人生の旅路 -8ページ目

人生の旅路

僅か伍十年、構築される人世




 


約5年に及ぶ、父の闘病生活が終わった。



 


ひとの命とは儚い・・・

 





病状が急変してからは


あっという間、あっけない終わりだった。



 



『4時50分、ご臨終です』 って


本当に言うんだな・・・ドラマみたいだ。








お母さんの事は心配しないで、

僕がついてる。


 

 


ずっと普通の生活が出来なくて


疲れただろう。



 

ゆっくり休んでください

 





そして、今までありがとう。






 




『さ、さむ・・・』



ホームに降り立った瞬間、

包まれた空気の温度差に

私は思わず、身を固く縮こまらせた。





うす暗い曇り空が

より一層、寒さを感じさせる。






私と父は、東海道線から


やまびこに乗り継ぎ、仙台を経由し


くりこま高原駅に到着した。









$人生の旅路








この駅が開業したのは、


20年ほど前。





奧羽山脈を望む栗駒は、

いくつかの町が合併し




栗原市になってから

訪れるのは初めてだ。







震災以降、一度様子を見に行かないと


いけないと、気になってはいたが







父の姉が亡くなり、




急遽、実現するとは思ってもいなかった。










今年の3月11日。



震度9を記録した割に、意外と被害は少なく


ライフラインは止まったものの、


一部家屋の破損と、地面のひび割れ程度。







鉄筋のビルなど皆無で、


田畑とまばらな民家が


ひたすら続く、農業の町。







$人生の旅路







駅からタクシーに乗り


15分ほどすると、


くりはら斎苑が見えてきた。







父の弟である、

六郎さんに会うのは


雅樹の婚儀以来。






親族たちが口にする

なまりは非常に強い。






何を言っているのか

分からない言葉が多く


父の通訳が必要だった。







例えば、




おんつぁん(お兄さん)

あがらいん(上がっていきなさい)

でば(そうだよ)

もっきり(お酒)

けえる(帰る)

さんず(3時)

よんず(4時)

ごんず(5時)






独特な口調とイントネーションに



重々しい雰囲気の中、何度も


吹き出しそうになってしまった。






納骨と葬儀が終わり、




夕刻から、降り出した雨は


まるで、皆の想いが天に届いた


悲しみの涙のよう。








岩手との境界にそびえる、


栗駒山は霧がかり


頂上付近は白く霞んでいる。








$人生の旅路







一度、父の実家へ寄った後


私たちは、叔母宅へ向かった。






父が暮らしていた頃から



この周辺は、ほとんど変わっていないという。






道中、信号はひとつだけで


すれ違う車はほとんど無い。





この町に渋滞とは、


きっと永遠に無縁だろう。









夜の宴会では、


自家製野菜の天ぷらやサラダ

煮物などが居間のテーブルに

所狭しと並べられ





ビールに始まり、


地酒を飲みながら


故人を偲んでの映像鑑賞。





最近の葬儀屋は、生前の写真を編集して


メモリアルDVDを作ってくれるのか・・・








父の姉とは、

そんなに深い繋がりや

思い入れはなかったけれど





母のイメージと重なってしまい





私は、感情の高ぶりを


抑える事が出来なかった。






震える心は、


溢れる涙を堪えられずに






人前で泣いてしまうとは、


大人げない・・・



































隙をみて、六郎さんには


父が末期ガンである事を伝えた。










私は、勧められるままに



日本酒を煽り続けた。










帰りは、トシユキさんの車で


送ってもらい


その途中、タヌキに遭遇。





他にもキツネ、たまにクマも出没するそうで


夏は場所によって、子供を一人では


出歩かせないそうだ。








六郎さんは、父の余生は

生まれ育った、この地で過ごすのは

どうかと提案してきた。








確かに、



自然に囲まれ、環境はとても良いし


近くに住む親族も多い。








父はどう思うだろう・・・















深夜になり、涙雨だった空からは


雪の華が舞い降りていた。













風が冷たくても
優しく感じる、潮の香り。

生まれ育った地に帰ってくると、やはり落ち着く。

市民病院の食堂にて、
昼食は味噌ラーメンにした。


人生の旅路


懐かしい味がする。

在宅介護の頃は受診後に、
ここで母と一緒に

お昼を取ってから帰るのが、お決まりのコース。

母は寿司が好きで
のり巻きをよく食べていた。

現在は流動食のみで、
飲み込むにも時間がかかる。
出かける際には、オムツを履いている。

言葉にならない唸り声を上げ
母をなだめるオレは、子守りをしているようだ。

泌尿器科では、母の内服薬は今日から中止。
飲み続けても効果はなかった。

難病と呼ばれ、今の医学で治らない病気は
母だけではなく、他にもたくさんある。

オレの手を握り締める、母のしわしわの手は力強く
まだ大丈夫だと信じたい。


人生の旅路

脳神経外科の受診後、久しぶりに夫婦が対面。


父の顔は薬の副作用からか、パンパンに腫れ上がっていた。

男性ホルモンを止める治療では
効かなくなり、転移したガン細胞は侵食を続けている。

これから、死ぬまで入退院を続けるのか・・・
オレの夢が近づいて来ているというのに。

身体の痺れは多少あるものの、痛みは無いため
治療を中止して、自宅で生活をしていく選択もある。

だが、オレは出来る限り
治療を続けてほしいと、担当医に頼んだ。


父には、まだ話していないが
うすうす気づいているかも知れない。