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ごきげんよう! まんきんたんです。

 

源平合戦のきっかけとなった「保元の乱ほうげんのらん)」を勉強している時に、改めて「崇徳上皇(すとくじょうこう)」のことが気になったんだ。

 

なぜかというと、まず崇徳上皇(すとくじょうこう)のお墓は、お隣の香川県坂出市の四国霊場第79番札所『天皇寺』にあるのです。

 

 

数年前に八十八ヶ所を回った時は、歴史に何の知識も興味もなかったので、「へぇ、そうなんだ」程度で、香川に天皇陵があることについて何の疑問も抱かなかったのです。

 

かいつまんで説明すると、こういうことなんですね。

 

 

兄弟である崇徳上皇と後白河天皇の権力争いに敗れた崇徳上皇は、京都から讃岐(香川県)へと島流しにされたんだ。

 

以来、崇徳上皇は二度と京の地へ戻ることはできず、8年後の1164年にこの世を去ることになる。

 

しかし、恨みを持った崇徳上皇の怨念はすさまじく、その後、世の中に崇徳上皇の怨霊の仕業としか思えないほどの災いが続いたのです。

 

 

やがて崇徳上皇をおまつりするため香川県坂出市に「崇徳天皇社」が建立され、隣接する神宮寺は「天皇寺」と呼ばれるようになりましたが、その後も災いは続きます。

 

約700年後の1866年、明治天皇によって崇徳上皇の御霊が京都市上京区にある「白峯神宮」へと移されて、ようやく崇徳上皇の怨霊伝説はピリオドを打ちます。

 

そして、現在、香川の「崇徳天皇社」は「白峰宮」となり、隣接する「天皇寺」は、四国霊場第79番札所として多くの参拝客でにぎわっているのです。

 

 

こんなふうに史跡を訪ねると、歴史がより身近に感じられるんだよねー。

 

日本史の勉強に『竹田学校』とか、中村獅童の『歴史にドキリ』なんていうのも見つけました。

 

 

じゃあ、また。See you!

 

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