歴史散策 岩倉市~一宮市 前半 | えっくんのガンプラブログ!

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こんにちは!

今日も散歩がてら歴史散策を行いました!

 

まずは…

 

 

愛知県岩倉市にある岩倉市史跡公園へやってまいりました。

 

 

昭和22(1947)年に、大地町野合地内の畑から、土器の壷が出土しました。これは、弥生中期前半に属するもので、尾張地方北部を中心に分布することが判明し、以後、この土器群は「大地式土器」と称されるようになりました。

 

昭和26(1951)年、名古屋大学考古学研究室の指導で、壷が出土した一帯の発掘調査が行われました。縄文時代後期や弥生時代中期・後期の土器に混じって、東西約7メートル、南北約4メートルの竪穴住居跡が発見されました。 

この遺跡は尾張平野の弥生文化を知る上で極めて重要であり、昭和29(1954)年3月に、大地遺跡として愛知県指定史跡に指定されました。 

これらの歴史的な発見により、大地遺跡とその周辺の土地を取得して、平成8年4月に市民の歴史学習の場として史跡公園が整備されました。園内には、大地遺跡から発見された竪穴住居を想像復元し、岩倉市指定文化財の鳥居建民家が移築され、本町北廻間にあった道標も移設されました。(岩倉市HPから引用)

 

 

弥生時代の竪穴住居。

 

 

250年程前に建てられた鳥居建民家。

 

烏居建民家は、東町にあった農家の母屋で、元の規模より縮小されて市役所東側に移築されていましたが、史跡公園の整備に伴い再移築しました。「鳥居建て」と呼ばれるのは、主柱が二本あり、梁がこの柱にかかり、その下にツナギが1本横渡しになっており、この形が神社の鳥居に似ていることによります。 

実際に使用されていた当時は、わらぶきで軒は瓦ぶきの普通の農家で、江戸時代に建築された建物です。内部は建築当初のままで、ほとんど手を加えた後がなく、家屋の構造から室町時代における農家の形式を残しており、貴重なものです。 

この史跡公園は、小学生の社会見学や遠足に利用されたり、鳥居建民家を利用した茶会が催されたりして、市民から親しまれています。

(岩倉市HPから引用)

 

岩倉市史跡公園は遊具などは無く、子供と遊ぶには不向きそうでしたね。

 

次に向かったのが…

 

 

アピタプラス岩倉店から東へ進むと見えてきます。

 

とあh

史跡 岩倉城跡です!

 

岩倉城とはなんぞ?と思う方も多いので超簡単に説明を。織田信長が尾張を統一する前は尾張は清州織田家と岩倉織田家で別れていました。ちなみに織田信長は清州織田家です。その岩倉織田家の本拠地だったのがこの岩倉城になります。

 

 

到着。

 

 

織田伊勢守城跡(おだいせのかみじょうあと)の石碑があります。織田伊勢守とは岩倉織田家の事です。

 

城の遺構は残っていません。

 

 

日露戦役記念碑。前田利家ゆかりの地巡りで訪れた荒子観音あま市ゆかりの戦国武将ゆかりの地巡りの時に行った鳳凰山甚目寺(甚目寺観音)に隣接する塗部神社にも日露戦争の石碑がありました。

 

日清戦争や大東亜戦争の石碑は見た事がないのですが、何故なんでしょうかね。

 

 

仏様。

 

 

城跡はとても狭く、10分もあれば全て見れます。

 

 

 

 

さて次の場所へ向かいます。

 

 

 

井上城址。岩倉城跡は「跡」で井上城址は「址」なんでだろ~。

 

井上城とは1394年~1428年の間にこの近辺の村を治めていた豪族の有馬主殿正(読み方不明です。調べてもわかりませんでした)が築城。尾張の守護代の織田郷広(おださとひろ)に協力しろと言われて断って攻め落とされたようです。

 

 

こちらも岩倉城と同じく遺構はほとんどないように思えます。

 

 

 

私も井上城の事は全く知らず、岩倉市の事を調べていて初めて知りました。まだまだ知らない城址がいろんな場所にあるんでしょうね。

 

ってな感じで今回は以上です!次回は大河ドラマ「功名が辻」の主人公、山内一豊のゆかりの地へ行くぜ!