒魂( たちばなのもろえこうあらみたま)

 

 

そして中村2丁目 「素鵞神社(そがじんじゃ)」

 

御祭神

「須佐之男命(すさのをのみこと)」

 

 

すぐ近くの中村町「中村荒神」

 

 

以上。次回は「井手神社」です。

 

神社検定の勉強ですがテキストを2回読み終えて、だいぶん理解が進みました。

 

 

特に神社の種類と祭神に関しては、ようやく意味がわかってきた感じです。

 

では、また明日!

 

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