特別に意識していなかったときは、「愛される」と思っていなかったけど、「愛されない」とも思っていなかった。
今は、「何か付加価値が無ければ愛されない」と実は思っていたんだなぁ。
だからこそ、打ち消したくて「このままの自分でも愛される」と言い聞かせていたんだな。
以前の方が、なににも囚われていなかったのだね。
「愛されると思っていない」と「愛されないと思っている」って、似ているようでまるで違う。
望んだ事が起こる
というより
起きる事を望むようになってきた
という方が近い。
よく言う「引き寄せ」とか「思考の現実化」って、本当は逆じゃないのか?
好きな人に会いたくて、とてもとても会いたくて、でもどうしても「会いたい」と言えなかった。
というより、なんか違う気がして、言わなかった。

恋特有の切なくて、寂しくて、会いたい…っていう気持ちをぶつけるのは、何だか違うと思った。

彼は私にとって、そういう相手ではない。この関係をそういう風に扱いたく無いと思った。

例えば、何年も会っていない友達が久々に帰国するから会いたいっていう時の「会いたい」は『有り』だ。
でも、寂しくて会いたいは『無し』だと思った。

自分で勝手に作り出した不安や寂しさを、なだめて貰うために会うのは、違うのだ。
求めるのは悪いことでは無いけれど、この「求める」は「奪う」に近い。

そうでは無い。そういう風にしたくない。
そういう気持ちで「会いたい」と言いたくなかった。

だから、待った。
自分の気持ちを。
求めるのではなく、与えるコンディションになるのを。

ただ楽しみで、明る気持ちで会いたかった。
クリスマスの朝の子供みたいに、プレゼントの包みを開ける時みたいに、ワクワクしていたかった。

恋情に振り回されて、ありふれた恋愛をする事も出来るけど、それはつまらない。
そんな事はもう、散々やった。
だから、違う事がしたかった。

心に穴など空いていないし、足りないもう半分など無い。
だから、全部プラスになる。
一緒に過ごす時間も、交わす言葉も、豊かさとして積もっていく。
いつか別れる時が来ても、何も足りなくならない。埋めるべき穴など空かない。

そんな風にして行きたい。

「癒し」っていうのは、自分自身が愛の状態になるって事だよな。
外側から補給するものじゃない。

与える事が出来るエネルギーに満ちた状態。

ゆったり、まったりしてるだけが癒しじゃなくて、フルパワーで動き回ってるのが癒しって事もある。