『さ、さむ・・・』
ホームに降り立った瞬間、
包まれた空気の温度差に
私は思わず、身を固く縮こまらせた。
うす暗い曇り空が
より一層、寒さを感じさせる。
私と父は、東海道線から
やまびこに乗り継ぎ、仙台を経由し
くりこま高原駅に到着した。

この駅が開業したのは、
20年ほど前。
奧羽山脈を望む栗駒は、
いくつかの町が合併し
栗原市になってから
訪れるのは初めてだ。
震災以降、一度様子を見に行かないと
いけないと、気になってはいたが
父の姉が亡くなり、
急遽、実現するとは思ってもいなかった。
今年の3月11日。
震度9を記録した割に、意外と被害は少なく
ライフラインは止まったものの、
一部家屋の破損と、地面のひび割れ程度。
鉄筋のビルなど皆無で、
田畑とまばらな民家が
ひたすら続く、農業の町。

駅からタクシーに乗り
15分ほどすると、
くりはら斎苑が見えてきた。
父の弟である、
六郎さんに会うのは
雅樹の婚儀以来。
親族たちが口にする
なまりは非常に強い。
何を言っているのか
分からない言葉が多く
父の通訳が必要だった。
例えば、
おんつぁん(お兄さん)
あがらいん(上がっていきなさい)
でば(そうだよ)
もっきり(お酒)
けえる(帰る)
さんず(3時)
よんず(4時)
ごんず(5時)
独特な口調とイントネーションに
重々しい雰囲気の中、何度も
吹き出しそうになってしまった。
納骨と葬儀が終わり、
夕刻から、降り出した雨は
まるで、皆の想いが天に届いた
悲しみの涙のよう。
岩手との境界にそびえる、
栗駒山は霧がかり
頂上付近は白く霞んでいる。

一度、父の実家へ寄った後
私たちは、叔母宅へ向かった。
父が暮らしていた頃から
この周辺は、ほとんど変わっていないという。
道中、信号はひとつだけで
すれ違う車はほとんど無い。
この町に渋滞とは、
きっと永遠に無縁だろう。
夜の宴会では、
自家製野菜の天ぷらやサラダ
煮物などが居間のテーブルに
所狭しと並べられ
ビールに始まり、
地酒を飲みながら
故人を偲んでの映像鑑賞。
最近の葬儀屋は、生前の写真を編集して
メモリアルDVDを作ってくれるのか・・・
父の姉とは、
そんなに深い繋がりや
思い入れはなかったけれど
母のイメージと重なってしまい
私は、感情の高ぶりを
抑える事が出来なかった。
震える心は、
溢れる涙を堪えられずに
人前で泣いてしまうとは、
大人げない・・・
隙をみて、六郎さんには
父が末期ガンである事を伝えた。
私は、勧められるままに
日本酒を煽り続けた。
帰りは、トシユキさんの車で
送ってもらい
その途中、タヌキに遭遇。
他にもキツネ、たまにクマも出没するそうで
夏は場所によって、子供を一人では
出歩かせないそうだ。
六郎さんは、父の余生は
生まれ育った、この地で過ごすのは
どうかと提案してきた。
確かに、
自然に囲まれ、環境はとても良いし
近くに住む親族も多い。
父はどう思うだろう・・・
深夜になり、涙雨だった空からは
雪の華が舞い降りていた。