東村山に誇れる歴史はあるのか?
地元・
そんな問題意識でスタートした「
月に一度は
会長の僕はこうして活動報告レポートを書く係、副会長の浦上くんは写真を撮ってくれています。
歩き疲れると喫茶店やうどん屋(
31歳の派手な服を着た男二人がキャッキャ言いながらお互いの写真を撮り合ったりしている風景。地味な
「俺たち、確実にゲイカップルだと思われているよね」
と我に帰る副会長。彼は最近、この活動に疑問を持ち始めているようです。
俺たちやっぱり
「でもオレは、浦ちゃんとこうしてうどんを食ってるだけでも楽しいよ」
と僕。この会話、確かに危ない気がします……。
さて、今回は「歴史を学ぶ編」のひとまずの区切りとして、市営「ふるさと歴史館」の学芸員・高野さんをつかまえて、「
「下宅部(しもやけべ)遺跡は、青森県の三内丸山遺跡に匹敵する貴重な縄文遺跡だと言っていいと思います。いや、そこまで強く言ったらマズイかな……」
自信ありげでなさげな高野さん。
まず挙げてもらったのは、15年ほど前に市内北西部で見つかった縄文時代の遺跡。通常、石器や土器しか発掘されないのですが、この下宅部遺跡は湿地帯の泥の中で「真空パック状態」で眠っていたため、狩りや生活で使われていた木製品や食材などが大量に出土したそうです。
「大変貴重な縄文遺跡なので、国立の博物館にも貸し出していますし、文化庁発行の図録にも漆塗りの木製品などが掲載されています」
ふーん、そうなんだ。でも、正直言って、縄文時代とか言われてもあんまりピンと来ません。僕の顔はどう考えても弥生人だから、縄文人と「ご先祖さまとつながった」感が湧いてこないんですけど。
「でも、地形はほとんど変わっていませんから、『自分が住んでいる土地では昔、こんな暮らし方をしていたんだ』と想いを馳せることはできますよ。例えば、丘陵地は南向きの斜面に多くの人が住んでいたことがわかっています。昔の人も『南向き』が好きだったんです」
もう一つ、全国的に有名なところがある。
明治期に起源を持つ、「ハンセン病資料館」だ。
来年は療養所開設100周年だという。
ハンセン病は、松本清張原作・加藤剛主演の名作映画『砂の器』の主題にもなった。社会からの偏見と差別が生み出す悲劇を知ることができる重要な場所
ちょっとしんみりしたところで、高野さんが再び目を輝かし始めた。
「
同時期にできた人口湖・多摩湖を目玉として、東京近郊で気軽に湖畔を楽しめる景勝地として、
「高尾山との最大の違いは、人工的に作られた自然であるところなんですけどね」
人工的……。
田舎のような大自然は残っていない。しかし、表参道のような美しい「人工」でもない。
中途半端な人工は町の発展に暗い影を落とすことに、昭和初期の為政者は気づかなかったのだろうか。
「でも、戦争がなければもっと有名になっていたかもしれないんですよ。実際、昭和十年代に計画されていた東京オリンピック(60年代のものとは別)では、選手村としての有力候補に挙がっていましたから」
どこまでも前向きな高野さん。ご専門は近現代だ。個人的に一番いま盛り上がっている
「
そ、そうですか。でも、僕たちは三中出身者だからそれほど興味がそそられません。残念……。
最後に、
「最初に働き始めたころは、『どの自治体でも仕事の楽しさはあまり変わらないだろう』と思っていました。でも、
僕たちは「
でも、けっこう本気で
さて、肉汁うどんを食べて帰ろう。
東村山生徒会会長 大宮冬洋
縄文体験館ワークショップ(その2)
僕たちも気がついたら30代。
いまさらだけど、しょぼい地元・東村山を愛せるのか?
