いつも不思議に思うんです。
「社会」とか「常識」とかいう枠に。
自分 対 社会 みたいに物事が語られるのは、よくあることですが、その社会を作っているのは誰なのか。
自分と自分以外が居て、自分以外が社会を作ってるのだと皆が思って居るのなら、誰が社会を作っているのか。

「大人の常識」みたいな本が色々売っていて、本にするくらい皆知らないなら、それはもう常識では無いんじゃないかと。

社会という枠は、その線は、誰が引いてるんでしょう?
自分以外の誰か若しくは皆だとして、自分も誰かにとっての「自分以外」なのに。

「社会とはこういうもの」と各々が思っていて、決めたのは自分じゃないと思っている。

誰かにそう教えられた?
だとしたら、その人はこの世の基準を司る人?それとも誰かに教わった事?

脈々と受け継がれる思い込み。

「きっとみんなこう思っているに違いない。だからこうするべきだ」
そして違う考えや行動をする人を批判して、『正しいこと』を教えようとする。

待て、待て、待て。それは一体誰の考えなんだ?

あなたが批判し、正そうとするその事柄にオリジナルの理由はあるのか?そもそも本当にそう思ってるのか?

なんとなく人の所為にして、本当は自分で作った枠に囚われているだけなんじゃないだろうか。
自分でも我慢してその枠に納まろうとしてるから、そうではない人が気に入らないだけじゃ無いだろうか。

あなたが思っている「社会」は、本当に存在するのだろうか。


禅問答みたいなものだから、考え過ぎると自分(だと思っているもの)の輪郭が揺らいで、怖いかもしれない。

さむい。
とうとう雪が降った。
いきなり冬本番!
初雪だからすぐ消えると思ったのに、リハーサルじゃなかった。
人生には本番しかないもんねぇ。

寒いの苦手。

でも、寒いから成立する幸せもある。

ストーブの匂い
ホカホカのお布団

かじかむ寒さの中の、あったかいお布団!
享悦至極!
まさに幸せは今ここに、布団の中に❤

あったかいだけで、幸せ。

体が快適である事の幸せを貪っています。
そして、幸せに包まれて、後は眠りに入るだけ。

今日、会社でオフィス用品のカタログ見てて、カラーペンに身悶えするほどテンションが上がり、思わず経費で買ってしまおうかと思った。
勢いでその事をツイートしようかと思ったが、そんな無益な情報…と思ってやめた。

だから、ここに書いてやるー!

子供の頃から好きなのよ。
クレヨンとか色鉛筆とかカラーペンとか。
なんでだか。

好きに理由はないからな~{http://ucs-emoji.ameba.jp/img/user/ch/chinax/83006.gif}

それから、最近幸せ噛みしめちゃったのは、眠たくてお布団に入った瞬間。
寝るのが嬉しくて、テンション上がってちょっと目が覚めた(笑)

目の前のちょっとした事を幸せと思えることが幸せ。
タイトルは思いっきりパクリで(笑)

賢者テラさんのブログの同タイトルの記事を読んで、いろいろ妄想が拡がっちゃったので、書いておこうと。

お金のない世界の方が、なんとなく幸せに見えるのは、お金に縛られて生きてるからなんだろうなと思う。

世界中の人が一人残らず、自他の区別なく、みんなが豊かで幸せで当然って思ってたら、お金があっても無くても同じ事に思える。

私はあった方が便利だろうなと思った。
その方がスムーズじゃないかな。
純粋にお金を稼ぐのが得意、楽しいって人もいると思うし。
物々交換はお金よりも更に大変だと思う。

妄想ワールド展開しよう。

世界中の人、全員が自他の区別なく、みんな豊かで幸せで当然と思っている世界。
お金は便利なツールとして使われている。
だから、たくさんあっても「持っているだけ」には興味がない。
保持するものではなく使うものだから。

お金に対する意識が違うので、お金絡みの犯罪が起こらない。
そして、借金というシステムが無い。

社会保障がしっかりしているので、病院も学校も無料。
家、車など高額なものは、一定の補助がでる。
みんな暮らしていくのに不安はない。

働いて給料をもらう、というシステムは変わりないので、それぞれ収入の範囲内で暮らしている。
収入の格差はもちろんある。

さて、本人の収入の範囲を越えて、どうしてもやりたい事があったらどうするか。

どうしても作りたいものがある。
どうしても研究したい事がある。
どうしても始めたい事業がある。

借金はできない。

全ては寄付で賄われる。
お金をたくさん持っている人は当然出すし、応援したい人も出す。

皆、基本的に満たされているので、無駄な欲がほとんどない。
だから、どうしてもコレやりたい!っていう時はもう魂の叫びなのだ。

そして、自他の区別無く皆が幸せで当然と思っていたら、その人の心からの願いは叶えたいと皆が思う。

そうは言っても、その人の事を嫌いだから協力しないという人もいるだろう。
それはそれでいい。
世界中の人から嫌われるというのは不可能だと思う。
だって会ったこともない遠い国の人を嫌いにはならないだろう。
興味がないか、幸せを祈るかどっちかだろう。
これはまたお金の問題とは違う問題なのだ。

ただ、経済システムは機能している。

例えばパン屋を始めた人がいるとしよう。
当然、みんなはお金を出してそれを買う。
おいしければ人気が出るし、そうでなければ経営難となる。
じゃあ、その分安くすれば売れるのか?というと答えは「いいえ」だ。
みんなお金に縛られていない。
使うことに対する意識がそもそも違うのだ。

だから、パン屋をつぶさないためにすることは、ひとつ。
より良いものを作ること。

そしてそれは、あらゆる分野でも同じことが言える。
みんなが興味があるのは、お金儲けではない。
クオリティの向上だ。
お金を儲けたいんだとしても、クオリティを向上させるより他無い。

そうやってやりたいことに純粋に情熱を注げる世界がいいなぁ。

お金は常に流れている。世界をぐるぐる回っている。
止まることなく。行く先々で人々を幸せにしながら通り過ぎていく。
お金があること自体が幸せなのではない。
やってきたお金が去るときに置いていってくれるものが幸せなのだ。

そういう世界にならないっすかね、来週あたりに。
執着を手放しなさい。
なんて、よく言うけれど、執着出来る何かを探して生きてる気もするなぁ。

「執着」って言葉のイメージが暗いからなのかな?
執着するのが良く無いみたいに言われるのって。

何かに執着するって情熱的だと思うんだけどなぁ。
執着って破滅的な展開が予想されちゃうからかな。

なんていうか、執着に乗っ取られてる状態だと、どんどん悲劇が展開して行くイメージだな。

まず、自分が何に執着してるかに気が付いたらいいんだよね。
無意識に執着してる事に気付かずに、執着してるのが、乗っ取られてる状態だと思うから。

自分の執着してる事が分かったら、ズラリと並べて仕分けしたらいいんじゃない?

それで、無くてもいいやってものは手放して、執着していたいものだけ残す。
それに執着する事で得られているのは、どんな気持ちや経験なのか、解った上であえて執着したらいい。

だって、それがやりたい事なんでしょう?
思う存分、力の限りやってみたらいい。
お腹いっぱい、気が済むまで。もう、充分と思うまで、執着してみたらいい。

そうしたくて、選びとった執着でいっぱいの人生って、なんかいいじゃん。
濃厚で濃密で愛しいよ。
「生きてる!」って感じがする。

自分探しって結局、望んで執着出来る何かを探す旅のような気がする。

あらゆる執着を手放そうと試みて、それでもやっぱりと思える事があるのって、素敵な事だよね。