こんにちは!
10月13日。戦国武将の一人、前田利家のゆかりの地へ行ってきました。
前田利家とは簡単に説明すると
15歳で織田信長に従える。信長とボーイズラブな関係にもなる。
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悪ふざけの過ぎた同僚を信長目の前で殺害。
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信長に追放される。
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織田家vs今川家の桶狭間の戦いに勝手に参戦する。
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信長に怒られ許しは貰えず。
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美濃(岐阜県)に侵攻する織田家vs美濃の斎藤家の美濃平定戦に勝手に参戦する。
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信長に許される。
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本能寺の変。
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信長の後継者争いの羽柴秀吉vs柴田勝家の賤ケ岳の戦いでは柴田方につくが羽柴方に裏切る。
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豊臣秀吉の五大老となりかなり重要な地位となる。
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豊臣秀吉死去
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豊臣秀吉の志を石田三成が継ぎ豊臣家を引っ張っていく。
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政治で伸し上がった文治派の石田三成を是としない武断派の加藤清正や福島正則が対立を始める。
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文治派と武断派のいざこざを前田利家が仲裁していたが1599年に死去。
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これを好機とみた徳川家康が武断派を率いて石田三成と対立。
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1600年関ヶ原の戦い。
毛利輝元(西軍総大将)や石田三成の文治派、徳川家康(東軍総大将)率いる武断派の対立は幾度もあれど、大きな戦は起きていませんでした。
前田利家が死去した1599年の翌年に関ヶ原の戦いが起きていると考えると、豊臣秀吉が死去したあとの日本はかなり不安定であったが前田利家が繋ぎ止めていたのは間違いないでしょう。
では今回訪れた前田利家ゆかりの地を紹介していきましょう!
まずはここからスタート!愛知県名古屋市中川区のあおなみ線荒子駅です。
車でここまで来たんですけど駅の写真は収めました。
その駅の目の前にあるのが
前田利家初陣之像です。荒子の英雄なんでしょうね!
前田利家の初陣を見送る正室(第一婦人)のおまつの方が見送っています。
なんと!!前田利家の初陣は萱津の戦い。そう、私の家の近所でもあるのです。
萱津古戦場址は自宅から自転車で3分くらいの場所なんですが、行ったことがありません(;^_^A
こちらはおまつの方の年表。
1列目の1547年(天文16年)海東郡沖ノ島(現あま市)に生まれる。に注目!
これは私が住んでいる市でもあるのです。ここは家から自転車で20分ほどの場所でしょうか。仕事帰りにフラっと寄ったことがあります。
2列目1558年(永禄元年)利家と結婚する。お気付きであろうか。おまつは11歳で結婚したのである!
こちらは前田利家の年表。
しかしまぁ凛々しいですね!
荒子駅から5分ほどでしょうか。見えてくるのが…
荒子公園。
ここには 前田利家 荒子梅苑 と書かれた石碑があります。
前田利家と何の関係があるのかはわかりませんでした。
名古屋市の河村市長が植えたと思われる白加賀梅。
この公園から2分ほど行くと見えてくるのが
荒子観音寺。
尾張四観音の1つであります。
他には
名古屋市守山区の龍泉寺観音。
名古屋市南区の笠寺観音。
あま市甚目寺の甚目寺観音です。甚目寺観音はめっちゃ近所ですw
ちなみに尾張四観音とは徳川家康が名古屋城を築城した際、鬼門の方角にあるこの4つの観音を鎮護として定めたものになります。
729年に創建され前田利家や1576年に修造しています。
山門の中には巨大な仁王像が建っています。
多宝塔。名古屋市で最古の木造建築物の重要文化財です。
荒子観音の道沿いに日露戦役忠魂之碑と書かれた石碑がありました。
私の地元の尾張四観音の1つ甚目寺観音のすぐ横にも日露戦争の石碑がありましたが、尾張四観音と日露戦争は関係あるんでしょうかね。
こんな感じでした。
続きまして荒子観音寺から少し歩くと
一葉山 蓮徳寺。この神社は前田利家との繋がりは不明でしたが、立派な建物だったので写真を撮りました。
その近くに…ようやく到着しました。
荒子城址。現在は神社になっております。
鳥居に掲げられている旗には前田利家生誕の地と書かれています。
神秘的な場所のように感じました。
前田利家卿誕生之遺址。
写真中央には前田家の家紋が。
こんな感じで前田利家ゆかりの地、愛知県名古屋市中川区荒子のお散歩でした。
実は前田利家誕生の地というのは同じ中川区にある前田城とも言われています。
その前田城は今は無く前田城址として前田速念寺が建てられています。
前田城址にもいつか行ってみたいものですね。
ってな感じで最近ハマりすぎな戦国時代のゆかりの地めぐりでした!
次回もお楽しみに!!