できることなら愛したいけど……。
そんな漠然としたテーマを自らに課して立ち上げた「東村山生徒会」。
とりあえず何をすればいいのかわからないので、東村山駅そばにあるふるさと歴史館に行ってみたのです。
そこで、きさくな学芸員の石川氏に遭遇し、新しく建設中の「縄文体験館(仮)」への市民ワークショップへの参加を誘われたのが前々回。
市民でもないくせに堂々と参加し、意味不明な提案をしまくったのが前回。
今回(6月8日)も参加してきました。
最初のお題は、館の正式名称についての全体ディスカッション。
市民からの応募では、「八国山縄文たいけん館」や「東村山ふれあい縄文館」といった案が集まったそうです。
八国山に関する歴史経緯など高度な議論が交わされる中で、僕は「ふれあい」という言葉はセンスがないとか、「たいけん」とひらがなで親しみやすさを出そうとするのは古いなど、ネガティブな意見ばかりを出してしましました。
いかん。場の空気を悪くしているぞ……。
次のグループディスカッションでは、気持ちを切り替えて「東村山カルトクイズを作って流行らせよう」とか「ジャンベもしくは縄文太鼓を作ったり演奏できる場を作ろう」などは積極的に話しました。
2回目の参加なので知り合いもちらほらできました。
ワークショップ終了後、『生活新聞』というミニコミの編集をしている篠田さんに菖蒲苑を案内してもらいました。
東村山には花菖蒲が咲き誇る湿地帯があり、この時期は「菖蒲祭」が開かれるんだそうです。
五分咲きでも見事だったので、今週末あたりはすごいことになるらしい。
東村山にこんな美しい場所があるとは知りませんでした。
東村山生徒会会長 大宮
縄文体験館ワークショップ(その1)
「若い人が少ないので、ぜひ参加してください!」
ふるさと歴史館の石川さんに誘われて、5月11日に「縄文歴史館」作りのワークショップ(来年5月にオープン予定)に参加しました。
31歳で「若い人」と呼ばれるなんて、新卒採用を停止している斜陽産業みたいですね……。
縄文体験館とは、貴重な縄文遺跡である「下宅部遺跡」の出土品収蔵を主目的とした施設です。放火で焼失(このへんが東村山っぽいエピソードですね)してしまった「かやぶき民家園」@諏訪町の跡地を再利用する計画。八国山(トトロの森)と北川に挟まれた緑豊かなロケーションです。
しかし、縄文遺跡の収蔵・展示というだけでは地味すぎて誰も訪れないし、それだけのために億単位の金を使うのは市民の理解が得られない。だったら、歴史や伝統文化、自然を体験できる場としても機能させよう! ……財政難の東村山市らしい発想です。
今回で第3回というワークショップは、ふるさと歴史館の学芸員たちが事務局となり、一般市民が参加して、縄文体験館を使ってやりたいことを意見交換するという内容。審議会とか公聴会のミニ版という感じですね。
僕と副会長(浦上くん)は、高齢の方が多い参加者の中では確かに若い。というか、参加理由が「自分たちは東村山を愛せるのかどうか、探しに来ました」なので明らかに浮いています。
アイディア出しの際も、他の参加者は「縄文織りの体験コーナー」とか「うどん(東村山の名物)を小麦から作る」と言っているのに対し、僕たちは「東村山美人がサービスしてくれる体験倶楽部」「志村けん一座のライブ」「ジャンベ教室」「ギャラリーカフェ」「市内に7つある中学校の同窓会スペース」など。
副会長は「誰をターゲットにするかを明確にしたほうがいいと思います。縄文遺跡の前での水着女性の撮影会、だったらカメラ小僧はたくさん来ますよ」と発言。
決してふざけているわけではなく、それぐらいしないと広く一般人に来てもらえる場所にはならないと思ったからです。
幸い、他の参加者の方々からも「面白い意見だね」と拍手をもらい、なんとなく前向きな気分で帰りました。事務局は意見をまとめるのが大変だと思いますが……。
次回ワークショップは6月8日らしいです。また参加しようかな!
帰りがけに久米川町の親戚宅に立ち寄りました。
20年間東村山に住んでいるというおばさんは、「縄文体験館? ああ、また変なものを作るみたいね。そもそも私は歴史館にも行かない。市は、もっと別のところにお金を使ってほしい」との意見。
「北山公園の菖蒲だって、昔はもっとたくさん花があったのよ。菖蒲苑とかいって変に整備しちゃうから花が少なくなった」
これが大多数の市民の気持ちなのかもしれませんね。
縦割り予算の行政や大企業だと、どうしても「やる」ことを前提に物事が進められていきます。
ときには、「やらない」決断をすることも大事ですよね。
すっかり「体験館マインド」になっていた頭を冷やすことができました。
そのうえで、自分たちが地元・東村山に何ができるかを考えてみたいと思います。
東村山生徒会会長 大宮冬洋
